以前に書いたように、「文部科学省「デジタル教科書」の位置付けに関する検討会議」という有識者会議があり、児童・生徒用のタブレットの導入について、多方面から検討が行われている模様である。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/110/index.htm)
その中で、一つ気になることがある。もし、児童・生徒用が紙の教科書に替わりにタブレットになった場合、子ども達は、一日にどのくらいの時間、タブレットや電子黒板やスマホやテレビといった電子画面を見ることになるかということである。その健康問題が気になる。
現在でも、子ども達は、スマホやゲームやテレビ、ビデオなどで、電子画面を見る時間はかなりある。正確な数字は今あげられないが、3時間以上の子どもが半数以上はいるのではないか。
それに、学校の教科書がタブレットになると、学校にいる時間6~8時間のうち、半分の時間をタブレットや電子黒板を見ているとすると、1日のうちで6時間以上は、電子画面を見ることになる。
大人で、そのように長時間電子画面を見て仕事をする人はかなりいると思うが、成長期の子どもが、そのような長時間電子画面に向かうということの影響は、健康面のみならず精神面にかなり大きな影響を及ぼすはずである。
その検討会議の配布資料に、日本小児連絡協議会「子どもとICT~子どもたちの健やかな成長を願って~」委員会委員)の報告はあるが(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/110/shiryo/__icsFiles/afieldfile)、それは現在の子どもたちの長時間のICT接触の健康問題を扱っているだけで、教科書がデジタル化された時の問題まで触れていない。
有識者会議のどこかの文書に、「教科書のデジタル化はやってみないとその効果はわからない、やってみて問題を修正すればいい」といった無責任なことが書かれていたように思う。これは、教育の世界でよく使われる手で、きちんとした実証的データなしに、「理想的」な思いだけでやって、悲惨な結果になることがよくある。(昔の都立高校の学校群制度もそうであった。これは既存のデータからシュミレーションすればすぐわかることであった)。
教科書のデジタル化に関しては、子どもたちの電子画面への接触時間の予測、それの健康や精神面のへの影響というデータもきちんととって、検討してもらいたいものである。
投稿者: takeuchi
大学教師と講義内容
これはうろ覚えだが、社会学者のデュルケームが大学で教えた時、講義は2週間に一度程度だが、その講義内容は斬新で、新しい理論がそこで次々話されたと、聞いたことがある。
社会学者の加藤秀俊だったと思うが、大学の講義のテーマや内容は毎年変わり、必ず新しいことを講義する。そしてその講義が終わると、その内容は次ぎ次と本になる。
大学の教師は研究者であり、このように研究した新しい内容を講義し、それを本として残す。このように実践している大学教師も少なくないであろう。しかし、凡人の自分には、それができないできてしまった。
同じことを学生に話しても、その時の話し方や学生の特質によって、その内容がうまく伝わったり伝わらなかったり、受けたり受けなかったりする。それは(大学)教師としての醍醐味であろう。
私がよく話すことで、学校の潜在的カリキュラムのことがある。学校には意図して教えようとする「顕在的カリキュラム(教科書等)」の他に、「潜在的カリキュラム」というものがあり、教師が意図せずとも生徒や学生に伝わってしまうことがある。
その例として、いくつかのことをあげる。たとえば、男女で違うカリキュラムは、社会に出てからの性別役割分業を正当化する。無意味で厳しい校則を守らせることは、社会の不法な法律にも黙って従う心性を養成する、等々。
もう一つ、この例がなかなか理解されなかったり、誤解されたり、白けてしまうことがある。
「私のこの退屈な授業に90分間堪えることができれば、これから皆さんが社会に出ていって、世の中に多い繰り返しの多いどんな退屈な仕事に耐えられますよ」と説明する。
今日(23日)の神田外語の授業でこれを、授業の終わり間際に話したが、その意味が分かってくれた人が多かったようで、笑いのうちに授業が終わったようでほっとした。
昔、上智大学の授業で、これを話した時、「自分は退屈な仕事に就く気はありません」とか、「先生の授業は退屈ではありませんよ」という見当外れのコメントをもらったことがある。
今日の学生のコメントには、「カリキュラムの内容について、先生の皮肉を含んだ話(実質的機能をもたらす)はおもしろかったです」というものがあり、私の意図は理解されたと思う。少しは私の話し方が、上手になったのかもしれない。
日光の紅葉(その3)
イタリア大使館別荘記念公園は、たまたま通りかかり寄ったら、とてもよかったということだが、日光の小田代ガ原(戦場ヶ原)は、いつ行ってもすごいなと感心する。新緑の季節や紅葉の季節、また初霜や冬や日の出や夕焼けの時は、幻想的な景色が見られるのではないか。今回、その一部しか見ていないが、全体を見るとさらに、感動するのではないかと思う。 今回撮った写真を、アップする。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E5%85%89+%E5%B0%8F%E7%94%B0%E4%BB%A3%E3%83%B6%E5%8E%9F&biw=1242&bih=571&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CBsQsARqFQoTCIa1k-2-08gCFUQXlAodEO4DPA
日光の紅葉(その2)
今回の日光の紅葉狩りで、一番感動したのは、中禅寺湖畔にある、イタリア大使館別荘記念公園である。
手入れの行き届いたきれいな庭園と上品な別荘で、これぞ別荘の究極という感じであった。湖畔に映える紅葉がきれいであった。
イタリア大使館別荘記念公園(http://www.nikko-kankou.org/spot/117/)
<「明治中ごろから昭和初期にかけての中禅寺湖は、各国の大使館をはじめ多くの外国人別荘が建てられ、国際避暑地として発展しました。園内の建物は、昭和3年イタリア大使館の夏季別荘として建造され、平成9年まで歴代の大使が使用していたものを当時の設計図をもとに復元し、皆様にご利用いただける展示館として公開しています。>
日光の紅葉を楽しむ
今日は、紅葉が見たくて、日光へ。
妻と車で、自宅(稲毛)を朝6時前に出て、一路 日光へ。首都高から東北道に入る道を間違え、外環道に入ってしまい、そこの朝の渋滞に巻き込まれ、日光への到着が遅くなる。
いろは坂や中禅寺湖は紅葉の真っ盛り。小田代ガ原(戦場ヶ原)は、少し時期を過ぎていたが、相変わらず雄大な景色。湯本まで行き、昔よく行った硫黄の匂いのある温泉にも入っる。日頃の疲れが取れた。
ただ、温泉に入った為、帰りが4時頃になり、平日にもかかわらず、中禅寺湖周辺といろは坂が大変な渋滞で、そこを抜けるのに2時間以上かかった。東北道は、トラックの直前の車線変更が多く、関越とは運転のローカルルールが違う感じで、少しこわかった(自分が運転したわけではないのだが)。
でも、紅葉を1年分楽しんだ感じ。
https://www.takeuchikiyoshi.com/wp-admin/users.php