雛人形を飾る

これは毎年恒例のことだが、今年も同じことを書いておきたい。
家に小さい女の子がいなくなったとしても、お雛様が狭い箱の中に、1年中閉じ込められているのは気の毒なことである。せめて、1年に1度は外に出して、外の新鮮な空気を吸わせたい。
我が家では段々家の中に、置き場がなくなってきているが、何とか1か所ものをかたずけて、お雛様を飾った(2月24日、大安)。
世の中の幼い女の子、若い女の子の幸せを祈る。

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季節外れの観光地

季節外れの観光地は、少しさびしい。
御宿は、いつの季節もサーフィンを楽しむ人がいるが、主流は海水浴場であり、夏以外は、人が少ない。
今日(24日)は、2か月ぶりに、ひとりで訪れた。
ラクダ像のところは、ポツリポツリと人がいたが、海岸は2〜3人のサーファー他、人影がない。
ただ、「月の砂漠記念館」では、吊るし雛と、加藤まさお(挿絵画家)の絵が無料で公開されていて、昔を懐かしむことができた。

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3.11から5年

あの大きな震災のことを段々忘れかけているように思う。
被災者への追悼、支援の気持ちや、東北に行かなければという気持ちや、原発の恐ろしさや、地震への備えなど、段々希薄になっているように思う。
もうすぐ、5年目の3.11がくる。このような時こそ、当時を思い出し、当事者の話も聞き、思いを新たにしたい。

東北震災支援の段ボールメッセージ「雪解けの花」を、あらためて聞いてみる。

岡崎友典氏の古希を祝う会、退職記念の会

昨日(2月20日)、友人の放送大学の岡崎友典氏の古希と退職を祝う会が、東京ガーデンパレスで開かれた。会の発起人の一人として参加した。
岡崎氏の人柄と交際範囲の広さを示すにぎやかな会であった。岡崎氏が長年放送大学で教えた学生、院生が中心の会であるが、岡崎氏の出身の東京学芸大学や東京大学大学院の先輩・後輩、さまざまな仕事仲間、学会関係者が集まり、岡崎氏の古希をお祝いした。
ご家族(奥様と息子さん、娘さん)も駆けつけ,岡崎家の家族愛を感じた。うちの娘(AO AKUA)も参加し、お祝いの歌を歌わせていただいた。
「古希を迎えられること、また定年まで無事勤められるということは、健康やもろもろの事故のことを考えると、大変幸運なことで感謝しなくてはいけない」とある先輩から言われたことがあるが、その通りで、この歳まで無事生き、働けたことはラッキーと思い、その幸運に感謝しなければいけない。岡崎氏のこれからを見守りながら、友人として、支え合い、これからの人生を歩んでいきたい。

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大学で2年先輩のNさんより、下記のメールをいただいた。Nさんとは、四半世紀前、恩師の清水義弘先生の古希のお祝いの会に、家族連れでご一緒したことがある。

<まだ、昨夜の温かく盛大なお祝いの集いのにぎわいと感動の中にいるようです。久しぶりに懐かしい方々と再会できた喜びに加えて、岡崎さんのお人柄とこれまでのご業績に連なる素晴らしい方々を身近に知った事による、忘れ難い出会いも、本当に素晴らしかったです。お嬢様や我が子も含めて、小さい命だった子どもたちの成長にしみじみとした感慨を覚えておりました。>

千葉県の町の雰囲気

千葉(市)からみると市川や船橋は東京に近く、都会という感じがする。JRで市川や船橋の駅で降りたった時それを感じる。人が何となく洗練はされている感じがする。
ところが、今朝早くJR船橋駅からバスにり、違った感じがした。船橋の町の朝の雰囲気は、中国の都市の朝の雰囲気に近いなと感じた。何か、雑然としている。それは、船橋に近い下総中山(市川市)で育った私にとっては、懐かしい感じである。
船橋は漁村や農家だったところが、東京の郊外として急激に都市化したところで(今は、総武線快速20分で東京駅に行ける)、道路事情は悪く、混みあっており(バスが平気で20分、30分遅れる)、店や家も狭いところに雑然とひしめいている。
船橋に比べると千葉(稲毛)は、人も少なく、のんびりしているな、道路も空いているなと感じた。
(とても狭いところで、比較しているので、千葉以外の人には笑われそうだが、住んだり生活したりする時は、このような差異は大事である。同じ稲毛地区でも、埋め立てでできた海浜地区と古くからある住宅地区では雰囲気がまったく違う)