都会ではあまり空を見ることはない。また都会でなくても家が密集しているところでは見える空の範囲は狭い。都会や住宅の密集地では日の出や夕焼けもあまり見ることができない。空を見るのは、飛行機に乗っている時だけかもしれない(いや、それも空を見ているのではなく、空を飛んでいるだけかもしれない)
日の出や夕日の空がいつも見える場所に住みたいと思い、海岸近くの団地の住む部屋を選ぶ時、海が見えて夕日が沈むのが見える部屋(海に近い棟の5階の一番端)を選び、しばらく住んだことがある。その時は、海とヨットと夕日と富士山と空を満喫した。
今日(8日)、大学からの帰り道、空を見上げると、夕焼けがきれいであった。このような空を見ると、心が洗われる。IMG_3640IMG_3641IMG_3644

 

夏の朝の楽しみー朝顔

夏の朝の楽しみの一つは、今日は朝顔がいくつ咲いているだろうかということ。今年私が庭や植木鉢に植えた青の朝顔はまだ成長途中で、つぼみもみられない。隣の家の塀の青い同じ種類の朝顔はきれいに咲いている。そちらを鑑賞する。うちでは、植木鉢で買ってきた沖縄の青い朝顔が咲き始めた。こちらもどこまでツルが伸びいくつ咲くかが、楽しみ。

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夏の卓球

今日は、体を少し動かしたくなり、卓球練習が始まる10分前に思い立ち、5分で支度して、家の前の小学校の体育館へ。風を遮るため、冷房のない体育館を閉め切るので、中は蒸し風呂状態。メンバーには暇な老人が多い(毎日卓球をやっているという80歳の人もいる。私は月に2度やると十分満足する)。準備体操の後、10分くらいの交代で相手を変え、ラリーをする。私はついテニス打ちになってしまう。少し後ろに下がり、思いっきり肩を廻し腕を振る打ち方。あまり卓球的には褒められた打ち方ではないが、ストレス解消にはなる。後半のダブスルの試合はパスして、家でシャワーを浴び、一休み。外の運動場では小学生が、サッカーの練習試合。夏は、老人と子どもが元気。

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仙台からの便り

先先月に「財団法人中央教育研究所」を定年で退職され、故郷の仙台に戻られた水沼文平さんから近況報告が届いた。相変わらず、骨のあるまた文学教養に充ちた報告である。ご了解を得て、掲載させていただく。

近況報告です。
新居に沿った県道263号線を6キロほど北上した泉区に宮城県立図書館や仙台泉プレミアムアウトレットがあります。友人の車で案内してもらいましたが、雑木林に囲まれた図書館はガラス張りのモダンな建物で書籍はもちろん郷土資料も充実していました。またアウトレットは多様な店舗があり老若男女でにぎわっていました。50年前は旧七北田村で山林や田畑があったところです。この大きな変化に驚いています。
今日の午前中、同じ友人の誘いで「仙台七夕祭り」を見てきました。店ごとの七夕飾りは画一的な吹き流しが主で、昔はたくさんあった「からくり」もほとんど見当たりませんでした。
5月の「青葉祭り」は伊達政宗の命日に由来する青葉神社の祭礼ですが、本来の意味を失い、スズメ踊りや何とか山車など、わあわあ騒ぐだけのものになっているようです。七夕も同様、短冊に願いごとを書くことは幼稚園や小学校だけの行事になっていると思われます。
お祭り騒ぎもけっこうですが、子どもたちの将来のために盛岡の「先人記念館」のようなものを作って欲しいものです。何人か偉人を上げて見ますが、大槻玄沢(蘭方医)、吉野作造(思想家)、井上成美(軍人)、佐藤忠良(彫刻家)、千葉周作(剣術家)、土井晩翠(詩人)、支倉常長(慶長遣欧使節)、林子平(経世論家)、原阿佐緒(歌人)、志賀潔(細菌学者)などの優れた人々を宮城県は生んでいます。
七夕を見物中、私が50年前に卒業した高校に属する生徒にチラシを渡されました。そのチラシは偏差値の高い何校かの「ナンバースクール文化祭」を案内するもので、エリート意識から来るのか「ナンバースクール」と明記する無神経さ・精神性の軽さ(謙譲心・思いやりの欠如)に変貌した七夕祭り、青葉祭り同様の失望を感じました。
このような変貌(変容)は多分全国的な傾向だと思いますが、この近況報告は長年故郷を離れ、故郷に幻想を持ち続けた今浦島の「たわごと」として受け止めていただければ幸いです。(水沼文平)