東京の桜

1年に1回だから満開の東京の桜を見ておかなくてはと、四谷と千鳥ヶ淵に行く。

同行は4歳の子(孫)。 四谷の土手の桜もきれい。ついでに、上智大学に寄り、食堂で昼食。教育学科はオリキャンの最中とのことで先生方に会うことはなかったが、昔の教え子(今は職員)や顔見知りの事務の人に会い、昔を懐かしんだ。 千鳥が淵は、相変わらず大変な人出。子どもがボートに乗りたがって困った。

自宅からからバスと電車を乗り継ぎ片道1時間半、人とビルの多い東京に出て来て、いささか疲れた。4歳の子は、東京の桜のきれいさに見とれ、東京の人の多さに少し驚いたようだがすぐ慣れて、かなりの距離の歩き(半蔵門から九段下まで歩いた)にも疲れを見せない。やはり若さ(歳)が違う。

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成田の桜

東京の桜はもう満開というニュースを昨日やっていたが、千葉の桜はこれからのようだ
昨年4月6日に行った「成田さくら山公園(https://www.nrtk.jp/news/sakuranoyama/)に、家族で行ってみた。
千葉北の入り口から高速に乗ると家から30分で着き、成田空港に発着する飛行機が見えて,桜もきれいで人気のスポットだが、今日は桜は1分咲きくらいで、人も少なく、のんびりとした桜の蕾(つぼみ)みとなった。

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黒岩ユリ子『メキシコからの手紙―インディヘナのなかで考えたこと』(岩波新書、1980年)を読む。

黒岩ユリ子は、1940年東京生まれで、1⒍歳の時、NHK音楽コンクールバイオリン部門第1位特賞を受賞し、桐朋学園音楽科在学中にプラハ音楽芸術アカデミーに留学し,チェコ演奏家芸術家賞を受賞し、メキシコを拠点に世界的に活躍してきた著名なバイオリニスとである。
その黒岩ユリ子が、今は千葉の外房の御宿に住み、「バイオリンの家」を開設したというので、氏の初期の著作『メキシコからの手紙―インディヘナのなかで考えたこと』(岩波新書、1980年)を読んでみた。

バイオリニストの書いた軽い読み物と思ったら、とんでもなく、メキシコのインディオの立場に立った文化人類学的な、しかもご主人のメキシコの原住民庁の一地方(ワステッカ)の所長としてインディオを支援する活動を支え、そのため共に暗殺や誘拐の危険にさらされ、それでも搾取されるインディオの立場に立ち、何ができるかを模索した苦闘の記録である。
インディヘナの子どもが学校で母語でないスペイン語で教育され、親元と疎遠になり、都会に出て金持ちの「女中」になるような進路しか得られない教育を広い観点から痛烈に批判している。教育とは母語も大切にし、育った地域も豊かにするようなものでなければならないということを事例から説得的に書いている。
「今日の地球上の俗に´第3世界‘と呼ばれる地域に住む人々が、先進諸国の 繁栄をささえているのは彼らなのだ、という事実も知らずに貧困生活をしているのを見ていると、自分は学者だからと言ってのんびり研究室にこもって(中略)満足しているわけにはゆかなくなってしまう」(45頁)
「学問というものが、学問のための学問ではなく、生きている人間に直接、今すぐにも何か益をもたらすものになることが、世界の現状を知っている学者に課せられた急務であるという考えに到達したからであろう」(45頁)
このように、今の多文化教育のあり方や学問のあり方に関しても、極めて的確なことを、具体的な体験の中から述べていて迫力があり、いろいろ考えさせられる名著である。(1997年に25版)

鴨川シーワルドへ行く

今日(3月30日)は天気がよく、車で房総半島を南下し、鴨川シーワルドへ。行きは外房を通り2時間、帰りは半島の真ん中を北上し1時間半の道のり。
2歳と4歳の子ども(孫)が生まれてはじめての水族館で、どんな反応をするのかを見てみたかった。シャチやイルカのショウ、そしていろいろな魚を見て、それなりに驚き、楽しんでくれたと思う。最初に、水槽を泳ぐたくさんの魚を見て、びっくりした表情をしたのが、印象的だった、

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柔軟な思考が大事(敬愛大学「教職の里程」原稿)

私は学部・大学院そして大学(武蔵大学、上智大学)に就職してからも教育学(正確には教育社会学)を学び且つ教えてきたが、それらは教育研究を目指していて、教育実践とは距離を置いていた。敬愛大学に6年前に奉職するようになり、はじめて教員養成や教育現場というものを意識するようになった。
敬愛大学こども学科に入学してくる学生は、小学校の教員になることを目指して入学してくるものがほとんどである。大学のカリキュラムも教員採用試験や教育現場向けのものが多く、学生たちは、教育現場や実践に役立つ内容が教えられる。敬愛大学の卒業生は教育現場に出て、即戦力として教える力を備えている。それは敬愛大学のメリットだと思う。
ただ、それは『教育工場の子どもたち』(鎌田 慧、岩波書店、1984年)と揶揄されるような狭いものであってはならない。
教育実践に役立つ技術や方法を学び、実質的にそれを身に付けることはとても大事なことである。しかし社会や技術が大きく変化していく現代にあっては、それだけでは足りない。大学で学んだ知識や技術はすぐ古くなり、また現在の教育現場で通用している考え方や方法は将来もそのままとは限らず、その時代にあった新しいものが求められる。それは、各自が自分の力で開発していくものである。
そのような新しいものを作り出す力(汎用的能力や技術)を、大学時代に身に付けたいものである。それは、限定された分野で通用する実践や技術ではなく、広い柔軟な視野で考え、新しい状況に対応できるものである。その際、先輩や同僚との協働も必要であり、その能力(コミニケーション能力)も養いたい。
大学の教養科目や専門科目、ゼミなど一見教職に役立ちそうもない科目こそ、実はこのような新しい柔軟な思考を養うものであることが少なくない。それが、専門学校と違う大学の特質である。
教育現場や学校の教師の置かれた環境は、狭いということも自覚すべきであろう。子ども相手に、教師は奢ってはならない。「よき教師」がよき市民とは限らない。狭い教師枠組みから脱した柔軟な思考が教師には必要である。
敬愛の学生には「明朗」「子ども好き」「人間好き」「イベント好き」「高いパホーマー」のものが多い。これに、堅実な教育に関する知識や技術、さらに幅広い教養が備われば、次の時代を担う素晴らしい教師が誕生する。皆さんの学びと成長を期待する。