出典が思い出せない

自分が研究から遠ざかっていると感じる時がある。その1つは、出典が思い出せないこないことである。昔原稿を書いている時、あるいは学生や院生の論文指導をしている時、そのことならこの文献のこのページとすぐ現物を提示することができた。それが今は、記憶が定かではなく、「確かあの本にあった」と思ってもあやふやで、さらにその本が散在していて直ぐには探せない。

9月7日の朝日新聞朝刊に作家桜庭一樹と文芸批評家鴻巣友季子の論争のようなものが載っていた(下記に新聞記事を転載)。そのような論争に関しては、小林秀雄や江藤淳という文芸批評家の存在をめぐり昔、誰かが明確な論を展開していて感心した覚えがある(その論は、作家と作品は別物で、作品を自由に解釈する文芸批評は独立の文学の分野として成立するいうものだったと思う)。それは誰がどこに書いていたのかが思い出せない。出典を明記できなければ、研究者として失格である。

追記 この二人の「論争」に関しては、知人の小林順子さんが、もとの小説(「少女を埋める」)の大部分と朝日の文芸時評がネットで読めると、ブログ(https://ameblo.jp/jubilee30/)で、紹介している(ブログを一部転載)。

<鴻巣友季子さんが朝日に書かれた書評を桜庭さんが猛抗議されていたので興味を持って読んでみました。桜庭さんの「東京ディストピア日記」もすごく感心したので(もちろんそれ以前の作品も好きです。才能ある方と思っております)。鴻巣さんの批評は朝日のサイトで読めます。/ (文芸時評)ケア労働と個人 揺れや逸脱、緩やかさが包む 鴻巣友季子:朝日新聞デジタル (asahi.com)/ 桜庭さんはこの論争のためにこの作品の7割を公開されています。/少女を埋める|桜庭一樹|note / すごく読ませる話です。7年口をきいてない母親から「父があぶない」という電話をもらい、故郷に帰り、父を看取り、葬儀を終えて東京での生活に戻るまでの自伝的な作品です。彼女がずいぶん若い時から、実家への出入りを禁止されていて、帰郷してもホテルにしか宿泊しませんが、どうしてそんなことになったのかは書かれていません。(以下略)>(小林順子)