立ち位置と主張の関係

世の中には、さまざまな論争がある。教育に関しても同じである。ゆとりvs学力重視、リメディアル教育vs学問、英語強化vs日本語重視等。
論争の主張を読むと、真逆のことを強く主張しているように思う。しかし、めざすところは同じ地点ではないかと思うことがある。
めざすのはゼロの地点だとして、現在マイナス10の地点にいる人(あるいは今の社会がマイナス10の地点にあると思っている人)は、プラス方向に向かうことを強く主張し、現在+10の地点にいる人(あるいは今の社会が+10の位置にあると思っている人)は、マイナス方向に向かうことを強く主張する。今向かうべき方向が、右(プラス)と左(マイナス)で、真逆の主張であり真向から対立しているようで見えるが、それぞれの立ち位置を考慮すると、目標地点は同じゼロ地点ではないないかと思うことがある。
たとえば、日本の教育改革が「ゆとり教育」に向かっていた時、アメリカの教育改革は「学力重視」に向かっていたことがある。それも対立した主張のようで見えて、受験競争の激化の弊害をなくそうと「ゆとり教育」に向かった日本の教育改革と、自由に走りすぎて学力が低下しそれを是正しようと「学力重視」に向かったアメリカの教育改革は、同じ地点(ほどほどのゆとりと学力重視=ゼロ地点)をめざしていたと、いっていいのでないか。

今日本では小学校への英語の教科化が決まり、英語教育に関して、早期から教えるべきか、また大学でも英語教育の強化を図るべきかをめぐって論争がある。
9月8日の朝日新聞の朝刊では、九州大学の施光恒准教授が「英語強化は民主主義の危機・分断を招く」と英語強化に反対の意見を述べていた。氏の略歴をみると英国の大学院卒とある。英語の得意な人だからこそ、このような英語重視反対の意見を強く言うことができる。多くの日本人は、英語に関してコンプレックスを持っているので、このような英語軽視の論を張ることはできない。無意識のうちに、自分の立ち位置に規定された発言(主張)になってしまう。主張(方向)だけでなく、発言者や社会の立ち位置も自覚する必要があるだろう。