学生にとっての教師

大学教師と学生との関係というのは、どういうものなのであろうか。
私の知り合いの80歳になる教育史の先生が、毎日神棚にお祈りするとき、恩師の名前を唱え、お礼を言うという。また、もう一人の80歳の先生は、学生時代に、指導教授が熱っぽく語った分野が今まだ気になり、これからさらにその分野の研究し本を1冊書こうとしている。
このように学生にとって、大学の教師、特に指導教授の影響は大きい場合がある。しかし、このような例は今は特異で、今は大学教師というのは、自分にいくつかの断片的知識を与えてくれた人、読むべき本を紹介してくれた人という程度ではないか。
今の時代、情報過多の時代なので、読むべき本や情報を提供してくれ、読んだり学んだりする方向を示してくれる、そういう先導者としての役割を果たす人が必要で、それを大学教師がはたしている。
 人が生きる上で、こういう先導者が重要なことを、ジラールや作田啓一が指摘しているが、教え子は、この先導者をすぐ追い抜き、尊敬が軽蔑や憐憫に代わることを、漱石の「心」の先生は明確に述べている。大学の教師たるもの、若い人を導き、追い越され、踏み台になる、それが大学教師の宿命と考えた方がいいと思っている。