中国の学生の優秀性と教育の卓越性

今回のセミナーに参加して感心したことの一つに、中国の学生の優秀さがある。
一つの部会の発表は、中国の院生と学生によってなされていた。そこでは、しっかりした日本語で、かなり高度な内容の報告がなされていた。 その発表テーマは、次のようなものである。

「推理と恐怖美―谷崎潤一郎の『途上』を中心に」
「自然の鎮魂曲―深沢七郎の「笛吹川」のテキスト分析」
「日本近代文学における『ハムレット』の受容―太宰治の『新ハムレット』を中心にー」
「日本近代文学における変身物語―動物変身を中心に」
「額田王の生身の実態について」

 中国の学生が、今の日本の大学生や院生が読んでいないような日本の小説、文学を読みこなし、それに論理的、感覚的な考察を加えているのは、驚きであった。
 そのような洗練された分析が、中国の学生によって、しかも日本に行ったことのない学生が、中国の大学の日本語教育だけで出来てしまうというのには、心底感心した。
 このような高度な考察が出来るのは、中国の学生の優秀性と教育の卓越性の他に、中国と日本の文化の共通性(中国文化の日本への影響)が、底流としてあることも感じた。欧米の学生では、ここまで日本文学への理解は進まないであろう。 中国の学生が日本語や日本の文学や日本文化を学ぶ意義を感じた。

中国の大学・学生の風景

中国の大学の学生達の様子を知りたくて、セミナーを途中に抜け出して、大学構内を歩き回った。
4万人の学生が通うという同済大学の構内はかなり広い。川や池のある庭園もあるが、全体にはそっけない構内である。一昔前の日本の国立大学といった感じである。端の方には学生寮もたくさんあり(1部屋に4~5人とのことであった)、窓の外には洗濯物が干してあって、美観を損ねていた(昔の東大の駒場寮のような佇まい)。
学生の食堂は、雑然としていて、混雑していて、日本の私立大学の食堂のように小奇麗というわけではない。
学生の服装はカジュアルで、女子学生に化粧気がなく、真面目な、日本の理系の学生という雰囲気であった。
これは、同済大学が日本の東工大と一橋を合わせたエリート校の位置にあるせいなのか、それとも、中国の大学には共通の佇まいなのか、今回は同済大学しか見なかったからわからない。