齢をとっても柔軟に

一般に齢を取ってくると、体力の衰えだけでなく、気力も衰えてくる。気力が低下すると、外に出かけるのも億劫で、人に会うのも面倒になり、引きこもり気味になる。

また柔軟性を失い、頑固になる。この頑固さには、気を付けたい。テレビで見ていると、それほど高齢ではないが、「家族の乾杯」の笑福亭鶴瓶(1951年生まれ)や「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平(1949生まれ)などは、年寄りの頑固さより、柔軟性(一種のボケ、判断保留)が勝っていて、見ていてほっとする。この二人から学ぶものは大きいと思う。内田樹は、年寄りの頑固さに関して、的確な指摘をしている。一部抜粋しておきたい。(blog.tatsuru.com/2019/04/15_1348.html

<では、「心の健康」とは何のことでしょう。それは「複雑化」ということじゃないかと僕は思っています。一線を引いて、悠々自適になると、態度に際立った変化が起こる人がいます。頑固になるんです。「頑固爺い」になってしまう。不思議ですよね。世の中の利害得失から超脱した身分になったはずなのに、そういう人ほど「言い出したら聞かない」し、「人の話を聞かない」ようになる。たぶん本人は「世の中の些事はもうどうでもいいくらいにオレは解脱しちゃったんだ」というふうに自己正当化しているのかも知れませんけれど、僕の見るところ、違います。この人たちは「複雑な話」をする能力がなくなってきているんです。複雑さを処理する基本のマナーは「判断保留」です。中腰に耐える、非決定に耐える、年を取るとそれができなくなる。体力気力が衰えると、はやく腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。オープンマインドとか「開放性」とかいうのも僕は同じことを指しているのだと思います。老人になって、現場を離れたことでまっさきに衰えるのは、この力です。自分をさらに複雑な生き物に進化させることで複雑な事態に対処するというソリューションが取れなくなる。むしろよりシンプルな生き物に退化することによって、事態をシンプルなものにしようとする。僕は「心の健康」というのはこのことじゃないかと思っているんです。老人になると、確実に身体は衰えます。でも、心は衰えに抗することができる。それは複雑化するということです。老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。自戒を込めてそう申し上げます。(内田樹「『善く死ぬための身体論』のまえがき」より一部抜粋)

藤原新也は、齢を取ると人の話に耳を傾けず、自分に入り込みようになり他者の話が耳に入らない「オタク傾向」に陥ることを警告している。




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