見田宗介「まなざしの地獄」について

社会学の論文にも後世に残る名論文というものがある。見田宗介「まなざしの地獄」雑誌「展望」(1977年)もその1つである。
私はその論文を昔、社会学や教育社会学のゼミでのテキストの1つによく使い、学生に社会学分析の醍醐味を味わってもらったように思う。
今回、その論文について、朝日新聞の記者が「時代のしるし」という欄で取り上げ、見田宗介へのインタビューもまじえて紹介している(2017年3月22日)
インタビューの中で、見田氏が社会学について、次のように述べているのが印象的であった。
<学生時代のぼくは、集団や社会を抽象的に概念規定したり分類したりするだけの社会学をつまらないと感じていました。社会とは、一人一人の人間たちが野望とか絶望とか愛とか怒りとか孤独とかを持って1回限りの生を生きている、その関係の絡まり合い、ひしめき合いであるはずです。切れば血の出る社会学、〈人生の社会学〉を作りたいと願っていた。>。
以下、朝日新聞(2017年3月22日)より転載。

(時代のしるし)差別社会、若者を絶望させた 見田宗介さん「まなざしの地獄」
ちょっと変わった経緯をたどった論文です。元々は1973年に雑誌「展望」に掲載されて、少数の若い読者の強い共感だけがあるという状態が続いていました。表題作として単行本になったのは35年後、2008年です。それを機に初めて広く読まれるようになりました。
1969年、市民4人を射殺した連続射殺犯として、19歳の少年「N・N」が逮捕されます。永山則夫さん(元死刑囚=97年執行)です。ぼくが衝撃を受けたのは71年、彼の手記『無知の涙』を読んだときでした。
N・Nは地方で極貧の子供時代を送り、中卒で上京しています。手記の表紙には、漢字練習帳の写真が載せられていました。逮捕されたあとに字を覚えようとして何度も何度も字を書きつけたものです。
ぼくも子供時代に貧困を体験し、大学時代は「学生スラム」とあだ名される宿舎にいた。N・Nの言葉に共鳴しました。また、読んでいくうちに「これでぼくが本来やりたかった仕事ができる」とも思いました。
学生時代のぼくは、集団や社会を抽象的に概念規定したり分類したりするだけの社会学をつまらないと感じていました。社会とは、一人一人の人間たちが野望とか絶望とか愛とか怒りとか孤独とかを持って1回限りの生を生きている、その関係の絡まり合い、ひしめき合いであるはずです。切れば血の出る社会学、〈人生の社会学〉を作りたいと願っていた。1人の人生に光を当て、その人が生きている社会の構造の中で徹底的に分析する。その最初のサンプルを提示するつもりで書きました。
N・Nにとって都市は、若者の「安価な労働力」としての面には関心を寄せても、その人が自由への意思や誇りを持って生きようとする人間だという面には関心を寄せない場所でした。また社会には、出身や所属によってその人を差別し排除する構造もありました。「思う通りに理解されない」ことにN・Nは苦しみ、他者のまなざしに沿って自らを変形させていきます。
あのときN・Nを絶望させたのは、彼の出身ではないと思います。絶望させたのは、出身で差別する社会の構造です。
ぼく自身の体験を振り返っても、貧しいこと自体より、「貧しい人間は○○だ」などとレッテルを貼られることのほうがイヤだという感覚が強くあった。社会にあらかじめ用意されている安易な理解の枠組みにあてはめられ、それによってぼくという存在が理解されたかのように扱われてしまう問題です。
「まなざしの地獄」でぼくはN・Nの「精神の鯨」とも呼ぶべき断片を紹介しています。彼が見た夢みたいな話です。
鯨の背の上で大海を漂流している「ぼく」は、飢えて鯨に「君を食べていいかい」と聞きます。鯨は「仕方無いよ」と答え、「ぼく」は鯨をほんの少しだけ、また少しだけと毎日食べていく。3分の1食べたところでひどいことだと気付いて謝るのですが、鯨はもう死んでいた。そのとき「ぼく」は、鯨は自分自身の精神であったということに気付く、という話です。
電通の24歳の女性社員が過労自殺した事件が昨年、注目されました。あのときぼくは、N・Nのこの話を思い出しました。事件自体はもちろん、伝えられる通り、極端な長時間労働で心身が消耗した結果なのでしょう。ぼくが思ったのは、その背後には数え切れないくらいの〈精神の過労自殺〉があるのではないか、ということでした。
現代の情報産業、知的産業、営業部門などで働く若い人たちが、やむをえない必要に追われる中で「仕方無いよ」とつぶやきながら、自分の初心や夢や志をちょっとずつちょっとずつすり減らし、食いつぶしている。そしていつか、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまっている。
「まなざしの地獄」は文学なのか、社会学なのか、哲学なのか、と尋ねられてきました。
近代の知のシステムは「文学」とか「社会学」とかいう様々な分類、壁を作って専門分化してきた。こういう壁は音を立てて崩れるときが来ると思っています。そのあとに現れる「人間学」のようなもの。その一環としてこの仕事が読まれる時代が来るといいな、と思っています。(聞き手=編集委員・塩倉裕)
みた・むねすけ 1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。自由で持続可能な社会の可能性を理論的に提示した『現代社会の理論』や、真木悠介名義の『気流の鳴る音』などで知られる。人間の解放や幸福を希求する感性と透徹した論理性が共存する独特の著作で多くのファンを持つ。朝日新聞で80年代に連載した「論壇時評」も注目を集めた。
■「まなざしの地獄」(1973年)
貧困の底から中卒で上京した少年(永山則夫元死刑囚)が市民4人を射殺した事件に向き合い、自由な存在であろうと願いながら果たせなかった一少年の実存を当時の社会構造に位置づけた名論文。少年の手記や社会統計の分析を通じて論考は、人を出自などで差別する都市のまなざしと、それを生み出す人々の「原罪性」に迫る。移民排斥問題に揺れる現代にも示唆的だ。73年発表。2008年、表題作として単行本化。

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