動詞構文で書く

大学受験の時の苦手だなと思っていた教科に関連することは、その後も敬遠してしまう傾向がある。私の場合、国語に関する苦手意識があり(なかなか、国語は(も?)試験でいい点が取れなかった)、その後言語あるいは言語学に関することは、スルー(敬遠)してきた。
でも、言語を社会や文化と結びつけて見る見方は、面白いかもしれないと思う。そのことを、昔読んだ本(作田啓一⁺多田道太郎『動詞人間学』講談社現代新書、昭和50年)再読して感じた。次のような、ことが書かれている(190〜201頁)。
 
 ・動詞が言語体系のなかで占める位置は、法律体系のなかでの刑法の位置に似ている。殺人、窃盗、誘拐、詐欺などの、犯罪と呼ばれる行為の種類は、民法上の権利義務のいちじるしい変化に比べると、相対的に固定している。
 (動詞は社会が変化してもあまり変わらない。それに対して名詞は社会の変化ととともに変わる。同様に、世の中には変化しにくいものと,変化しにくいものがある―武内)

・日本語の動詞は対象や状況によって強い拘束を受けない。(フランス語に近い。英語はその対極)たとえば、移動によって超えるものが川、海、廊下、世間、時間そのほか何であろうと、すべて「わたる」という1つの動詞が用いられる。
 (そのため、日本では、掛け言葉が発達した)。

・ヨーロッパの諸言語(とりわけ英語)では文章が名詞中心であるのに対し、日本語においては動詞が中心になっているという興味深い比較がある。そのちがいのために、邦訳のさいには名詞中心の構文を動詞中心の構文に変えなければならない。たとえば、「この事実の認識が問題の解決に貢献する」というのは名詞構文なら、「これがわかれば問題はすっと解決しやすくなる」とするのが動詞構文である(外山滋比古『日本語の論理』中央公論社)」。

 これらを読んで、欧米語を日本語に翻訳の際に、このようなこと(名詞構文を動詞構文に変える)ということが意識されているのであろうか疑問に思った。
 とりわけ、人文科学や社会科学の分野の翻訳が、読みにくいのは、名詞構文をそのまま直訳して、読みにくくなっているのかもしれないと思った。これでは、日本語のセンスのある人が、翻訳本を読まなくなってしまう。(文学は、そのようなことはないと思うが)。
 ただ、私(達)は、今、動詞構文が中心で文章を書いているのであろうか?

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