上野千鶴子『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』を読む。

手元には、昔読もうと思って買って「積読」になっている本がたくさんある。新型コロナ自粛のせいで、それらを少しでも減らせればうれしい。手の届くところにあった上野千鶴子『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店、2010)を読む。

私は「ジェンダーと教育」というテーマで、学生に1時間ぐらいは講義をすることはあるがその内容は、学校教育の世界には、管理職に女性が少ない、教科書の内容が男性中心である、教師の児童生徒に対する接し方に性差がある、生徒の役職や進路に性差があるなど男女平等ではない、それを直さなくてはいけない、ということを言うくらいで、それ以上、深い話にならない。

自分のジェンダー意識に関しては、それほど偏見はないと思うものの、どこか古い男性中心の考えに捕らわれているのではないかという恐れも感じている。正直、せっかくある男と女の違いを楽しめばいいのではないかという考えもある。そのような中で、ジェンダー研究の第1人者である上野千鶴子の本を読むのは、少し勇気がいる。この本を読んでみて、上野千鶴子の分析の鋭さと言葉の凄さに改めて感心した。フーコーはじめジェンダー研究者の理論が適宜紹介され、日本の文学者などを俎上に乗せ、その思想のミソジニー度を暴く手法は鮮やかで、目から鱗という部分が多くある。印象に残ったフレーズを書き出そうと思ったが、あまりに多くて、即座にはできない。今回は、ネットに載っていた感想をいくつか、書き留めるにとどめる。(https://bookmeter.com

・バイブルの一つ。フェミニズム専門書。フェミニズムを志向する際、必ず向き合わなければならないのがミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)だ。筆者上野千鶴子はこのミソジニー、とりわけ日本に蔓延るミソジニーを鋭くユーモアに溢れた知性と筆致で書き下す。今まで自明としていた世界観がどれほど他者を傷付け、それを正当化してきたか気付かされるからだ。

・こんな本が読みたかった!私が普段何気なくモヤモヤしている事や、悩んでいる事、苦しい事が、いつもの千鶴子節で見事に言語化されていて、ものすごいカタルシスを感じました私はミソジニーが完全に内面化されていて、それが苦しみの原因なのだという事は分かりました

・現代日本の男女関係が「ミソジニー」という概念から読み解かれている。 今までの疑問が氷解するような爽快感を覚えるとともに「え、そこまでは…」と引いてしまう記述も。・

・女は生きづらい。でもそういうものだろうという風潮。本著を読んでこれまで感じてきた曖昧な違和感に明確な言葉が与えられた。 女は男同士の連帯のための道具であり、その連帯から外れないために女を恐れる。それがホモソーシャルとホモフォビアとミソジニーだ。その構造から逃れて生きたいと思った。 女の価値は男に与えられるものと自ら獲得するものとがあり、その両方を兼ね備えなければ一人前と認められない

・男には女性蔑視、女には自己嫌悪という形で、男女の間で非対称に働くミソジニー。それを各種の文化的背景を考察しながら緻密に解きほぐしていく。その様は知的な刺激に満ちていて面白く、いくつかの面でハッとさせられた。吉行淳之介等の文学から男の性幻想を読み解くところや、ホモソーシャリティがミソジニーによって成り立ち、ホモフォビアによって維持されるという構図、娘が母から息子の役割を期待されて自責しミソジニーを発展させる母娘の関係は興味深い。男の一人として、色々考えさせられる面の多い一冊であった。

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