「教師にとってさびしい時代」

「教師にとってさびしい時代」という原稿を、半世紀前(1966年)に書いて、昨年出した『学生文化・生徒文化の社会学』ハーベスト社、2014年)に収録してある。

 そこでは、当時の学生が、「教授の権威やプライド傷つけることのないようにというやさしい心配りとモラルをもっている」が、「教師と深くかかわるより、自分の世界や友人とのつきあいを大切にしたい」という心情をもっている。「これは教師にとっては少しさびしい時代である」と書いた。(13頁) 

非常勤先の学生のレポートの末尾に、次のようなコメントがあった。

<教育社会学の授業では、受講前の想像をはるかに超える内容の興味深さでした。いつも楽しい講義をありがとうございました。> 

これをどのように読むのか。文字通り、講義に感銘してくれた(A)と、素直に取るのか。それとも「いい点がほしいから教員にお世辞を言っている」と取るのか(B)。(これは二者拓一ではなく、割合の問題かもしれない)

皮肉な見方をすることの多い社会学者はBと取り、素直な教育学者はAと取ることが多いかもしれない。私の場合はその中間なのだが、Bの見方をすること自体が、自ら「教師をさびしい存在にしている」のかもしれないとも思う。

 

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