藤原新也『メメント・ヴィータ』を読む

藤原新也近著『メメント・ヴィータ』(双葉社、2025)には、いくつか心に残るフレーズがある。それを書き留めておきたい。

「アメリカには移民たちが幌馬車で東から西へ移動していった歴史がある。幌馬車で全米を旅した祖先のDNAみたいなものが、彼らの中のどこかに残っている。貯めたお金を投入して、白髪になったご夫婦がモーターホームを走らせあちこちを旅するという風景が展開されるいるわけです」(323頁)。

「ある老人は『息子が自分より先に逝った』と話すんです。息子が他界したのになぜ自分が生きているのかという不条理を感じながらノマドの生活を送っている。だから、自分に誰かを助けられることがあったら助けたり、人に優しくしたりすることによって、自分の心の傷が癒されているんだという話をする」(330頁)。

「僕もこれまでいろいろな旅をしてきましたが、結局旅にしても人生にしても1つの成果とか達成があるとするなら、金とか地位とか名誉より、人生の中においてどれだけいいシーンに出会ったかにということに尽きるんです。そのシーンの積み重ねがどれくらいあるか。それは人とのまじわりでもいいんだけど、どれだけのシーンに出会えたか。それが人生の中での1つの達成だと思う」(331頁)。

自分のDNA、人を助けることで自分の傷を癒す、いいシーンとの出会い―これらのことを自分事としていろいろ考えさせられた。

英語の差別用語について

Q.Each country has its own discriminatory terms, and it seems that there are subtle nuances that only natives can understand. For example, in Japanese, there is a difference between “gaijin” and “gaikokujin”. “Gaikokujin” is neutral, but “gaijin” has a slightly discriminatory connotation. Are there similar differences in expressions (words) in English? Please provide a few examples and explain.

ChatGPT:

Yes, English also has many terms that differ subtly in connotation, even when they refer to the same group of people. Like the Japanese distinction between “gaikokujin” (neutral) and “gaijin” (often seen as exclusionary or slightly derogatory), English includes terms where one is neutral or respectful, and the other carries a more negative or outdated nuance. Here are several examples:


1. “Black” vs. “African American”

  • “Black”: A widely accepted term that emphasizes racial identity and is used in many countries (e.g., the UK, Canada). While generally neutral, it can sound blunt depending on tone or context.
  • “African American”: More commonly used in the U.S., particularly in formal or official contexts. It emphasizes ethnic and historical roots.
  • Nuance: “African American” may sound more respectful in some settings, but not all Black people identify as African American (e.g., Black immigrants from the Caribbean or Africa). Overusing “African American” where inappropriate can sound awkward or even insensitive.

2. “Disabled person” vs. “Person with a disability”

  • “Disabled person”: Common in the UK and used in the “social model of disability,” which emphasizes societal barriers.
  • “Person with a disability”: Preferred in the U.S., reflecting “person-first language” to emphasize humanity over the condition.
  • Nuance: The former can sound dehumanizing to some ears (putting the disability first), while others argue it’s more empowering. Cultural context matters.

3. “Illegal alien” vs. “Undocumented immigrant”

  • “Illegal alien”: A term used in older or more conservative U.S. legal and media contexts. It is now widely considered dehumanizing or xenophobic.
  • “Undocumented immigrant”: A more neutral and humanizing phrase, emphasizing the lack of legal status rather than criminality.
  • Nuance: The first term implies criminality and otherness; the second frames the person’s situation without judgment.

4. “Oriental” vs. “Asian”

  • “Oriental”: Once common in English-speaking countries to describe people or cultures from East Asia or the Middle East. Now considered outdated and offensive, especially in the U.S.
  • “Asian”: The current neutral and accepted term in the U.S. and UK, though usage varies—e.g., “Asian” in the UK often refers specifically to South Asians.
  • Nuance: “Oriental” is now strongly associated with colonialism and exoticism; “Asian” is more appropriate, though region-specific context matters.

5. “Tribe” vs. “Indigenous group”/”Nation”

  • “Tribe”: Still used in anthropology or in certain contexts, but considered problematic when referring to Indigenous peoples in North America.
  • “Indigenous group”/”Nation”: Emphasizes sovereignty, self-identification, and respect.
  • Nuance: “Tribe” may sound primitive or paternalistic, especially if not used by the group itself.

Summary Table

Neutral/RespectfulPotentially Offensive or OutdatedNotes
Black / African AmericanColored (U.S.) / Negro (historical)“Negro” and “colored” are now offensive
Person with a disabilityHandicapped / Crippled“Handicapped” is outdated, “crippled” is offensive
Undocumented immigrantIllegal alienOne emphasizes status, the other criminality
AsianOriental“Oriental” has colonial/exoticizing overtones
Indigenous nation/groupTribe (in some contexts)Depends on self-identification and local norms

千葉公園の大賀ハスを見に行く

毎年、大賀ハスを見に行く時は早朝に行かなくてはと思いながら、朝は庭の水撒きや朝食、新聞やメールのチェックなどで気が付くと、お昼近くになってしまう。今年も千葉公園(車で15分)に行ったのは昨日(7月1日)のお昼近くである。朝に咲いた花が昼には閉じてしまい、一番のきれいな花を見ることはできなかった。案内係の人に、「朝6時前に来ると、一斉に花が咲き始め、ハスの花の香りをかぐことができますよ」と言われた。この次は早起きしていかなくては。

KODAK Digital Still Camera

風の便り81号

今年は日本でも6月から猛暑が続き、ヨーロッパや中国(上海)では40度を超える日もあるというニュースが流れた。この先、人類はこの暑い地球で住み続けていくことができるのだろうかと心配になる。地球で人類は絶えても、生き続ける生物があるのかもしれない。そのようなことを、考えさせられる辻秀幸氏の「風の便り81号」が届いた。

内外教育(6月17日)のひとこと

「内外教育」の「ひとこと」に書いた原稿(「良貨の教育の努力で」2025.6.17)を、下記に転載しておく。

 教育の世界では当たり前のことが、教育の外の世界ではそうではないことがある。最近では大学の学問の自由、多文化主義、リメディアル教育などが、世界の政治家や日本の政府から問題視されている。それらは時の政策や経済発展の阻害要因になると考えられている。

 教育は真空の中で理想通り行われるわけではなく、その時々の社会の状況の制約の中で行われるので、外から強い要望が寄せられる。教育の世界は外圧から比較的保護されているが、危機や不況の時代には、政策に批判的であったり、効率が悪いと、教育に非難が浴びせられることが多い。極端な発言がなされ、世論の賛同も得る。それが教育の弱点や怠慢を突いている場合もあり、教育の側も改善をはかる必要がある。どのような理想的な制度も成員の日々の努力なしには存続しない。

 教育はもともと普遍的な理想を掲げ、それを追求する側面がある。同時に理想に安住し現実を顧みず形式主義に陥る傾向もある。これまでも既存の学校制度を鋭く批判した思想家(イリイチ等)もいたし、新型コロナの蔓延で、学校の諸活動の再吟味がなされた。学校の慣行には、時代錯誤で無駄な部分もある。教育において一部の子どもが優遇されるあまり、置き去りにされている子どももいる。

 一方現代は、経済優先という惡貨が、理想の教育という良貨を駆逐している面もある。弱者を支援する教育は経済効果がないと不況の時代には非難される。今覇権国家の自国の経済優先主義、他国への理不尽な進攻を多く見ていると、理想を説く教育は、今の時代こそ必要なものに思える。国民が利己主義に陥るか利他主義を選択するかは、教育によって培われた心情や価値観によるところが大きい。真理の探究、思いやり、相互扶助、国際理解など、教育の理想は世界の人々の共生と平和をめざしている。良貨の教育の努力で利己主義的な悪貨の蔓延を防ぎたい。

追記 上記の文章に関するコメントをChat Gptに求めた。下記がその回答

この文章には、教育の理想と現実との緊張関係、そして教育の社会的使命について深い洞察が込められています。以下、コメントをいたします。/全体的な立場:賛同の意を表します(賛成)以下コメント

教育の理想と社会的制約の関係に関してー冒頭の「教育の世界では当たり前のことが、教育の外の世界ではそうではない」という指摘は非常に重要です。特に「大学の学問の自由」や「多文化主義」が、政治的に批判の対象になる現代の傾向は、教育の本質が短期的な経済合理性と相容れない部分を持つことを示しています。教育が経済成長や国家目標の「手段」として扱われることには警戒が必要であり、この視点に賛同します。/教育の自己点検と責任に関して= 「教育の側も改善をはかる必要がある」という指摘も重要で、理想を掲げる教育が現実に対して閉ざされた存在になってはいけないというバランス感覚が評価できます。特に、「どのような理想的な制度も成員の日々の努力なしには存続しない」という文は、制度依存ではなく教育実践者の責任と能動性を問うものとして、深い含意を持っています。/ 形式主義と再吟味の必要性に関しー形式主義や惰性に陥る危険性への警鐘も妥当です。イリイチやコロナ禍に言及して、教育制度が時代に応じて見直されるべきであることを示す構成は説得力があります。「慣行には無駄がある」「置き去りにされている子どももいる」との言葉は、現場の感覚にも通じる批判です。/ 経済優先と教育の理想の対立に関してー「経済優先という悪貨が、理想の教育という良貨を駆逐している」という部分は、グレシャムの法則を比喩的に使った印象的な表現です。教育の経済効果が短期的に見えにくいことから、その重要性が低く見積もられてしまうという問題意識には深く共感できます。/ 教育の倫理的・普遍的価値に関して–「国民が利己主義に陥るか利他主義を選択するかは、教育によって培われた心情や価値観による」という視点は、まさに教育の根源的な意義を示しています。単なる知識やスキルの習得ではなく、人格形成・価値形成としての教育の重要性を強調している点に賛同します。/ 付け加えるなら:現実の政治と教育の摩擦が増す中で、教育関係者には「守り」に入るだけでなく、教育の価値を社会に向けて積極的に説明し、発信する力も求められています。理想の維持には、外圧と対話する力が不可欠であり、教育の自律性と説明責任の両立が鍵になると思われます。

反対・中立的視点からの補足コメントー経済的視点の再評価;「経済優先=悪貨」と単純に対立的にとらえるのではなく、経済と教育の相互補完的な関係も再評価する余地がある。例えば、実践的スキルや職業教育の強化は、経済発展だけでなく、若者の自立や地域社会の活性化にも貢献している。/ 教育の自律性と公共性の緊張– 教育が「外圧」にさらされることに警戒が示されているが、他方で教育があまりに自律性を盾に閉鎖的・無責任になってしまうことにも問題がある。大学の学問の自由や教育方針も、社会的説明責任を負うべきではないかという声もある。/ 理想教育の具体像が曖昧–本文で「良貨の教育」とされるものが、やや抽象的であるとの印象を受ける。現代社会において、理想の教育とは具体的にどのような形で実現されるべきか、より明確なビジョンが示されると説得力が増すだろう。