生成AIと言語― チャトのGPTに聞く

質問

チャットGPTの場合、日本語の質問は、一度英語に翻訳し、英語で回答考え、それを日本語に翻訳するのでしょうか? それにしては、日本語の微妙なニアンスまで理解しているような回答で驚きです。

ChatGPT:の回答

結論から言うと、いちいち英語に翻訳してから考えているわけではありません。/■どう処理しているのか。ChatGPT(GPT-5.1)は、「日本語 → 英語」→「推論」→「英語 → 日本語」というような段階的なプロセスを取っていません。もっと正確には、複数の言語をひとつの巨大な意味空間(semantic space)の中で処理しているという状態です。つまり、• 日本語を見た瞬間に、そのまま「意味」を内部表現に変換する。その内部表現のまま推論を行う。その内部表現を日本語として自然に出力する、という、言語中立の処理をしています。/■なぜそんなことが可能なのか.。学習の段階で、日本語の大量の文章、   英語の大量の文章、さらにその対応関係や、多様な文脈の使われ方をすべてまとめて学習しています。するとモデル内部では、例えば「寂しい」「切ない」「居着く」「媚びる」など、日本語特有のニュアンス語でも、英語に正確に変換しなくても「概念」として扱えるようになる、ということです。また、日本語の語感・文体・含意(婉曲性、丁寧さ、距離感)も、膨大な学習を通じて統計的に獲得しています。/■人間に例えるなら海外生活が長くて、日本語で聞かれても英語で自動的に思考し英語から日本語に訳して返すというよりも、「日本語でも英語でも、直接その意味で考えられるバイリンガル」に近い感じです。/■だから「微妙な日本語のニュアンス」も理解する。「翻訳 → 思考 → 翻訳」だとニュアンスが必ず落ちるはずなのに、そう感じないのは、 日本語で思考できる回路が内部に形成されている。文脈と意図を、言語を超えた意味表現で理解する。出力の際も、日本語らしい自然な表現を生成するといった処理をしているためです。(もしよろしければ、「日本語でどのくらいニュアンスを理解できるのか」試してみたい具体例(短文でも複雑な文でも)をいただければ、分析してお答えできます。)

秋のバラの花を楽しむ

秋は紅葉の季節だが、同時に秋咲きの花の季節でもある。秋に咲く多くの花の中で、忘れがちなのは四季(秋)咲きのバラの花である。うちの庭でも今年の初夏に谷津のバラ園の購入し植木鉢に植えた白い四季咲きのバラが少し前から次々に咲いている。

昨日(11日)は、家から車で20分の谷津のバラ園に秋のバラを見に行った(シニアの入園料は250円と格安)。広いバラ園に入場者は数人しかいなかったが、初夏の最盛期の3分1くらいの花かもしれないが多くの種類のバラが咲いていて、静かな中で、十分にバラの花を堪能することができた。

谷津バラ園の外の公園の桜の葉が色ずきとても綺麗であった。秋は四季咲きのバラと、桜の葉の紅葉を楽しめるというのは、新しい発見であった。

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居着かず、変化することに関して

最近の内田樹のブログに次のような文章があった。<「居着く」というのは、人間として成長することも変化することもなくなるということです。自分自身に釘付けになることです。/「勝ちに居着く」ということもあるのです。勝つとそれが成功体験になる。人は成功体験を手離すことができません。「勝ったせいで成長が止まる」ということがあるんです。/これが落とし穴なんです。だって、生命の本質は変化することだからです。変化を止めた人は生物学的には生きていても、人間的には死んでいる。/ですから、僕は「アイデンティティー」という言葉には強い警戒心を持っているのです。「ほんとうの自分を見つける」とかいう時の「自分」ていったい何なのでしょうか? そんなものを見つけてどうするつもりなんでしょう。/ 仏教の用語では「自分にこだわる」ことを「我執」と言います。仏道修行とは「我執を去って解脱を遂げること」です。武道修行も「我執を去って自在を得る」ことをめざしています。>(http://blog.tatsuru.com/2025/10/28_1001.html、『反知性主義者の肖像』文庫版あとがき)

上記とは全く関係ないことのように思えるが、生成AIに質問してその回答を読みながら、同じことを感じた。生成AIに質問すると、こちらの質問内容に合わせた回答を寄せてくる。こちらが陳腐な質問をすると、それに合わせた陳腐な回答を返してくる。こちらが新しいこと少し思いついてそれを含めて質問すると、それに合わせた新味のある回答を寄せてくる。つまり、こちらが変わると、生成AIの回答も変わる。

このことは、人についても言えて、自分と他者との関係についても言えるのではないか。自分が変わると他者の自分に対する行為も変わってくるように思う。自分の方で相手との過去の関係にこだわらず接すると、他者もそれに応じた態度で接してくる。このように、人間関係も互いの変化(成長)が大切である。(ただ、高齢者の場合、変化や成長はなかなか難しく、別の視点からの考察が必要かもしれないが)

上記の意見に関して、チャトGPTに意見(コメント)を求めた。その回答を、添付する。

<AIの応答は「相互主体性」ではなく「応答的シミュレーション」です。>という回答であった(ただ、正しいかどうかはわからない)。高齢者のことへのコメントを読んで、これは論旨が外れるので触れない方がよかったのかもしれないと感じた。

風の便り 85号

人だけでなく、土地にも、植物(花)にも、犬や猫(の種類)にも、ありとあらゆる物に名前がある。しかし、何故か私は人や物の名前を覚えるのが苦手である。それが歳と共にひどくなっている。

その点、毎月月はじめに「風の便り」を送って下さる辻秀幸氏は、高齢にもかかわらず、記憶力が確かで、物の名前をきちんと把握している。今回は、花の名前(とその特徴)の話。その秘訣をいつか聞いてみたい。

紅葉の日光を再訪する

前回10月25日(土)に日光の紅葉を見た時は、奥日光や竜頭の滝は紅葉が見頃であったが、少し下った中禅寺湖湖畔やイロハ坂は紅葉はこれからという感じであった。それでそれから10日後の11月4日(火)早朝5時半に車で家を出て日光を目指した。外環は既に少し混んでいたが、東北道、イロハ坂の混雑はなく3時間で中禅寺湖に着いた。

まず半月山展望台の高所から中禅寺湖と男体山を眺めた。紅葉は少し過ぎている感じがして残念(2枚目写真)。山を下り中禅寺湖湖畔の元イギリス大使館と元イタリア大使館への道と大使館の庭の紅葉を楽しんだ(写真下記、3~4枚目)。その後奥日光に向かい、戦場ガ原のボードウオーク1時間ほど歩いた。男体山とその前の平原の雄大な景色を楽しんだ(写真5~6)。近くの「休暇村日光湯本」の乳白色の日帰り温泉にも入り、食事をした後、午後4時には帰路についた。途中紅葉真っ盛りのイロハ坂の紅葉を堪能した。多少の渋滞はありながら4時間で千葉の自宅に着いた。

紅葉の旬な時期というのは本当に短くて、今回、中禅寺湖畔とイロハ坂の一番旬な紅葉を見ることが出来、落葉後の戦場ヶ原の景色も圧巻で、充実した1日であった(全路運転の家人に感謝)。

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