悪夢

幼い頃や小学生の頃、怖い夢をよく見たように思う。その内容はよく覚えていないが、次に怖い夢を見た時はほっぺたを抓り、目を覚まそうと思うのだが、夢の中で抓っても一向に目が覚めないで閉口した。

最近も時々怖い夢を見る。それは入学試験が迫っているのに勉強がはかどっていないという夢や、大学の授業の時間なのに遅刻して学生を教室に待たしている夢や、講義の時間がまだたっぷりあるのに講義ノートは白紙で何を話して時間を潰していいのかわからず途方に暮れる夢である。いずれも、夢から覚めホットする。他の人はどんな夢を見ているのだろうか。昔苦労の多かった祖母が、よく夢でうなされ、苦しそうなうめき声をあげていて、よくゆすって起こしたことを思い出した。そのようなことのないことを願う。

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ネクタイは時代遅れ?

最近の私は、千葉の自宅の周囲3キロくらいが生活圏で、バスに乗ることはあっても、電車に乗ることもない。一昨日(9月12日)、日本教育社会学会が東京(西巣鴨)の大正大学で開催されるというので、朝の通勤時間に電車に乗った。

学会なのでラフな服装というわけにはいかず、背広にネクタイで行こうと考えたが、あまりの暑さに上着は間際で家に置いて、ワイシャツにネクタイという服装で出かけ、電車に乗った。

途中で車内を見渡しで、びっくりしたのは、ネクタイをしているのは私だけで、乗客の男の全員が私を除き皆ノーネクタイであった。それは、稲毛から乗った総武線快速の乗客だけでなく、東京の地下鉄の車内もそうであった。いつの間に、人々の服装は変わってしまったのか、と驚いた。 学会に行ってみると、私のようにまだネクタイ姿の時代遅れの人(大学教員)もいて、少し安心したが。

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千葉と台風

昔小中学生の頃、市川の平屋の古い家に住んでいて、台風が来ると雨戸が壊れたり雨漏りがするというので、親は雨戸に板を打ち付けたり、雨漏り対策に洗面器やバケツを用意したり、停電に備えてローソクを用意したりで大変であった。それでもいろいろ被害があり、台風は恐いという印象がある。近くに川は流れていなかったので水害(床下浸水等)というものはなかったが、溝の水が溢れ長靴でなければ外は歩けないということはよくあった。中学生時、国電の下総中山駅からお茶の水駅に通う総武線の窓から、水浸しになった江戸川区(亀戸近辺)の街並みをよく見た記憶がある。

その後、千葉は台風の被害はほとんどなく、そんなに備えはしなくても大丈夫という気持ちを持っていたと思う。今回の台風では、明け方の四時過ぎに、千葉市に上陸したとのことで、大変な暴風で、屋根が吹き飛んだり、木が折れたり、停電になったり、断水したりした。私の住んでいるところは、停電が30分だけだったので(それも不意を突かれ、慌てたが)、助かったが、ニュースで報じられているように、房総半島の大半は、停電、断水、交通のマヒが続き、困った人が多かった,今も困っている人が多いと思う。

千葉市に住んでいる私のところにもたくさんお見舞いのメールをいただき、恐縮した。30分間の停電以外何の被害もなく、変わらない日常を送っている。千葉県で災害に合われた家や人の一日も早い修復を願う(修復の遅れは、木々の倒れではなく、多くの電柱の倒壊によるという説もあるwww.fujiwarashinya.com/talk/)。今後に備え、懐中電灯、ろうそく、飲み水などの用意はした。皆さんも気をつけて。

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歌手と社会階層

ロックバンド・オアシスの紹介に、「ファッションにおいては、ウインドブレーカーやジャージといった労働者階級の普段着を着て、ライブやインタビューに臨んでいた。」という記述があり(https://ja.wikipedia.org/wiki/)、興味深いと思った。

私たちはバンドや歌手のファッションに関してあまり関心を払っていないように思う(少なくても私はそう)。音楽性や歌詞の内容ではなく、ファッションに注目して、音楽を聴く(見る)のも一つの見方だと思った。

その際、高級な服を着ているのかどうか、ファッションセンスがいいかどうかということではなく、社会階層(階級)やジェンダーといった社会学的な観点からの考察も興味部深い(多分、もうなされていると思うが)。

クラシック音楽の独奏者(女性)が、高級なパーティドレスで登場するのは、上流階級の表象かもしれない。日本のフォーク歌手やロック歌手さらにはアイドルグループのファッション(服装)は、どの階層のものなのであろうか。試しに、吉田拓郎の映像から、そのファッション(服装)を見て、階層帰属を考えてみよう。

https://www.youtube.com/watch?v=n8OUm1rtS8A

このように、ものごとの本来の目的や機能とは別の観点から考察するというのは社会学の強みであろう。上野千鶴子がコマーシャルをジェンダーの視点から分析した『セクシーギャルの大研究』や、ジェイクスピヤの戯曲をジェイクスピヤの女性観という観点から分析するなど、出来ることはいろいろある。

<追記> 教員の服装はどうであろう。教員らしい地味な服装という点では共通だが、小中高大の教員では微妙に違っている。大学教師の場合、日本では男はスーツ・ネクタイ着用が多い。アメリカの大学教師はそのような背広・ネクタイ姿少なくもっとカジュアルである(私が昔UWで授業を受講した世界的に有名な教育学者のアップル教授やポプケビッツ教授はいつもジーンズ姿であった)。この日米の差はどこから来るのであろうか。大学教師の階層帰属は?

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齢をとるということ- -新しいものに目がいかない

研究者が書く原稿は、自分が書きたいと思ったテーマや内容で書くものと、外から依頼されて書くものある。優れた(あるいは幸運な)研究者はこの2つが一致しているのかもしれないが、多くはこの2つは乖離している。したがって前者は大学の紀要などに書き、後者は依頼先に書くという使い分けをする場合が多い。

依頼されたテーマの原稿を書くための資料探しや勉強で、自分の視野や知識が深まったという場合も少なくない。しかし、それも齢をとってからは無理かもしれない。高齢になると、昔から馴染みなもの、昔から好きものばかりに目が行き、新しいものに目がいかない。それは、趣味の領域でもいえて、新しい分野に挑戦できない。読む本や聴く音楽についても言えるであろう。

私の場合今短いものだが依頼された原稿があって、締め切りが迫っているので、早く指定された本を読んで感想を書かなくてはならないのだが、なかなかそのことに集中できない。つい、関係のないことに目が行き、時間を潰してしまう。パソコンに向かい、何か文章を書こうと思うのだが、過去のメールを読んだり、誰かのブログを読んだり、you tube を見たりして、肝心の原稿書きが進まない。

昔の教え子がOasisの曲がいいと言っていたので、Oasisの曲をyou tube ではじめて聴いた。もっとハードなロックかと思ったら、ジョン・レノンの曲に似ていて歌詞にも訴えるものもあり、悪くはないと感じたが、何せ昔聴いていないので、すぐには馴染めない。先週WoWowで予告を見た吉田拓郎の方が、昔よく聴いたのでスーと入ってくる。画面の右に、「レ・ミゼラブル」の曲(On My Own)が出ていたので、思わずそちらをクリックして聴いてしまった(「レ・ミゼラブル」は私が唯一海外で観たミュージカルで、音楽も印象に残っている。-「ミス・サイゴン」と「マイフェア・レディ」もアメリカで観たことを思い出したが、音楽は記憶に残っていない)。とてもいい曲と歌手だなと思って、その歌手(上白石萌音)の他の曲を聴いて見たが、期待とは違った(もっとこのよう歌を歌ってほしかった。-探せば歌っているのかもしれないが)。それだけ、自分の感受性が老化しているのであろう。

池澤夏樹が書いているように「老いては若きに席を譲ろう」ということが必要かもしれない、と思った。

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