チョウ(蝶) のつがいについて

うちの庭に遊びにくる猫(ジョバンニと勝手に名前を付けている)は、暇なのかよく、花に舞うチョウチョウを狙い、ジャンプして前足でキャッチしようとする。
残念ながら私は見ていなかったのだが、一昨日、娘が猫とチョウの攻防を目撃して、驚き報告してくれた。
つがいのアゲハチョウが仲よく舞っていた時、その猫は地上高くジャンプして1匹のチョウを前足でキャッチし地上におりた。もうそのチョウはだめかと思った時、もう一匹のチョウが舞い降りてきて猫の周りを飛び、それに気を取られ、もう一匹のチョウを捕まえようとし、猫はキャッチした前足を離し。そのすきに(捕まっていた)チョウは飛び立ち、2匹とも無事だったという。
よく動物の母親が、子どもを守る為に、自分のみ身を危険にさらすという話や映像を見ることがあるが、チョウがつがいの為に自分の身を挺するという話は聞いたことがないように思う(実際、生物学の文献を調べれば、あるのかもしれないが)

この話は美談だが、これを人間に当てはめるとなると、問題が生じる。
「私は妻の為に、危険をかえりみず、助けにいけるのか?」。「あなたは私の為に命の危険を冒してくれるのか?」皆心構えとしては、そのように思っているであろうが、瞬時にそのような行動をとれるのかどうか。夫婦やカップルでこれを話題にすると危険なような気がする。

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授業の記録(6月23日) 教育原論(第11回)

敬愛大学「教育原論」第11回(623日)の講義内容を記録にとどめておきたい。

テーマは「発達について」。受講者はこども教育学科1年生の半分で38名。その全員が出席で、出席を取っているとはいえ、全員が出席とは驚く。

テキストの参照箇所は、第3章の「子どもの発達から教育を考える」(藤埼春代氏執筆)。この章は、前半は心理学の立場から、ピアジェやガードナーやウイゴスキーの発達理論が精緻に説明されていて感心するが、1年生には難し過ぎるので、そこは今後の心理学の授業で学んでもらい、後半の「二次的ことば」や「教室ルール」といった教育(社会)学的なところを理解してもらい、さらに発達に関するプリントを配り、自分のことにも引き付けて考えてもらった。

乳幼児期は、「アタッチメント」と言われる「特定の人との間に形成される心理的な結びつき」(エリクソンのいう「基本的信頼」)が、大切なこと。これを欠いた子どもはその後の人間関係で苦労すること。そのような子どもに対しては、教師がそれを補う必要のあることを説明した。

青年期のアイデンティティー形成には、①自分の中に保たれる斉一(同一)性と、②それを他者が認めてくれることの2つが大切なこと。それには、青年期の通過儀礼(イニシエーション)も大きな役割をはたしていることを説明した。 

  リアクションは、下記。リアクションの5から8に関しては、周り尾の人と意見を交換してもらい、二人ずつ黒板に回答を書いてもらった。受講生の回答は、プリントから抜く出した抽象的なものが多く、身近な次元まで、あまり考えていないいことが感じられた。 

教育原論 第11回 リアクション(6月23日)  発達について                       (テキスト 第3章 p26-35)

1 前回のリアクションを読んでの感想

2 「二次的ことば」(33ページ)、「教室ルール」(34ページ)と何か。

3  発達とは何か  (配布プリントより理解できたところを書き出す)

4  乳幼児期に発達の上で、大事なことは何か(「こころの育ちと家族」プリント左側参照)

5 児童期の「発達課題」は何か(ハービガストの理論から現代の児童期を考えるー 小学生の時期にできるようにしておかなければならないことは何か)

6 青年期の「発達課題」1  - 高校生の時期までに、発達して、できるようにしておかなけれればならないことは何か。(周囲の人とも話し合う)

7 青年期の「発達課題」2 - 大学時代に、できるようにしておかなければならないこと(「発達課題」)は、何か。(周囲の人とも話し合う)

8 青年期にアイデンティティーを確立するためには、何をすればよいか。「アイデンティティーが確立する」とはどのような状態をいうか(「こころと家族」青年期の部分最後のところ参照)

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聴覚文化から視覚文化へ

粉川哲夫『都市の使い方』の中に、街を目隠して歩くと、いろいろな音が聞こえてきて聴覚が研ぎ澄まされるという記述があり、印象に残っている。同様に目の不自由な人は、健常者以上に、聴覚からさまざまなことを感じる能力に優れていることであろう。最近、アテネパラオリン大会のマラソンの金メダリスト高橋勇一氏より、「講演で学校の教室に入ると、目で見なくても、その教室の雰囲気が各教室で全く違うことを感じた」という話を聞いた。

上記は、聴覚文化がいかに大事かという話であるが、時代は逆に、聴覚文化から視覚文化の方に、あるいは複合文化の方に動いているように思う。

音楽でいうと、オーケストラ、独奏、独唱、合唱にしてもクラシックが段々人気がなくなりつつあるのも、聴覚優位のクラシックが今の時代に合わなくなっているのではないか。音楽のCDが売れないのも、同じ理由で、聴覚だけに訴える音楽はもう時代遅れなのかもしれない。クラシックも視覚に訴える工夫をする必要があるであろう。今の時代の音楽は、音だけでなく視覚重視で、ダンスや多彩な映像が混合した複合メディア満載で、テレビ。You Tubeを通して人々を楽しませているように思う。

そのようなことを、『感覚文化論』という本の書評を読んで感じた。 (以下朝日新聞6月25日朝刊より一部転載)

(書評)『感性文化論 〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史』 渡辺裕〈著〉
『感性文化論 〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史』
■聴覚より視覚優位へと認識転換
戦後のある時期まで、鉄道の案内の多くは聴覚を通してなされていた。車内では車掌が、駅のホームでは駅員が次の駅や乗り換えなどを肉声で放送し、客はそうした声に耳を傾けた。車掌の語りそのものが一種の職人芸と化すこともしばしばあった。だがある時期から車内やホームに電光掲示板が普及するようになり、放送は録音された短いものに変わるなど、視覚の占める比率が高まった。
本書を読むと、聴覚優位の文化は1964年の東京オリンピックの頃にはまだあったことがわかる。それをよく示すのが、開会式を中継したNHKのラジオとテレビの放送である。当時のテレビは白黒が主流で、ラジオを聴く人々の割合がいまよりも高かった。ラジオではアナウンサーが美文調のレトリカルな表現で人々を引きつけたばかりか、テレビの実況中継にすらラジオとよく似た特徴を認めることができた。
こうした聴覚優位の文化は、戦前から受け継がれたものであった。NHKラジオには、有名な合戦や野球の早慶戦をアナウンサーが実況する「架空実況放送」という番組まであったが、66年には終わっている。ラジオから白黒テレビへ、そしてカラーテレビへとメディアの主役が移り変わるなかで、聴覚優位から視覚優位へと感性文化のパラダイムが徐々に転換していったのである。< 評・原武史(放送大学教授・政治思想史)>

しかし、逆に今の時代、聴覚に特化した、聴覚を研ぎ澄ますことが求められているのかもしれない。

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関東地方も今日(6月21日)は、雨。これからしばらくは雨が続きそう。 雨は少しうっとうしくても植物には恵みの雨。それに貯水池の水不足も心配だし。 子どものように、雨を楽しみたい。 IMG_6749IMG_6757IMG_6782

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教育原論 授業記録(6月16日)

教育原論(敬愛大学1年生対象)の授業(教育原論、第10回目)の記録を残しておきたい。

学生に書かせたリアクションは下記。

教育原論 第10回 リアクション(6月16日)  教師について
番号       氏名
1 前回のリアクションを読んでの感想
2 教師には、「教育技術」と「子どもへの思いやりや熱い思い」のどちらが必要か。(両方の場合は、 教育技術(  /10)対(思いやり(  /10)、(向山洋一参照)
3 「教職症候群」(清水義弘)を読んでどう思うか。教師にどのような資質や心構えが必要か。
4 親方・徒弟関係(19世紀以前)のような関係は、現在の学校の教師・生徒関係に何か残っているか。現代の教師がそのような関係を再現するためには何をすればいいのか(宮沢康人「学校を糾弾する前に」参照
5 高校教師の現況に関するデータから何が言えるか(教師と生徒の距離や教師の年齢にも注目して)(武内清「高校教師の特質」参照)
6 教師は「自己実現系ワーカホリック(働き過ぎ)」に陥る危険性はあるか。それはなぜか( 本田由紀『軋む社会』参照)
7チームとしての学校(テキストp97-98、以前配布プリント)は、教師の多能化をなくすることができるか。
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授業はいつものように、配布資料やテキストを使い、学生がそれを読み、私の説明も聞きながら理解し、自分の意見をリアクションに書く形式。 授業内容は、教師の側面の一面への言及に過ぎないが、教職志望の1年生が教師の本質を理解し考えるものになればと思った。

授業に先立ち学生に「どんな教師になりたいか」を聞いてみると、「子どもの気持ちに寄り添う先生」「一生懸命やる先生」という回答が多かったが、「どんな医者に診てもらいたいか」と聞き、向山洋一の文章を読んでもらった(NO1)
清水義弘先生の30年も前の指摘(「現代教師のカルテ」)が30年後の今も古くなっていないのに驚いた(NO2)。
宮沢康人先生の、親方―徒弟関係から教師―生徒関係に転換する19世紀のバウンズの描く半身の靴屋の図は、現代の教師の困難さを見事に描き、深く考えさせられる論稿で、学生に歴史的視点の見事さを感じ取ってもらいたかった(NO3)
武内清「高校教師の特質」は、教師になる人と生徒がいかに違う人間(性格)か(高校時代の過ごし方で検証)ということと、教師は年齢とともに人間嫌い生徒嫌いになっていくという現実を、データから知り、それへの対処法を考えてほしいと思った(NO4)
本田由紀『軋む社会』は、自己実現系ワーカホリックの奉仕型に教師も当てはまることを理解し、やる気や奉仕性ばかりでは、教師は務まらないことを知ってほしいと思った。

講義者(私)の思いが、どの程度学生に伝わったのか。それは学生の書いたリアクションペーパーの記述(内容)からうかがえる。
他の大学の学生(特に偏差値の違う学生)にも同じような話をしたら返ってくる反応が、どのように違うのか(違わないのか)試してみたい。(それは、大学進学率が高くなったことの意味を問うものになると思う。)

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