入試の民間試験、学校の英語教育について

英語教育のことはよくわからないが、今話題になっていることについて、記録に残しておこう。
今の英語教育では、4技能が大切で「聞く」「読む」「書く」だけでなく、「話す」ことも重要といわれている。(下記参考参照)

入学者選抜改革における英語4技能の評価
<中央教育審議会では、平成26年12月22日の第96回総会において、「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)」を取りまとめました。その中における英語関係を抜粋したものは以下の通りです>
<真に使える英語を身に付けるため、単に受け身で「聞く」「読む」ができるというだけではなく、積極的に英語の技能を活用し、主体的に考え表現することができるよう、「話す」「書く」も含めた4技能を総合的に育成・評価することが重要である。「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」においては、4技能を総合的に評価できる問題の出題(例えば記述式問題など)や民間の資格・検定試験の活用を行う。また、高等学校における英語教育の目標についても、小学校から高等学校までを通じ達成を目指すべき教育目標を、「英語を使って何ができるようになるか」という観点から、4技能に係る一貫した指標の形で設定するよう、学習指導要領を改訂する。>(4skills.jp/education/innovation.html)

それで、大学入試でも、「話す」能力を試験しなければいけないということで、それに、民間試験が使われることになっている。
ところがその民間の基準がまちまちで、どうやって統一基準を定めるのか難しくなっている。
文部科学省は、「欧州言語共通参照枠」(CEFR)により、民間試験の基準を統一できると言ってきたが、どうもそれは疑わしい、と鳥飼玖美子先生が日経新聞(9月17日、朝刊)に書かれている。(添付参照)。

さらに、民間の試験だとその試験が厳正に行われたかの検証もどこかで行わなくてはならないであろう。意図的なでなくても、コンピューターの計算ミスなどもあるだろうから、その検証も必要である(最近も、英検で間違いが指摘されている)。

https://www.eiken.or.jp/association/info/2018/0918_cbt.html

50万人もの受験生が受験する試験に民間試験を取り入れることは、個々の大学が民間試験を取り入れるのとは次元が違う(鳥飼先生からご指摘いただいた)。
民間試験の導入はどのような経緯で決まったのであろうか。そこには利権がらみで決定したということはないのであろうか。

英語を「話す」ことが、英語の3技能(「聞く」「読む」「書く」)さえできれば、その基礎の上に簡単にできるということであれば、そんな曖昧な「話す」能力を大学入試で計る必要もないであろう。また、英語を「話す」教育は学校でそんなに重視しなくても、必要があれば人は学校外で自然に学ぶであろう。ーこれは従来型の考えだと思うが、その真偽を実証的に検証する必要もあろう(確かに、日本人で英語を話せる人は少ないが、それはこれまで英語を話す必要がなかった人が多いからで、必要に駆られた人は話せているのではないか?、など)

大学入試の英語の試験をどうするかということは、日本のこれからの教育のあり方を左右する大問題であろう。慎重に検討してほしい。
大学入試の英語をどうするかということは、日本の小中高大の英語教育のあり方を根本的に考えるところからなされねばならない

参考
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瓢箪(その3)

家の出窓のひさし代わりに植え,蔓を伸ばしていた瓢箪であるが、その蔓を伝わり蟻が上に登り始め、途中で切らざるを得なくなった。
その為、瓢箪が十分な大きさに成長しなかったのは残念。
それを塀の上に並べて飾ると、通る人がニコニコしながら見て通る。
瓢箪にはその形からしてひょうきんなところがあるのであろう。
NHKの「あさイチ」(9月21日)のバックにも、瓢箪が飾られていた。
人生には、無意味なもの、ひょうきんなものも必要のように思う。

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カズオ・イシグロ『浮世の画家』を読む

カズオ・イシグロ『浮世の画家』(AN ARTIST OF FLOATING WORLD)(早川書房2006年)を読んだ。
イシグロの初期の作品で、舞台は日本の戦後で、主人公は戦前に名声を博した画家。比較的読みやすい内容。
ただ、戦前に戦争気分高揚に加担するような絵を書いたのではないかという主人公の自己阿責が主要なテーマで、出版当時のイギリスでは受けたかもしれないが、今の日本で読むと、そのような戦争責任論は今の時代のテーマではなく、少し、退屈。
「訳者(飛田茂雄)あとがき」が、ポイントを的確に掴んで書かれていて感心した(308〜309頁参照)。

「読書メーター」(https://bookmeter.com/books/424692 )より、比較的自分の感想に近いものを、転載する。

太平洋戦争の最中、国威をあげるために働いたと思われる画家の、戦後の生活の中で、自己批判というか、自己憐憫を思わせる心の揺れ。人は、時代の流れに簡単に揺り動かされる

客観的な描写が無くて、本当はどうなの?と最後までモヤモヤしてしまう。いつも、カズオイシグロの作品はこんなんですよね。 敗戦で、価値観が変わってしまった中で自分の過去をどう正当化すればいいのか悩んだり、周りに対してどういう態度をとればいいか迷ったり…でも、まわりはそんなに彼を意識してない?いたたまれない気分になる。

父、師匠からの独立。子供と弟子との精神的・物理的離別。浮世絵だけやっていたため、時勢に流された。自説と時説の混同。@挫折を味わった老人の独善、自己呵責、その克服と、新しい前向きの人生の探究という、内面的葛藤のドラマをみごとに描ききった。

現在進行中の話に、過去の出来事が交錯し、登場人物のキャラや関係がわかってくる。「遠い山なみの光」と同様、戦争前後のパラダイムシフトが大きく影響していて、人々(特に主人公)の逡巡が見て取れる。何があったか、何が原因でこうなったのか、など細かい理由は語られておらず、読者の想像に任されている。父親と娘、という設定が小津映画を髣髴とさせるが、藤田嗣治が戦争をモチーフにした絵画を作成したことも思い出したりした。過去の自分を正当化するのも否定するのも、どちらも辛いだろう…。

滑稽にすら思えるほどの「時代エゴイスト」の語り手。やるせないカタルシス。外から見た敗戦国ニッポン。井の中の蛙はいつも落とし所を用意してもがき苦しむ。シニカルで滑稽で。久しぶりに好もしい作品に出会った。

カズオ・イシグロの自己欺瞞に対する厳しさと優しさはこのデビュー作から一貫している。

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高齢者は日々どのように過ごしているのであろうか?

高齢になり、現役を引退してからの毎日の過ごし方をどのようにすればいいのか、迷うことが多い。他の人はどのようにしているのだろうかと思う。

私の場合、あまり学校や大学の同級生や職場の元同僚の先生に会う機会がないので同世代がどのように過ごしているかの情報交換ができない。
高齢者が同級生や元同僚に会うと、その時の話題は3つあるという。①健康や病院通いのこと、②年金やお金のこと、③孫のこと、-何か、話題が狭く、さびしい。
私の場合、テニスや卓球で一緒する高齢者は多いが、そこでの話題は、そのスポーツのことに限られる。今テニスでは、大坂なおみや錦織圭のこと、卓球ではラケットのラバーのことなどが話題になるが、それ以上の話題に発展することはない。

私の周囲の大学教員の先輩たちは、私より高齢にも関わらず、研究意欲が旺盛で、次々文章や論文を書かれたり、本を出版されたりする方が少なからずいて、敬服の念を禁じ得ない。

中央教育研究所の理事会でご一緒している鳥飼玖美子先生(立教大学名誉教授)より最近のご著書『子どもの英語にどう向きあうか』(NHK出版新書、2018.9)をお送りいただいた。
これからの子どもの英語教育に関して心配している母親たち向きに書かれた本であるが、その点に関する示唆的なことが語学や心理学や教育学の知識に裏打ちされながらわかりやすく書かれている。
それだけでなく、日本の英語教育導入をめぐる明治以来の英語教育史が詳しく書かれている。大変感銘を受けると同時に、いろいろ歴史的なことを学んだ。

昔「モノグラフ高校生」の調査でお世話になった深谷昌志先生(静岡大学名誉教授)は隔月で奥様(深谷和子先生)と研究会を開催され、ニュースレターを配信されている。
その中に深谷先生は、毎回、教育に関する古典のレビューを書かれている。それを読ませていただくと、自分がその教育学の名著を読んでいないことを恥ずかしくなり、今からでも読まなくてはならないと思う。
今回のニュースレター60号では、斎藤喜博の本が紹介されていて、是非読まなくてはと、感銘を受けた。その一部を転載させていただく。

子ども問題の本棚から 27
斎藤喜博 「可能性に生きる」 文芸春秋 昭和41年      深谷昌志
 本書は1952(昭和27)年から11年間、群馬県佐波郡島村(現在・伊勢崎市境)の「島小学校」の校長をした斎藤喜博(1911年~1981年)の自伝である。しかし、斎藤喜博が「島小」を去って半世紀、没後40年近くなると、「島小」も「斎藤喜博」も忘却の彼方となりつつある。しかし、教育実践の歴史の中で、一時期バイブル視もされたこの書とその背景を改めて読み直してみることにした。
○「島小詣で」をする人たち
本書によれば、「11年間に1万人近い人が、じかに自分の目で、島小の教育や島小の子どもや島小の教師を見た」という。特に赴任の翌年(昭和28年)に、斎藤が東大の宮原誠一研究室と提携して「全村総合教育」を推進したので、太田尭(東大教授、教育学会会長)や丸岡秀子(農村婦人問題などの評論家)などの著名人が島小を訪ね、村を活性化させている。さらに、「世界」(岩波書店)が、「村の小学校―島小学校の記録(昭和35年4月)」を特集しただけでなく、「文芸春秋」(昭和37年7月号)は、新進の芥川賞作家・26歳の大江健三郎が島小の実践を2日間見学したルポルタージュ・「未来につながる教室 群馬県島小学校」(後に書籍化)を掲載している。もちろん、斎藤喜博自身も「学校づくりの記」(昭和33年 国土社)などの著作を表しているが、こうした動きを背景として、「島小」は戦後の民主教育の聖地のような感じとなり、島小詣でをする教育関係者が跡を絶たなかった。(中略)
「太造じいさんとガン」の事例は、斎藤が赴任して8年が経ち、島小では教員集団にありがちな閉鎖性が打破され、教員間に教材研究を切磋琢磨する態度が定着したことを示している。船戸も赤坂から刺激を受け、学級の35人の「ひとりひとりのノートをたんねんに」読むようになる。「子どもたちは、どこかによいものを持っていた。ノートのすみにも、自分を出していた。私はその小さな子どもの考えを引き出しては授業をすすめた」という。斎藤は、教師たちにいつも、どの子も良さを持っている。その良さに気づき、良さを引き出すのが教師の使命だと説いている。「可能性に生きる」である。そして、斎藤の指導を受けて8年、前述の文章は、船戸が斎藤の理念を身につけたことを示している。(中略)
斎藤は、「くだらない形式的な通達や指示などはほとんど無視していた」。「8回もやった公開研究会も、教育委員会などには一度も案内を出さなかった」。そうした意味では「公立学校であるのに一つの独立王国だった」と回想している。教育学的に見て、理想に近い学校論だとは思う。(以下 略)

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「中枢型」モデルから「離散型」モデルへの移行

NHKBSで.『最後の講義「生物学者 福岡伸一』を少しだけ見た。脳死の考え方を批判し、人の体について,部分部分だけでなく全体でみる必要がある、たとえば部分の損傷を別の部分が補うように働くというような部分間の関連性や全体性のこと指摘していたように思う。
これは、有機体説とかホメオスタシス(homeostasis)の考え方に近いように思う。社会学で言えば、構造機能主義、均衡理論である。都市に当てはめて考えると、都市もそれぞれの機能を分担して、また全体の統一を保つように働くように作られていると考える。
それに対して、アメリカの強大都市ロスアンジェルスは、この理論では説明できず、アメーバーのように液状化(?)して広がり、分担も統一もない特徴をもつ  ーこのような論を昔読んだ覚えがある。

有機体のようなホメオスタシス的な均衡や中枢の存在を想定するのか、それともそのような全体や中枢がなく、離散型で部分部分の勝手な動きや自律性を想定するのかで、いろいろなことを考える際に違ってくる。

コンピューターの世界の考えは、前者から後者への歴史的な転換があり、社会のエネルギー政策も同様の考えに立つべきという、内田樹氏の考えには、とても興味を惹かれた。(ブログ blog.tatsuru.com/2018/09/07_0838.html より一部転載)

<コンピュータの場合は、IBM的な中央集権型コンピュータシステムから、1970年代にアップルの離散型・ネットワーク型コンピュータ・システムへの「コペルニクス的転回」があった。
あらゆる情報をいったん中枢的なコンピュータに集積し、それを管理者がオンデマンドで商品として配達して、独占的に設定された代価を徴収する。そういう情報処理モデルが時代遅れとなった。今、情報はネットワーク上に非中枢的に置かれて、誰でも「パーソナル」な端末から自由にアップロード・ダウンロードできる。「中枢型・商品頒布型」モデルから「離散型・非所有型」モデルへの移行、これはひろく私たちの世界の「基本モデル」そのものの転換を意味している。
IBMモデルからアップルモデルへの移行は「情報」そのものの根本的な定義変更を含んでいたからだ。
この基本的趨勢はもう変えることができないだろうと私は思う。たぶん、エネルギーもそうなるべきなのだ。
テクノロジーの進化は、当然電力においても、パーソナルなパワープラントとその自由なネットワーキングを可能にした。環境負荷の少ない、低コストの発電メカニズムの多様で自由なコンビネーションによって、「電気は自分が要るだけ、自分で調達する」という新しいエネルギーコンセプトが採用されるべき時期は熟していたのである。電力においてもIBMモデルからアップルモデルへの、中枢型から離散型へ、商品から非商品へのシフトの技術的な基盤はもう完成していたのである。
そのシフトが果たされなかった。旧来のビジネスモデルから受益している人々が既得権益の逸失を嫌ったからである。原発は彼らの「切り札」であった。国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、発電が原発中心である限り、離散型・ネットワーク型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらないがゆえに採用されたのである。>

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