卓球のチキータについて

 卓球の国内の試合をテレビで見ていたら、チキータという言葉が盛んに出てきた。打ち方の1つのようだが、参加している「卓球愛好会」でそのような言葉をあり聞かない。卓球愛好会で卓球の上手なNさんにチキータのことを尋ねたら、理論(原理)的なことから、打ち方まで親切に教えてくれた。理論的なことと言えば、卓球はどのような力学的なメカニズムで球が飛ぶかということで、高校時代の物理の授業を思い出し、興味深かかった。チキータは、上から落ちてくる球を下でラケットで受け止める下回転サーブやツッツキとは逆に、球を台の上でバウンドさせその上がり際をラケットを台に平行にして、バックで肘を突き出しその反動で打つ手法だとのこと。タッ,タッという素早いリズムと、力まない柔軟な打ち方が必要とのこと。何回か練習させてもらったが、球がネットしたり、あらぬ方向に飛んで行ったりで、なかなかうまく打てない。いつかこの技法を会得したい。

 ネットでも、チキータに関して調べた見た。(下記がその一部)。(table-tennis-information.com/ping2/pong8.html)

卓球における台上技術チキータは現代卓球における王道テクニックかつ必須テクニックです。その打球の性質や打ち方、コツを理解して積極的に練習するようにしましょう。チキータというのは手首の反動を利用した横回転のバックフリックのことを指しています。シェークハンドの専売特許のような技で、十分に手首を曲げてバックハンドにより横回転をかけながら払うフリックです。相手の回転に影響されずらい打ち方なのでレシーブに重宝されます。この打法はチェコで最も有名な卓球選手ピーター・コルベルが生み出しました。チキータという名前は、横回転によりボールがバナナのような軌道を描いてカーブすることから、世界的に有名な「チキータバナナ」の名称をとり「チキータ」という名称になったそうです。チキータのメリットは、強烈なサイドスピンがかかっているので、相手が返球をミスする確率が高くなります。またバックよりに返ってくることが多いので次の攻撃にもつなげやすいです。チキータのコツは、肘を軸にして、ラケットの先が下に向くくらい思いっきり手首を曲げることですね。中途半端だとネットにひっかかります。手首の筋力が必要になるので日頃からの練習で鍛えておく必要があるでしょう。インパクトの瞬間はラケットの先端が時計回りに孤を描きながら左後ろを向いています。またチキータが上手い選手として中国の樊振東や張継科がいます。彼らは横回転系のチキータと逆横回転系の逆チキータによる非常に攻撃的なレシーブを得意としています。

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初々しさについて

歳をとってくると一層のこと、初々しさに惹かれる。人は達成に馴れ、社会に認められるようになると、いつの間にか初心を忘れ、傲慢になり、初々しさが薄れていく。そのようなことは、我々が日常生活でよく感じることである。幼い子どものしぐさや表情を見て心を動かさられるのもその初々しさからである。さらにそれは芸能人やタレントでも顕著に表れる。

最近注目されている歌手・女優に上白石萌音がいる。鹿児島県出身で、第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』で審査員特別賞を受賞し、映画「君の名は」のヒロインの声優を演じて注目された。最近のテレビドラマ「恋はつづくよどこまでも』(TBS)では、修学旅行中に一目見た医者にあこがれ看護師を目指すヒロインを演じていている。彼女の素朴さ・初々しさが買われての抜擢であろう。その初々しさ(謙虚さ)は、下記の動画にも表れており、今どきこんな若い女性もいるのかと驚く人も多いと思う。今後はどのように変わっていくのであろうか。

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野良(地域)猫について

野良猫(地域猫)が自由に闊歩できる地域は、人々の許容度の高い住みやすい地域である(野良猫度がその地域の住みやすさの指標になる)というようなことを藤原新也が言っていた。それならうちの地域はそれに当たり、「住みやすいのかな」と思う。うちにも地域猫が毎朝夕に4匹、餌を食べにくる(餌は、固形の猫餌+煮干し+鰹節)。庭の片隅の発砲スチロールにも1匹寝ている。ただ、うちで猫を飼っているという意識はなく(多少、無責任な感じはするが。避妊の手術は皆近所の人と一緒に協力して済ませているので問題はない。)野良(地域)猫が勝手に寝に来たり餌を食べに来たりしていると思っている。少し困ることは庭で勝手に用をたすのでにおいがすることである。それを嫌って柵を作ったり、餌をやることを敵視する近所の人はいる。

もう一つ、冬になると困るのは、庭に来る鳥(特にメジロ)を猫が捕まえることである。先日も2匹のつがいのメジロが、(家の発砲スチロールに寝泊まりしている)猫(名前はジョバンニ)に殺された。今日もその猫が一匹のメジロを捕まえて、自慢げに見せに来た。そのメジロは傷ついているがまだ息があったので、娘が手の中で温め、バナナを近づけたら嘴を動かした。傷ついた野生動物の保護や治療の方法をネットで調べ,電話でも問い合わせているうちに,残念ながらメジロは生き絶えた。安らかな表情をしていたのがせめてもの慰め。庭の隅に丁寧に葬り花を添えた。この猫(ジョバンニ)にはまだ野生が残っていて、このように鳥を捕獲しようとする。猫は犬と違って躾ができない(?)動物なので、厳しく叱るわけにもいかず、どうしたものかと思っている(庭に来るメジロには好物のミカンなど用意せず、見たら追い払うようにしているが)

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写真のこと

何かをなす時、そのことの基本をきちんと学んでからやるのがまっとう方法だと思うが、面倒くさがり屋の私は、そのような方法をとらない。とにかく自己流にやってみて、途中で生きずまり正当な方法を学びたくなったら習う。年取ってから始めたテニスや卓球もそうで、テニスはさすがに基本が大事でいろいろ教わってきたが、卓球は自己流にやっても何とかなると思ってきた。しかしここに来て限界にぶち当たり少し誰かに基本を習いたいなと思うようになってきた。(ただ卓球は、テニスと違い教えてくれるところが少ない)

写真はデジカメなどでよく撮るが、一眼レフなどできちんと撮ることをしたことがない。カメラの絞りやシャッタースピードの理論を学んだ方がいいとは思いながら、いまだ偶然に頼りシャッターを押し、結果だけを見るので、一向に進歩がない。その為写真を見る目も養われず、いい写真かどうかの判定もできない。私が評論などをよく読む藤原新也は写真家でもあり、時々写真展やクローズサイトのメンバーに自身の写真を廉価で配布したりしているが、いい写真かどうか(あるいは好きな写真かどうか)の判定ができず、購入したことがない。

最近写真のことで一つ疑問に思うのは、集合写真と自然や人のスナップ写真の違いである。この2つは、どちらが写真として正統なのであろうか。それとも写真の2つの潮流なのであろうか(これも少し調べればわかることなのかもしれないが、わざわざ調べる気が起こらない)。藤原新也の写真を見るともちろん後者が多いが、会員制のサイトにはよく藤原新也を囲んでの集合写真が掲載されていることが多い。集合写真というのは、記念にはなるかもしれないが、写る人は人為的に写真用の顔を作るので、写真の芸術性からいうと何の価値もないのではないか。なぜ写真家の藤原新也がこのような写真をブログとはいえよく掲載するのかわからない。いつか聞いてみたい気がする。

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吉本隆明の本で印象に残っていること

私も若い時、同時代の他の人と同様、吉本隆明の著作をたくさん読んだ。今その中で印象に残っていることを思い出すと、3つくらいのことがある。1つは、吉本が壇の上から講演をしていたいたら、下でヤジを飛ばす輩がいた。吉本は腹に据えかねて壇を降り、その輩と殴りあったというエピソードである(確か『情況』)。ここには当時の大学教授など知識人が偉そうなことを壇上から述べるだけで、壇を降りて行動しようとしないことへの批判が込められていたように思う。2つ目は、雑魚取りの網を持つもの(「雑魚・ザコ」)が、身を弁えず大きな魚を獲ろうとする愚かさを指摘していたものである(多分「著作集」のどこかあった)。有名になった芸能人が偉くなった気で、政治的社会的な発言をする愚かさを批判してのことだと思う(今はそれが当たり前になっているが)。3つ目は、芥川龍之介の自殺が時代思想的なものではなく,作家として生き詰まった文学作品的な死であるという指摘。芥川は、抜群の能力により出身の下層階級から上の階層に飛翔したが、育ちと違う階層の文化に耐えられず、創造力が枯渇して地に落ちたという解釈である。

第3のことが一番心に残っていて、私は教育と社会移動のことを学生に説明する時、使ったりしているが、最近読んだ本で全く同じところ(芥川の出身階層をめぐる葛藤)に注目している人がいて驚いた(鹿島茂『吉本隆明1』平凡社、2009)。育ちや育った時代がほぼ同じなのであろう。ただ、一つ気になるのは、このような時代的な出身階層の話は、今の若い世代に、うまく伝えられないのではないかということである。今は格差社会と言われながら、皆ある程度豊かな中流の生活を送っている中で、社会階層の移動や葛藤の話はピンとこないのではないかとも思う。

吉本隆明の文章を読んでいていつももう一つ感心したことは、ものごとの核心を短い言葉で的確に言い当てることである(キャチコピーのよう)。たとえば、「倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ」*という言葉など。これは「良心と倫理の痩せくらべをどこまでも自他に脅迫しあっている」左翼を痛烈に批判した言葉だと思う。これは、今でも左右に限らず、またマスコミでも多いように思う。

*「着たきりスズメの人民服や国民服を着て、玄米食と味噌と食べて裸足で暮らし、24時間一瞬も休まず自己犠牲に徹して生活している痩せた聖者の虚像が得られる。そしてその虚像は民衆の解放のために、民衆を強制収容したり、虐殺したりしはじめる」(『情況へ』宝島、1994=鹿島pp.417-9

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