村を育てる学力 vs 村を出ていく学力

 敬愛大学の教育社会学の授業では、第13回目に「地域社会と教育」をテーマに講義メモを作成し配信した。下記は、その一部

 <これは、個人的な問題だけでなく、地域社会の盛衰の問題でもあります。高校卒業後、生徒たちが地元の大学や学校や企業や自営業に留まってくれれば、地域の活気が保たれますが、地元を出て別の地域や都会に移動してしまうと、その地域の人口が減少して、活気がなくなり、財政的にも邁迫して、地域社会が衰退していきます。/昔子どもたちに「村を育てる学力を育てるのか、村を出ていく学力を育てるのか」という問いがありました。現代でも、若者の都会志向と地元志向の相克は続いています(授業資料13-2参照)>

 敬愛大学のこども教育学科の学生は、千葉県の高校出身者が多く、将来は千葉県の小学校教員になりたいと思っているものが多い。教育社会学の講義メモの中で、「教師として、地域社会を維持発展する学力や態度を育てますか(A)、それとも、育った地域を出て広い世界で活躍する学力や態度を育てますか(B)」という問いを学生に課した。この質問に、どのように答えてくるのか?これからその解答を読む。

生成AIにもこのことを聞いてみた。その回答を下記に転載する。<質問 「村を守る学力か、村を出る学力か」 「生まれ育った地域を守る学力か、地域を出る学力」かのジレンマが、学校にはあると思いますが、これからの教育でどちらが必要ですか?>

ChatGPTの回答ーこれは非常に興味深いテーマで、教育の目的や地域社会のあり方を問う重要な問題ですね。このジレンマについて考える際には、いくつかの視点からアプローチする必要があります。/1. どちらも重要であるという視点―「村を守る学力」と「村を出る学力」は対立するものではなく、補完的であると考えることができます。村を守る学力は、地域の文化、歴史、伝統、自然環境を理解し、それを次世代に継承する力を育むものです。これは、地域のアイデンティティを強化し、持続可能な地域社会を作る上で重要です。村を出る学力は、広い世界で通用する知識やスキル、柔軟な思考力、異文化理解力などを指します。これにより、地域外で活躍し、さらには地域に新しい視点や資源を持ち帰る可能性が高まります。現代の教育においては、どちらか一方に偏るのではなく、両方のバランスを取りながら育てることが求められます。/2. グローバル化の影響―現代社会では、グローバル化が進み、都市部に人材や資源が集中する傾向があります。そのため、「村を出る学力」を優先する必要性が強調されることが多いです。特に、若者が地域外での経験を通じてスキルを磨き、成長する機会を得ることは重要です。ただし、その過程で地域を軽視するような状況が生まれると、地域の衰退が進むリスクがあります。/3. 地方創生の文脈―日本では地方創生が重要な政策課題となっており、地域を活性化するための人材育成が急務です。この文脈では、**「村を守る学力」**が再評価されています。たとえば、地元で起業したり、地域の資源を活用して新しい産業を生み出したりする能力が必要とされています。/4. 今後の教育の方向性―教育が目指すべき方向性として、以下のような点が挙げられます:「両方の学力」を育てる統合的な教育プログラム-①地域の課題をテーマにした探究学習や、地域資源を活用したプロジェクト型学習を取り入れることで、地域への理解を深めつつ、問題解決能力や批判的思考力を養うことが可能です。②地域と外部をつなぐ力を育てるー地域をベースにしながら、外部の人材や知識を取り込み、新しい価値を生み出す「つなぎ手」の役割を担う力が重要です。③個人の選択を尊重する柔軟性―すべての子どもが同じ進路を歩む必要はなく、それぞれの興味や適性に応じて選べる環境を整えることが必要です。/ 結論―未来の教育では、「村を守る学力」と「村を出る学力」を二分化せず、**「村と世界を行き来できる学力」**を育てることが求められるでしょう。地域に根ざしつつ、広い視野で新しい価値を創造する人材を育成することが、地域社会の持続可能性と個人の幸福を両立させる鍵になると思われます。

七十にして心の欲する所に従いて矩を踰(こ)えず

<『論語』の中に「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」とあります。/ 『論語』の口語訳によると、「先生がいわれた。わたしは15歳で学問に志し(志学 しがく)、30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、60になってひとのことばがすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」となっています。>(https://www.uenolog.info/kotoba/01kotoba226.html

上記の文章を読んで、今から二千五百年以上の前の孔子の洞察が今に時代にも通用することに驚いた。同時に現代のそれぞれの年代の心境はどのようなものかと考えた。特に、高齢化社会になり、70代、80代の高齢者はどのような心境で生きているのであろうか?

『現代の教育課題を読み解く』目次

 (中央教育研究所 研究報告NO103、2024.12.25)https://chu-ken.jp/pdf/kanko103.pdf

第 1 章 これまでの調査報告書と今回の報告書の概要 武内清

第 2 章 「自分英語(マイ・イングリッシュ)」の世界を創造する 加藤幸次

第 3 章 中高英語教員養成の課題についての一所見 井上茂 

第 4 章 コロナ危機と1人1台PCが問う日本の公教育の優位性と脆弱性  馬居政幸、  米津英郎 

 第 5 章 「総合的な学習・探究の時間」が挑む公教育再構築の課題と可能性 馬居政幸

第 6 章 中学校・高等学校教員が抱える探究活動における課題 谷田川ルミ

第7 章 小4教育の改革と小中一貫教育 村瀬光生

第 8 章 「令和の日本型学校教育」の実現のために  遠藤宏美

第 9 章 青少年の自尊感情と生きづらさを巡って  腰越滋

第10章 沖縄の子どもたちの学力と教職員の病休率の関連性 西本裕輝

第11章 キャリア教育の理念と現実 大島真夫

第12章 外国人の学びの状況と包摂的な教育の必要性 角替弘規

第13章 異文化との出会い-中国の食、働く、教育の文化- 秦政春

第14章 ソーシャル・キャピタルの形成と生涯学習  新井郁男

第15章 「教育にひとこと」から教育の課題追究へ 望月重信

第16章 最近の教育社会学の文献(本)を読む  武内清

第17章 生成AIは、現代の教育問題にどのように答えるのか  武内清

第18章 現代の教育課題の教育社会学的考察  武内清

第19章 2020年代の地方短大の文化的特質   浜島幸司

第20章 「日本の子ども」研究:文献考証による課題  望月重信

コラム  英語教育の課題についての一所見 (新井郁男)、人間としての在り方生き方教育の推進(村瀬光生)、 報道されない沖縄の学力最下位 (西本裕輝)

『現代の教育課題を読み解く』(研究報告NO103)の刊行

公益財団法人「中央教育研究所」の私達のプロジェクトの「現代の教育課題を読み解く」が発刊された(総ページ168頁、発行日、2024年12月25日)。

 内容は下記のような20章からなり、16名の執筆者が、自分の関心のあるテーマで考察を深めた論稿集となった。現代の教育課題に、新しい視点を提示したものと自負している。 扱われたテーマは、下記。

英語教育(2章、3章)、教育DX(4章)、探究活動(5章、6章)、教育制度改革(7章、8章)、生きづらさ(9章)、教員の病休率(10章)、キャリア教育〈11章〉、異文化間教育(12章、13章)、教育言説(15 章、16 章、18章)、生成AI(17章)、短大教育(19章)、子ども研究(20章)

全文は、https://chu-ken.jp/pdf/kanko103.pdf で読めるので、是非ご一読を乞う。

「高祖敏明先生叙勲をお祝いする会」

昨日(1月11日)、「高祖敏明先生叙勲(旭日重光章)をお祝いする会」は、上智大学2号館5階食堂で、上智大学教育学科と同窓会の主催で開催され、私も出席させていただいた。高祖先生とは、私の20年間の上智大学勤務の折、学科の同僚としてご一緒させていただいた。

高祖先生は、上智大学の理事長、短大学長、聖心女子大の学長も歴任され、政府の審議会にも多数参加されている。大学の理事長、学長の時も、教育学科の授業やゼミも他の教員と同様に担当され、教育指導を熱心になさっていた。今回の会は学科の教員他、学科の元教員や同窓生も多数(100名以上)が集まり、和やかで盛大なお祝いの会であった。その会で特に感じたことが2つ書いておきたい。

1つは、ながく上智大学の中心にいらした高祖先生の飾らないお人柄の影響が大きいと思うが、上智大学の教員や学生たちの性格が穏やかで、我の強い人がいないのではないかということである。他の大学(特に東大)では違っているであろう。高祖先生からは、「この受章は個人へのものというより上智大学へのもの、今日の会は同窓生の集まりになればうれしい」という出席者への配慮に充ちたご挨拶があった。お祝いを述べた加藤幸次名誉教授、杉村美紀次期学長のお話も、謙虚で心打つものであった。会は華やかでありながら、とても上智らしい心温まる会であった。

2つ目は、私も多くの同窓生と久しぶりの再会でいろいろ話すことができたが、大学生にとって昔習った大学教師というのはどのような存在なのだろうかと考えた。「先生も昔とあまり変わりませんんね」「先生もお元気そうでよかったです」と言ってくれる卒業生が多く、とにかく、「元気に生き続けてくれればいい」と思ってくれていると感じた。齢取った教師をいろいろ気遣ってくれて、元教師としてはこのような会は居心地のいいものと感じた(これに甘えてはいけないが)。