電子版 『教育、大学、文学、ドラマ、日常―教育社会学的考察‐』(2022.9)

読み物は印刷媒体と電子版のどちらがいいのであろうか。今回、上記の題の印刷冊子(ブログからの転載の内容の第4弾)を、何人かの知り合いに送付させていただいた。丁寧な礼状や返信をいただいた方が多く、印刷媒体のありがたさを感じた。住所がわからず、メールで電子版をお送りした方もいる。こちらは返信が少なかった。

印刷後、いくつかの誤字脱字も見つかっている(下記)。 誤字脱字を訂正した電子版の全体を、下記に掲載する。

訂正した箇所

 57ページ 11行目、13行目 大学教育 → 大学研究 /  64ページ 下から3行目~ 65ページ 2行目まで → 削除 /  73ページ  6行目 ようである。→ 削除 /  106ページ106ページ  6行目   振替え → 振り返っ

この冊子に関する私の知り合い(先輩、友人、知人等)からの感想を一部転載させていただく。

・この題目の何という広さ。そのすべての局面を「教育社会学」がカバーしている(Te)/・なかなかユニークな読み物という感じで、前半の学校教育については確かにその通りという感じのところがありました。後半のエッセイは自分自身の問題でもあるようで、さらに面白く感じました(S)。/・広範な領域に関心をもたれて、それを苦労の跡もなく書かれていることに驚嘆いたします。書評もエッセイも回顧録も読みやすく簡潔に書かれています。肩の凝らない冊子ですが、読んでいるうち内容の濃さに気がつきます。多様な解釈を若い世代にアピ一ルすると思います(M)。/・開拓されている領域は、「大学、学校教育、文学、韓国ドラマ、・・・」といったようにいまや途方もなく他領域へ進出している教育社会学がアプローチ可能と目される領域です。旧来の方法では解決できない問題が見えて来るでしょう。それだけ困難だし、創造性も必要になるのだと推察されます(A)/・押しつけがましさがなく、お人柄がよくあらわれていて爽やかです。ますますのご健筆を祈ります(T)。

秋晴れ続く

このところ千葉(関東)では、いい天気続きで過ごし易く有り難いが、野や庭の植木や草木にとっては大丈夫なのか少し心配になる。今年は庭の皇帝ダリヤの木が大きくなり蕾をつけているので(6107)、水やりに気を遣っている。(追記 11月22日の様子6271)

近くの海岸(検見川浜)には、カモメも帰って来ている(下記)。桟橋では老人たちが釣りを楽しんでいる(6086)。千葉でも新型コロナな第8次の波が心配されているが、自然はいつものままなので、私達も気を付け、健康に暮らしたい。

『風の便り』49号

いつも送ってくれる辻氏の「風の便り」の49号はいろいろな貝の特集で、知らないことがたくさん書かれていた。ハマグリに似た「ホンピノスガイ」は安く、美味しいという、いつか食べてみたい。

最近、貝との出会いは少なくなっているように思う。1つは、昔は稲毛や幕張の海岸(長い砂浜)で、アサリやハマグリを採る潮干狩りをした覚えがあるが、今は埋め立てられ貝は採れなくなっている。また、汚染された(?)東京湾の貝を食べる気がしなくなったということもある。

50号も貝のことなので、追加する。

「上智河口湖ハイム」で秋を楽しむ

このところ、ホテルや日本風の宿に泊まってきたので、少し趣向の変わったところに泊りたくて、別荘風のところに泊りに出かけた(10月28日~31日)。これまでも数回利用した「上智河口湖ハイム」である。

上智河口湖ハイムは、上智大学の理事の方が、自分の別荘を大学に寄付したもので、教職員と学生の為の宿泊所になっている。それは、富士桜高原別荘地の一角に建つデンマークハウスで、広いリビング、木目の床、壁、家具、薪ストーブと,癒しに満ちている空間である。 土地の広さは500坪くらいあり、寝室は6室、それに書斎、浴室2,トイレ3,広いリビング、DK、ベランダと広く、25人が泊まることができる。過去に、ここで、研究合宿や学部のゼミ合宿をしたことがある。

今回は娘の家族と6人で泊り、別荘風の生活を楽しんだ。周囲の多くは個人の別荘で、どれも土地や建物は広く、お金と意匠を凝らしたものである。その建物と庭を見て回るだけでも、心が癒される。別荘地内の紅葉も綺麗であった。日本が格差社会であることも実感できる。

近くの河口湖では、ロープウエイに乗り、またモーターボートにも乗り、富士山の雄姿を眺めた。河口湖の紅葉祭りには少し早すぎたが、別荘風の生活を家族で楽しんだ秋の4日間であった。

久しぶりに東京に行く

新型コロナが蔓延してから、東京で開かれる会合もほとんどなくなり、私もこの3年間はほとんど東京に行っていない。住んでいる千葉を出て、人の少ない地方に家族と車で旅行することはあっても、人の多い都心に出ることをしていない(先日も「副田義也先生を偲ぶ会」が神田の学士会館で開催されたが、欠席している)。

今日は、久しぶりに上智大学に行く用事があり、バス・電車を乗り継いで都心の四ッ谷に行った。まずバスや電車に乗ることが久しぶりで、何かドギマギする。服装は大丈夫なのか、バスの乗り方や改札口の入り方(スイカの使い方)はこんなでよかったのかなど、全くのお上りさん状態である。電車に乗っている人の服装が、私の普段生活している千葉の人のそれと違い、洗練されているようにも感じた。四ッ谷駅で降りて、上智大学の構内に入り、行きかう学生の雰囲気がさすが上智という感じで、この学生達を相手に20年間、よく臆することなく(?)教壇に立ったものだと思った。

大学の事務で用事を済ませた後、学科の事務室に立ち寄り挨拶だけでもしようかと考えたが、それをするには少し覚悟とテンションが足りないと思い諦めた(同僚の香川教授が少し前、学科の事務室を訪ねたと聞いていたので少し心残りであったが)。上智の新しい建物と図書館と購買の本屋に立ち寄っただけで、上智大学を後にした。昔の職場を訪ねるというのは、いろいろな思いが去来し、ましてや昔の知り合いに会うにはそれなりの覚悟もいると感じた。