手軽になったパソコン

パソコンは家の自分の部屋と、大学(敬愛大学)の研究室にデスクトップがあるが、その他の場所に行った時、パソコンがなく手持無沙汰になる時がある。
そこで、ノート型を1台買うことにした。家の近くのケーズデンキに行き、手ごろなNECのパソコン(LaVie S,NEC)を選び(その間,店員に相談した時間を含め10分くらい)、すぐに持ち帰ることができた。値段は5万円台。パソコンが、こんなに簡単に、安価で購入できるものかと驚いた。
以前だったら、パソコンは大きな買い物などで、カタログなどで選び、実物などもいろいろ見比べ、それに入れるソフトなどの検討も必要で、初期設定も大変なはずが、今は、買ったらすぐ持ち帰りで、初期設定も簡単にできるようになっている。
 ただ、普通のノート型なので少し重たいのと、まだネットに繋げるようになっていないので、その点不便ではあるが、1台パソコンが増えてリッチな気分。教室に持っていき、パワーポイントやネットに繋げ、授業ができたらうれしい。
 iPadやスマートホンを持っている人は、もっと「豊かな」気分で毎日を過ごしているかの思うと、うらやましい。先日、姪の子ども=小学6年生がスマートホンを持っているのに驚いた。今は、そのようなデジタル時代で、私は遅れていると思うが、徐々に改善していきた い。

月の沙漠記念館

 御宿の「月の沙漠記念館」にはじめて入った。入場料は大人400円、高大生300円(65歳以上300円)加藤まさをの展示室には、彼の書いた挿絵や月の沙漠の歌詞の原稿などが飾ってあった。大正ロマンコ―ナーや月の沙漠記念像の模型や制作過程の写真などもあり、見応えはあった。御宿を訪れる人には、閲覧をお勧めする。

夏の終わった御宿海岸

この前、御宿に来た時は、まだ夏で海水浴客で大賑わいだったが、今日の御宿海岸は、もう観光客も少なく、サーフィンをする若者だけが目立った。田舎の侘しさを少し感じた。

原子力のカルチュラル・スタディーズ

以前にここで紹介した吉見俊哉『夢の原子力』(ちくま新書、2012年)を読んで、教えられることは多々あった。
特にこれは、原子力の政治的、経済的側面と言うよりは、文化的な側面である。原子力のカルチュラル・スタディーズと言っていい分野である。
次のことは、私がぼんやりとしか理解していなかったことある。原子力の暗喩がこんなに満ち溢れているとは知らなかった。

<ビキニ=水着は、それをミニ付けた女性が周囲の男たちに与える「破壊的刺激」が「アトム=原爆」に喩えられ、やがてその実験が集中的に行われていた「ビキニ環礁」の海と「原爆級に刺激的」な水着の女性というイメージが合体して現在の名称が確立したのである>(200ページ)
<原水爆ソングは「冷戦オリエンタリズム」の匂いを帯びていなくもなかった。、、1957年にワンダー・ジャクソンが歌った「フジヤマ、ママ」はセクシャルな原爆イメージに、「日本に対する露骨なオリエンタリズムを倒錯的に結びつけた顕著な例である。この歌では、「フジヤマ・ママ」が原子爆弾そのものに喩えられ、、、被爆した側に対する徹底的な鈍感さ、、、、驚くことに50年代の日本は熱狂的に歓迎し、、、雪村いずみが日本語版をカバーし、>(201-204ページ)
<日本版『ゴジラ』が表象したものは,紛れもなく原水爆の恐怖そのものであった。1954年という誕生の年から考えても、映画での山根博士による説明からしても、ゴジラは何よりもビキニ沖で被爆した第5福竜丸の隠喩であり、さらに原子爆弾そのものの隠喩でもあった>(216ページ)
<手塚治虫の鉄腕アトムは原子力エネルギーで作動するロボットであり、体内に原子炉(10万馬力)を内蔵している。しかもアトムの妹は「ウラン」、弟は「コバルト」と名づけられている、、、、ドラえもんも、機動戦士ガンダムも原子炉を内蔵したロボットであった。、、戦後日本のアニメにおけるロボットイメージは、その原点で原子力と不可分な関係にあった。>(243ページ)
<「風の谷のナウシカ」における玉蟲もまた、核を生み出した文明(巨神兵)への徹底的な問い直しを含んでいる。>(256ページ)
<大友克洋『AKIRA』において、外部の何物かによって落とされた核爆弾によってではなく、身体的に病んだ少年の超能力によって覚醒する原爆並みの力のために、近未来都市が破壊されていく様子を描くことのなったのである.,,,このように、70年代以降、原子力的な破壊のイメージが文化的な自己意識に深く内面化されていったのは、戦後日本のメインストリームの大衆意識が、原水爆を高度成長以降の日本には無縁の、その外側にしか存在しないはずのものとして遠ざけてきたことと見事なまでに逆立していた>(261~2ページ)

身近なところに歴史と貴重なものが

 千葉の外房の御宿にはここ数年よくっているが、そこに歴史や貴重なものがあることに全く気がつかなかった。
 斉藤弥四郎『童謡 月の沙漠と御宿町』(本の泉社、2012年8月)を読んで、御宿町の歴史と絵本作家「加藤まさを」のことを知った。
 御宿町は観光客が1年間で100万を超えたことがあり(1969年、105万4千人)、「新宿、原宿、御宿」という賑わいだった時があるという。(今はその10分の1くらいな感じがする)
 「加藤まさを」は、童謡「月の沙漠」の作詞家であり、一世を風靡した絵本画家(抒情画家)であり、「月の沙漠記念館」にその原画が多く展示されていることを、この本から知った。

<ネットからの転載>
 加藤まさをは、大正中期より昭和前期にかけて、一世を風靡したみずみずしい抒情画の数々を発表し、一時代を築くとともに、大正12年に発表した「月の沙漠」は、御宿海岸がその舞台となりました。
 このことを永遠に記念するため、昭和44年7月6日美しい御宿の砂丘に、「月の沙漠記念像」が建てられ、この時以来、月の沙漠の発祥地御宿の名は全国に知られるようになりました。
 以来、月の沙漠記念像は、多くの人々に愛され、月の沙漠の御宿として、町発展の基盤となり、大正ロマンをほうふつさせる文化遺産として、また観光御宿の知名度の向上と飛躍の原動力となりました。
 月の沙漠は、童謡の名曲として、子供から大人まで、いつの時代にも愛され、歌いつがれてきました。平成元年、NHKが行った「ふるさとの歌100選」で千葉県で第1位、全国でも第5位に選ばれ、今もなお、人々の心を魅了しています。加藤まさをは、同年代に活躍した竹久夢二(たけひさゆめじ)、蕗谷虹児(ふきやこうじ)、高畠華宵(たかばたけかしょう)らと並ぶ抒情画家であり、抒情詩人でありますが、抒情画のほかに、詩あり、童謡あり、小説・歌謡曲などその創作は多彩を極め、数多くの作品を残しています。
(http://www.town.onjuku.chiba.jp/sangyoukankouka/shisetsu/tsukinosabaku_kinenkan/tsukinosabaku_kinenkan_02.html)

 最近の御宿の様子に関しては、下記を参照のこと。
  http://www.himawari.com/blog/blog/13