実家(市原市)の庭の紫陽花も咲き始めた。手入れをしていないので、伸び放題だが。
紫陽花
同期
高校の同級生のH氏に近況を伝えたら、「まだ現役で働いているのか?」と驚かれた。私は特任や非常勤なので、100%現役とは言えないのだが、授業を受講してくれる学生にとっては、常勤も特任も非常勤も関係ないので、力一杯やらなくてはならない。
それにしても、同世代の藤原新也は、元気で活動的だ。会員制のウエブ マガジン「CAT WALK」はじめ、出版活動や講演を活発に行っている。
最近のトークも冴えている(一部転載)(http://www.fujiwarashinya.com/talk/)
<さらに私が子供心に震え上がったのは、ある朝鮮の家庭で夕餉の団らん時、とつぜんやくざが土足で上がり込んで行って、まえもって目星をつけておいた若い女性をさらって行ったという彼の話である。ひとさらい、という言葉そのものは当時の日本でもあったが、実際にMの口からそのような話が飛び出すと、私も自分がひとさらいにさらわれるのではないかと、夜寝るときは気が気でなく、母親の布団の方ににじり寄ったものだ。
そういったひどい目にあった女性達が、従軍慰安婦として働かされたかどうかという点については私の記憶の中では彼の口からそういう話は出ていない。いやというよりそもそも従軍慰安婦という言葉を当時の一般の人々が使っていたのかどうかは調べる必要があるだろう。
しかしここで銘記しておくべきことは、かりに日本人やくざらの手によって強制的に売春宿で働かされ、その女性たちの何人かが選ばれて従軍させられたとするなら、誰の手にかかろうと結果的にはそれは強制収容された従軍慰安婦と見なすべきということである。
それが国策としてやったことかどうかということに力点が置かれているが、かりにやくざが騙すなり、拉致するなりし、その女性達が巡り巡って従軍慰安婦として働かせられていたとするなら、それは軍(国家)が容認をしていたわけだから、国策かどうかというような論議をすること自体に意味がない。というよりいずこの国に、買春行為を国策として明文化する馬鹿がいるかということである。
明文化しなかったからそれは国策ではなかった、という言い方があるとするならそれはメニューにない料理を提供するレストランでは、そのような料理は存在しないというに等しい。>
高校の同期会
今日(6月2日)は、日比谷高校の同期会が森ビルの一室で開かれた。その場に行き、びっくりしたのは、3年の時のクラス会ではなく、学年全体の同期会で、なんと150名近くの同期が、卒業50周年のお祝いに集まっていた。私は普段異年齢の集団の中で生活し、集まりも多様な年齢のものが多いので、このように大勢の同期がいるというのは多少の戸惑いがあった。しかし、皆を見て、自分の年齢や世代を確認することができた。また、御蔭で、50年ぶりに親友のF氏(2年生の時、仲のよい4人グループの一人)に会うことができた。また、町村信孝氏(自民党代議士)の元気な姿を見ることもでき、一言、二言話を交わすことができた。
2次会は、クラスごとの会で、近況を報告しながら、さまざまなこれからの問題(老後の暮らし方のこと)を話しあった。過去を懐かしむだけではなく、これからを見据える会となった。
(日本子ども社会)学会20周年を前に
学会ニュースに、下記のような文章を書いた。(5月30日発行)
「誕生期の『児童文化』活動では、大人も子どもも関係なく、ただひたすら童謡や童話という名の文化を共に楽しむことに喜びを見出していた」「子どもの生命が自然や社会の事物の生命と相互に交渉をもつ体験のなかで自らの生活を創造していった」「『児童文化』という用語が誕生直後にもっていた純粋な文化活動としてのダイナミズムが次第に失われた」
上記は、会員の加藤理氏の「児童文化」に関する叙述(『消費社会と子どもの文化』学文社、2010年)からの引用であるが、学会についても、同様なことが言えるのかもしれない。
本学会のホームページの「設立の目的」の項をみると、学会発足当時の会員の熱気が伝わってくる。また、子ども社会学会を立ちあげた中心メンバーが何を考えていたかがよくわかる。
「子どもの文化創造という視点」(藤本浩之輔)、「子どもの生活を子どもの論理でとらえる必要性」(深谷昌志)、「子ども研究という点での研究交流」(片岡徳雄、森彬)、「子ども相互や子どもと社会とのかかわり」(住田)。
そして、「日本の子ども社会のもつ様々な問題状況を実証的にかつ理論的に究明すること目的とする」としながらも、「その研究方法は、きわめて学際的なものになるとともに、理論的研究のみならず実践的、臨床的な、アクチャルな研究をも含むことが期待されます」
とうたっている。
学会が創立され、20年近く経つと、学会の組織は整備され、秩序だった公平な運営がなされるようになっている。その一方で、学会発足当時にあった初心、つまり子どもの創造活動という視点、子どもの文化や社会を共に楽しむ喜びなどが、失われて来ているのかもしれないと感じる。
情報化、消費社会化、知識基盤社会化、官僚化がすすむ中で、「古き良き」時代に戻ることはできない。しかし、学会20周年を機に、初心を思い出し、これまでの経緯を検証し、未来を俯瞰することも必要であろう。










