いただいたメールの紹介

自分の生まれた土地との関連のあることを聞くと、なんとなくうれしい。故郷であれば、なおさらのことであろう。
私は新潟県の佐渡の生まれ(育ちは千葉県)だが、それに少し関連することで、メールを、水沼文平さん(公益財団法人・中央教育研究所所長)からいただいた。それには、以前ここで紹介したK先生の通信に関するコメントもあった。ご了解を得て、掲載させていただく。

水沼さんからのメール

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んでいます。文庫で4巻の大部なものですが、幕末から明治にかけての激動期における日本の医療事情が分かる興味深い本です。
主人公は奥御医師で蘭学者の松本良順と天才的な記憶力を持つ彼の弟子、島倉伊之助(司馬凌海)です。松本良順は佐倉順天堂(現順天堂大学)の創始者佐藤泰然の実子です。伊之助は佐渡の真野新町生まれです。武内先生と同じ生地ですね。私の好きな関寛斎も出てきます。
彼は蘭方医でしたがトルストイに傾倒し70歳を過ぎてから北海道の陸別を開拓します。松本良順が学んだ長崎の医学伝習所で西洋医学伝授のため心血を注いだポンペが、明治に入って、ドイツで開催された赤十字の国際会議で森鴎外に会いました。鴎外が日本時代の感想を聞いた時、「日本でやったことは、ほとんど夢のようであった」と語ったことが「胡蝶の夢」というタイトルになったようです。(「胡蝶の夢」とは、現実と夢の世界の区別がつかないことのたとえ)。
K先生の被災地訪問を読みました。「大事なことは、 現地を訪ねてみること、 問題をしっかり深く考えてみること、他者への思いを可能な限り馳せること、自分自身の問題に置きかえてみること」と語られていますが、全く同感です。
集中豪雨による被害、朝日新聞の報道謝罪、川内原発の再稼働許可など物騒な世の中が続いています。万事「喉元過ぎれば」の世相、我々はもっと歴史に学ばなければならないと思います

日本教育社会学会大会に参加する

日本教育社会学会の第65回大会が9月13日(土曜日)〜14日(日曜日)に、四国の松山で開かれ、参加してきた。
漱石の「坊ちゃん」の町松山は、松山城を囲むように人が住み、歴史があり、風光明媚で、人々がやさしく、いいところだと思った。
学会発表を聞く前後で、松山城を見学し、道後温泉にも入ってきた。路面電車がのんびりしていていい。
私達のグループの学会発表([大学の[学校化」と大学生の「生徒化」に関する分析―])も、メンバーの岩田氏と浜島氏の周到な準備のお蔭で、内容の充実した隙のない発表で好評であった。感謝したい。研究会メンバーの一人の谷田川さんの発表(「現代大学生のキャリアとジェンダー」)も、新しい発見が多く含まれ、高い評価を得ていた。
懇親会でも、美味しいお酒を飲み、いろいろな人と会うことができた。
学会は個人報告の10部会が同時開催というほど多くの発表があり、どれも聞きたくなるようなものばかりで、教育社会学研究の勢いを感じた。特に、今年は若手の活躍が目立ち、若い人が発表・司会したり、企画したりした部会で、若手が大学を超えて仲間を作り、中堅や年寄りがいろいろ学ぶというのも、いいものだと思った。
これから、500ページにも及ぶ「発表要旨集録」に、ゆっくり目を通し、新しい知見を得、思考を楽しみたい。

最近の東北の様子

知り合いのK先生が、最近東北を車で回られ、その様子を私的な「便り」に書かれている。その一部を、許可を得て、掲載する。

< 8月31日から3日間、福島~宮城~岩手と東北の被災地を巡る旅をしてきました。
1日目は東京を出発して一路福島を目指し、南側で立ち入れる福島第一原発に一番近い富岡町を訪ねる。2日目は、太平洋に沿って、福島県の相馬市から、宮城県の名取市、仙台市、塩竃市、石巻市を経て女川市へ。さらに、東北電力女川原発のPR館を訪ね、南三陸町まで足を伸ば(す)。3日目は、気仙沼を通って、陸前高田市へ。さらに35㎞ほど北上して、三陸町吉浜地区を訪ねました。>
<現地へ行ってみて初めてはっきりわかたのですが、避難区域=立ち入り禁止区域ではないのです。ちょっと冷静に考えたり、報道を見聞きしていれば分かることなのですが、現地へ自分の足で出かけてみることの大切さが、こんなところにもありました。福島第一原発を中心に北西方向へ広がる「帰還困難区域」は、立ち入りには許可が必要で、我々一般の者は入ることはできません。しかし、その外側の「居住制限区域」や「避難指示解除準備区域」は、日中のみは一般の人も立ち入ることができるのです。今回訪ねた富岡町は、ニュースでもよく出てくる双葉町や大熊町のすぐ南隣の町で、福島第1原発からは直線で5㎞くらいの距離でした。実は、こんなに近くまで行くことができるのです.>
< その富岡町で車を降り、町を少し歩いてみました。ひとことで言うと、まさに町はゴーストタウンです。あたり一帯、もちろん誰一人姿を見ることはできません。3年半前の状態がそのまま止まった町がそこにあるのです。町角の信号機は平常に動作しており、規則正しく赤青と変わるのですが、それを見る人も、そこを通る車もまったくありません。地震で傾いた家屋、立ち入り禁止のロープの張られた民家、家の中には捨て置かれたままの家具がいっぱい見えます。JRの富岡駅は津波の被害を受けており、これまたやはり、3年半前のままの姿がそこにありました。プラットホームの屋根から下がった広告看板はへし曲げられたままで、そこからも駅を襲った津波の高さが推測されました。
 それにしても、福島の富岡町、百聞は一見に如かずということをつくづく感じさせられました。原発事故の悲惨さが、物言わぬ町を通してひしひしと伝わってきます。放射能の被害は、目には見えないのです。町がそこにあっても、目に見えない放射能は確実にそこにあるのです。だから人々はみんな避難し、3年半を経た今でもそこに見える我が町へ、そこに建つ我が家へ、帰ることができないのです。原発事故の恐ろしさは計りしれないものであることが、強く実感されました。>
<ある意味第三者でしかない自分にとって、この被災についてどれだけ語れるかは自信がありません。しかし大事なことは、 現地を訪ねてみること、 問題をしっかり深く考えてみること、他者への思いを可能な限り馳せること、自分自身の問題に置きかえてみることなどでしょうか。>

別の知り合いOさんからも、東北の様子のお知らせを、いただいている。

先だって、福島に視察に福島大学の先生方の案内で行ってまいりました。
原発のそばは相変わらず、放射能の濃度が高く、車内にいても6mmシーベルト以上という地域がありました。もちろん、そこは帰還困難地域でした。しかし、近隣の帰還可能地域の方が生活は「荒れて」いるようです。ましては、いったんその場から避難し、再び原発周辺の地域に戻ってきた後の生活は決してこれまで通りではないとのこと。復興のために、費やされる支給費用や生活費の使い方にも問題ありそうです。原発によっていったん壊れた地域の復興は、口でいうほど生やさしいものではなさそうです。

第32回学校社会学研究会(京都)

9月6日(土曜日)と7日(日曜日)、京都府立大学を会場に、32回学校社会学研究会が開かれた。いい発表が多く、充実した2日間であった。
 発表から次のような知識を得たり、示唆を受けたりした。
① 学校で、旧ニューカマーが新ニューカマーの「通訳者」としての役割を果たし、自分に自信をつけている。
② 教職志望の学生を定時制高校の見学に連れていき、学校(高校)の多様性を実地でわからせる。
③ コンピテンシーの育成を目標とする教育課程改革は世界的潮流になっている。それは、「基礎的リテラシー」「認知的スキル」「社会的スキル」の3つを含み、単なる知識だけではなく、活用する知識やスキルである。
④ 教職員対学生という役割関係ではなく、個人対個人の対等な「対話」が今大学に求められている。
⑤  大学の授業改善に、大学外のNPO(たとえば、「おしゃべり場」)の力を借りるのが有効である。
⑥  大学は「最高学府」というよりは、「最終学府」である。つまりこれまで小中高校で学んでこなかったことを学ばせ(リメディアル教育)、社会に送り込む「責任」がある。
 京都の食事やお寺も満喫した。

全国学力テストの学校別平均点について

全国学力テストの結果(都道府県別平均点)が公表され、学校別の平均点の公表も各都道府県教育委員に任されているとのことだが、学校別の平均点のことでは気になることがある。
何かの事情で(たとえば、外国籍や不登校児、特別支援を要する児童・生徒)点数の低い子がいるかどうかで、平均点はかなり違ってくる。
大規模校ではさほど影響されないが、小規模校では、大きな影響がある(子どもの人口減で、小規模校は増えている)。

昨日訪問した小学校でも、校長先生から同様の疑問が提示されていた。
たとえば、学力検査対象の小学6年生30名の国語(A)の平均が75.9点(千葉県の平均)だとする。それに試験の数日前に日本語のまったくわからない外国籍の子どもが入ってきて試験を受け、その点(0点)を加えると、75.9×30÷31=73.5と、平均点が2.4点も下がってしまう。これが二人いると75.9×30÷32=71.2と4.7点も下がってしまう。

このようなことが教育現場では日常的起きていることであるという。
このような教育現場の実情を文部科学省や各都道府県教育員会、(知事を含む)は把握しているのであろうか。