放送大学には、大学院課程がある。その修士課程の口頭試問の会(岡崎友典氏担当)を今日は、オブザーバーで見学させていただいた。
口頭試問といっても、個別の試問ではなく、公開発表会のようなもので、執筆者が自分の論文の要旨を報告し、それに質疑が行われるというものである。院生は、それぞれ自分の職業と関連するテーマで修論を書いていて、内容に熱い思いが込められている
今回は、10名ほどの発表があり、主任教授の岡崎氏の他に、2名の教員(永井氏、夏秋氏)の厳しい質問とコメントがあり、院生の今後の研究に役立つことが多く議論されていた。
口頭試問が終わった後の懇親会の雑談でも、社会人ならではの有意義なおしゃべりが続いた。例えば、次のような話は印象に残っている。
「子ども教育の責任は、家庭にあるとした新教育基本法は、ある種の教師にとっては歓迎すべきものであろう。なぜなら、教育の責任は家庭にあり、自分達にないのだから」「上海では、万博の時、スラム街が一掃されきれいになったが、それが終わるとまた人々が戻って来て、元に戻った」「江戸の時代は、いろいろ隙間の仕事があり、皆何とか食べていけた。今は、そのような仕事はなくなり、生きにくい社会になっている」「自立とは、何でも自分でやるということではなく、自分のできないことを人に頼める能力である。自立の反対は依存ではなく孤立である」
社会人になっても、学ぼうとする意欲の高い人たちの意気込みや見識には、教えられることが多い。
八方除けのお祓い
<数え年9の倍数の年は「八方塞がり」の年。厄年と同じように、色々と新しいことをするには向かない年だとか。><八方塞がりの年は、物事を始めるのによくない年周りと言われていて、生活環境が変わる人は特に注意が必要。対策として、八方除け(厄除け・厄祓・厄払い)の祈祷やお祓いをして貰う、または、厄除けお守りを持ち歩く、などがあるようです。>(ネットからの転載)
上記をどの程度信じていいのかわからないが、私の歳は八方塞がりの歳とのことなので、今日は家の近くの稲毛浅間神社に行った折、八方除けのお祓いをしてもらった。
他のお祓いの人と一緒にお祓いをしてもらうのだが、名前を読み上げてもらったり、いろいろお札やお守りをもらったりで、なかなかいい体験だった。
新年の集い
仕事はじめー長期休みの後の心構え
長期の休みの後は、職場にうまく適応できるだろうかという不安を感じる。それは休みと仕事のリズムが違うせいであろうし、対人関係への心構えも仕事では多大に使うせいであろう。
教員の場合、それほどギャップがないようにも思うが、対生徒や対学生に対する気遣いはかなりしていると思う。そろそろ授業が始まると思うと、それだけで緊張する。
今日(4日)は、家にいても落ち着かず、研究室にやってきた。
ただ、大学の授業は7日から始まるので、まだ研究室に教員の姿は見えず、教室もがらんとしている。(大学の教師は今頃、皆何をしているのであろうか?)
たまった仕事を少しでも片付け、授業の準備もできれば、それに越したことはない。精神の安定が得られる。
冬休みの学校の動植物
冬休みの間、学校で飼育されている動物や草花の餌や水がきちんと与えられているのかどうか、少し気になる。
そのようなこと学校がおろそかにするはずはなく、大丈夫と思うが、動植物の命にかかわることなので、つい心配で、子どもを連れて、餌(キャベツとニンジン)や水まきに行ってしまう。学校の門には防犯カメラが設置され、ばっちりと写ってしまい、あやしい人という目で見られてしまうのではないかと心配しながら。
でも、ウサギやニワトリ、そして花も喜んでくれたようなので、よしとしよう。
別のことだが、今日(3日)の天声人語は駅伝の話題。一部転載
<長短問わず自分で走るのは苦手なくせに、この季節、ひたむきに走る人々を見ると胸が熱くなる。元日の上州路でも昨日の箱根路でも、重圧に耐え、歯をきしらせてタスキを運ぶ姿にくぎ付けになった▼駅伝は日本で生まれ日本で育った。(中略)市民レースがかくも盛んな国は珍しい。わが周囲でも「走る喜びに目覚めた」と語る中高年の多いこと。もしスポーツ版の世界遺産があれば日本からは駅伝が選ばれるに違いない。相撲の次あたりに。>
今年の大学箱根駅伝を見ると、途中あまり順位に変更はなく(ドラマはなく)、安定した安全な走りで、これも今の「安定志向」の世相を表しているのかな、と感じた)











