多文化共生教育について

明日(5月17日)の敬愛での「こどもと地域の教育論」は、多文化共生教育がテーマ。テキストは、この分野では第1人者の松尾知明氏(国立教育政策研究所)のものを取り上げる。松尾氏は、WISCONSIN大学で多文化教育と教師教育がテーマの博士論文を書き、この分野の著作がたくさんある方。今回は、最近の私の編著に収録された論文を使う。学生には読んでくるように言ってあるし、発表者もいるが、私の方でも次のようなリアクションを用意し、この難しいテーマを考えさせようと思う。昔の松尾氏の論考も参考に配っておこう。IMG_20160516_0001

「こどもと地域の教育論」(敬愛大学) 517日   リアクション                        

(テキスト 松尾知明 「多文化共生と教育」 『教育の基礎と展開』第10章)

1 あなたが、日々の生活の中で、人や社会によって「文化」が違うなと感じるのはどのような時ですか?(性別、年齢、世代、地域、国籍、趣味、学歴、高校・大学、人種、宗教、階層、価値観、他)

2 文化が違う人との付き合い方は、どのようにすればいいでしょうか。

1 なるべく自分と同じ文化、価値観の人と付き合った方がいい。2 なるべく自分と違う文化、価値観の人と付き合った方がいい。3 どちらともいえない                           

3  日本、及び日本人に関して、どのように感じていますか。すばらしい、すぐれた国、国民性 ⇔ いろいろ欠点のある、劣った国) (理由           )            

 4 日本に多くの外国人の人が来ることについて、どのように思いますか。(労働の為、留学の為、観光の為、他)

5 教師として、クラスにいる外国籍の子どもに対して、どのような教育や配慮をしますか。(「日本人と同じに扱い、特別の配慮をしない」という考え方に対してどのように思いますか。)

 6 マジョリティの視点について説明しなさい。

 7 多文化共生の視点や教育で、大切なことは何ですか。

 8 今日の授業、発表に関する感想

 

時間軸

時間軸で言えば、人はどこを見て生活しているのであろうか。
社会学の見田宗介の有名な価値の4類型を作る軸は、時間軸(現在志向か未来志向)と空間軸(自分志向か社会志向)だったと思う。
井上揚水の「傘がない」の主人公は、それ以前の学生運動の若者が「未来」と「社会」を志向していたのに対して、それ以降の学生が「現在」と「私」を志向していると分析したのは副田義也先生(大学院時代に教えを受けた)である。
今の学生達の好きな歌の歌詞を見ると「未来」を志向している歌が多いように思えた。
私達の高齢者の世代は、時間的にどこに置いているのであろうか。「未来」に何か期待しているとは思えない。そうすると現在か、過去志向か。

還暦や古希を期に、自分の過去の記録(自分史)を作る人も多い。最近大学院で1年後輩の松村直道氏(茨木大学名誉教授)が『天空のろばー還暦後の旅歩き、アラカルト』(2016年3月)という素敵な冊子を送ってくれた。松村氏の還暦後のマッターホルンやキリマンジェロへの登山やアジアへの旅行の記録である。還暦を過ぎてもこの活力(未来志向)、そして古希の記念の冊子(過去回想)と、未来志向と過去志向が両方含まれている。IMG_20160515_0001
歳を取ってから過去を振り返る時、楽しいことを思い出すのであろうか、辛いことを思い出すのであろうか。 また、辛い時、それをどのように乗り越えてきたのであろうか。年寄り世代は、それを若い世代に是非伝えたいものである。
Mさんの場合、苦しい時や悲しい時に姜尚中の「在日」にある一文を読み返すという。
<【旧約、伝道の書、「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まるに時があり、死ぬるに時があり、・・泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり・・・愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」
「焦りと悲しみの中で自分を見失って、今の苦境が未来永劫に続きそうな錯覚に陥っていたのだ。大切なことは、必ず時があるに違いないのだから、そのために準備をし、心の平穏を取り戻すことなのだ。そう思うと、凍てついた心がすこしずつ氷解していくようだった」>
私の場合は、辛い時は夏目漱石の小説を読むといいと学生に薦めている(聞き入れてくれた学生がいるとは思えないが)。江藤淳も父と一緒に結核にかかりふせって一番辛い時に、夏目漱石を読み「夏目漱石論」を書き、心の平静を保ち、漱石の作品から心の温まる思いを感じたと書いていた。
時間軸をどこに置くか、いつの時代を志向するのかということは大事であると思う。

バラの季節3

昔、実家のあった市原市の新興住宅地(ちはら台)でバラの庭を丹精込めて造っている家がいくつかあった。千葉であるくらいだから、東京や神奈川にはかなりバラの綺麗なうち(イングリッシュ ガーデン仕様の庭)があるに違いないと思う。 うちの近くはそのような家は1軒もないが、それでも散歩していると、少ないながらバラを育てている家がある。今の季節、散歩はそれらを見る楽しみがある。

DSC_0423IMG_2436IMG_2440

 

 

 

 

水沼さんより、下記のコメントをいただいた。

花の季節になりましたね。先生のブログでさまざまな花を見せてもらうのを楽しみにしています。駅から会社までの道、かすかに匂っていた「ツツジ」はほぼ終わりました。生垣の「テイカカズラ」の強い香がします。他の香がすると思ったら「クチナシ」でした。「エンゼルストランペット」も咲き始めました。「アジサイ」も蕾を大きくしています。「ベゴニア」に「ペチュニア」の鉢が道際に置いてあります。会社に隣接する公園の「メタセコイア」は豊かな緑の葉をつけました。「タイザンボク」ももう少しといった感じです。これから「ムクゲ」、「キョウチクトウ」、「アオイ」、「サルスベリ」の季節がやってきます。鎌倉の建長寺でみた「スイフヨウ」をもう一度見たいと思っています。スイフヨウ(酔芙蓉)は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になります。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれています。花期は9~10月です。

 

 

 

マスメディアの見識

日本の空気は、日本のマスメディアが作っているところがある。私達はテレビや新聞の報道を見て、今何が世の中で重要なことなのかを認識している。
先日も大学の教員数人と食事をしながらの話題で、東京都知事がお金の使い道で公私混同するなんて見損なったねというようなことが語られ、今の世の中の風潮の重大事件を認識、確認し合ったようなことがあった。
ところが、昨日、某クロースサイトを読んでいたら、今日本のマスメディアには報道規制がかかっており、それと持ちつ持たれつの村社会的構造の中で、日本のマスメディアが、口を濁し語らないこと(=パナマ文書)がある。その重大なことから世論の目を逸らす為に、「子ネズミが竜宮城ホテルで家族と水遊び」をしたという小さなことを大々的に報道している、という解釈が書かれていた。
真偽はともかく、今マスコミの姿勢や見識が問われている。また、私達も何が正しいことなのか、何が重要なことなのか、世の風潮に流されず、自分の判断で下さねばならない。

バラの季節2-京成バラ園に行く

今日(9日)は、午前中に京成バラ園(http://momos-navi.net/823.html)へ。家から車で20分の距離。途中渋滞で、入り口も平日なのに大変な列。
今年はバラの開花が例年より少し早いようで、園内はたくさんのバラが、絢爛と咲きほこっっていた。ただ、昨日の強風のせいか、せっかくの花が少し損なわれていたのは残念。
ソフィ―(犬)は連れていけなかったが、同行した子ども(1歳半)とアメリカ女性Sさんが、はじめて見る多くのバラに感激してくれたのは嬉しい。今年はバラの最盛期に、多くの綺麗なバラを見ることができてラッキー。

DSC_0348DSC_0349DSC_0373DSC_0408DSC_0389DSC_0368