日本子ども社会学会第23回大会参加記

日本子ども社会学会第23回大会が、沖縄の琉球大学で、6月4日〜5日に開催され、それに参加し、多くの発表を聞く同時に、浜島幸司氏らとデジタル教科書に関する調査のデータの報告をしてきた。
本土から離れた地での開催でありながら、多くの人が参加し、沖縄ならではのことがたくさんあり、有意義な学会であった。
我々の発表レジメは下記。

[印刷配布]【子ども社会学会】2016報告スライド(武内・浜島・谷田川)

公益財団法人中央教育研究所の水沼所長の学会参加記を一部掲載させていただく(中研ニュース6月号より抜粋)

6月4、5日、「日本子ども社会学会第23回大会」が琉球大学で開催されました。会場となった千原キャンパスは沖縄県中頭郡西原町にあり、千原池を中心とした広大なキャンパスに6つの学部があります。構内には環状の片側1車線道路(通称「ループ道路」)があり、信号もいつくかありました。
琉球大学を英語で‟University of the Ryukyus”で表記しているので‟Ryukyus”と複数形になっている理由を聞いたらかつての琉球はたくさんの島々からなっていたので‟s”をつけたということでした。
学会では武内清先生(敬愛大学)、浜島幸司先生(同志社大学)、谷田川ルミ先生(芝浦工業大学)が「デジタル教科書に関する教師と児童・生徒の意識」を発表しました。
これは武内清先生を中心とする中研プロジェクト「主たる教材である教科書の在り方の研究」の調査研究で、平成27年10月上旬に小学校教師1500名、中学校教師1000名、また11月上旬に児童生徒用として小学校13校、中学校13校を対象にアンケート調査を実施、そのデータを処理・分析を行ったものです。報告書は9月下旬に発行予定ですが、今回の学会でその概要を発表しました。
空き時間を利用して「ぐすく(城)めぐり」をしました。うるま市の勝連城(かつれんぐすく)は天空の城そのものでした。最後の日は糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪問、彼女らの痛々しい死に戦争の持つ「愚かさ」を再度実感しました。
市内はガジュマル、アダン、フクギ、ソテツなどの緑が生い茂り、ハイビスカス、ブーゲンビリア、カンナなどの花が咲いていました。町中の至るところでフヨウに似た黄色い花を見かけたので沖縄の人に聞いたら、沖縄名で「ユウナ(右納)」と呼ぶ花だそうです。
ネットで調べたら「オオハマボウ」でアオイ科の常緑高木とありました。
米軍基地が生んだものでしょう、黒人との混血の人を多く見かけました。ホテルには多くの台湾人観光客がいましたが、大陸の人とは大違いで静かな立ち居振る舞いでした。
元米海兵隊員軍属による女性殺人遺棄の事件があったばかりなのに、訪問中、米兵の酒酔い運転により怪我人が出る事件が起きました。また5日は県会議員選挙の投票日にもあたり、翁長知事を支える県政与党が3議席増やし、県議会の過半数を維持しました。
政権与党が本土とは逆さまになっていることに、沖縄県民が抱えている切実な問題、それに真剣に取り組んでいる姿を見ました。
学会前日に沖縄入りしましたが、バケツをひっくり返したような大雨でした。開催日の土日はからりと晴れあがり真夏のような天気、帰りの月曜日はしっとりとした粉糠雨が降っていました。この天候に似た沖縄の状況に日本人のひとりとしてこれからも注目していきたいと思っています。(水沼文平)

 

今日(6月Ⅰ日)の「教育原論」

今日(61日)の敬愛大学の「教育原論」の授業は、学生のリアクションと新聞の切り抜きと私のブログの文章を配り、復習と次回に取り上げる「多文化共生と教育」に関連して、オバマ大統領の広島訪問を取り上げた。

授業の準備はしたつもりであったが、話している途中、学生の反応がいまいちで、見せたビデオ(映画)も表示したい場面がうまく映らず(準備不足の為)、講義としては失敗であったが、学生のリアクションを読むと、私の提示した問題にきちんと答えてくれた学生が多く、結果的には、学生にいろいろ考えてもらうことはできたようだ。

配布した資料と、学生のリアクションの一部を紹介する。

IMG_20160601_0001

今日(6月1日)の2年ゼミ

今日のこども学科の2年ゼミでは、ひとりの男の子の20歳の誕生日ということで、サプライズの誕生ケーキとクラッカー、それに紙芝居メッセージも全員から送られ、にぎやかな楽しいものになった。後半は、グループに分かれての、真剣な討議が行われた。

IMG_2528IMG_2534IMG_2535

 

日本子ども社会学会大会の発表要旨集録

来る6月4日(土)〜5日(日)に琉球大学で開催される日本子ども社会学会23回大会の発表要旨集録がWEBで公開されている。

http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2015/10/jscs2016resume.pdf

発表を聞く前に、あらかじめ読んでおくことができるので便利。

 

謝罪について

謝罪についてのとらえ方は日本とアメリカではかなり違うと思う。しかし日本の謝罪観はアメリカのそれに近づいているようにも思う。日本では通常「すみませんでした」とすぐ謝り、相手も「こちらこそ悪うございました。許して下さい」と誤り、お互いに謝ることにより和解が成立する。ところが、アメリカでは、謝ると自分に非があると認めることで、それは負けを意味する。謝らず、相手の非を非難して、勝ちを勝ち取るべきだという文化があると思う。日本もだんだんこの考えに近づいている。

オバマ大統領の広島訪問にいろいろな見方があるが、広島への原爆投下に関して謝罪しなかったことに、失望感を示す意見も多く見られた。これは、日本的な謝罪観とアメリカ的な謝罪観を両方含んだものであろう。

戦争の勝ち負けが既に決まっている時点で、空からの大量の民間人を殺りくしたアメリカの広島、長崎への原爆投下は、当然非難されるべきことがらで、多くの日本人がそれに対して大きな怒りを感じ、謝罪もないアメリカ大統領の広島訪問に、失望や怒りを感じてもおかしくない。
その失望や怒りが大きくならなかった原因について、歴史社会学の山本昭宏氏は、]「『平和』に覆い隠され、被爆者個人の怒りは表に出てこなかった」「大きく分けると、怒りを表せなかった終戦直後、それが解き放たれた50〜60年代、『平和国家』の名のもとに怒りを表しづらくなった70年代以降」となる、と考察している(「朝日新聞」5月28日、オピニオン)。

一方、藤原新也は、オバマ大統領の広島訪問を一定程度、2つの理由から評価している。ひとつは、空から大量殺人をした原爆に対して、地上に降りたち、多くのアメリカ国民の反対を押し切って広島を訪問したこと。もう一つは、アメリカの大統領が有色人種だからこそ出来た広島訪問ということ。白人は、決してドイツやイタリヤには原爆は落とさなかったし、白人の大統領は広島を訪問しないであろう。。

ことは、謝罪の有無よりは、もっと大きなこと(戦争、人種問題、核問題―核戦争、原発事故)を考えなければいけないことのようだ。