社会的格差と教育

「教育基本法」の第4条にも規定されているように、社会的身分や経済的地位や門地によって教育上差別されないという「教育の機会均等」は、どのような立場に立とうと賛同する理念である。しかしその実現方法となるといろいろ意見が分かれる。
現在、社会的格差の拡大が懸念されているが、どのような教育援助を何処にあるいは誰にすれば、社会的格差が少しでも縮小できるのか、考えると難しい。
公立と私学(あるいはそれに通う人)に平等に援助すべきか、小中高と大学で同じでいいのか、地域差、親の収入差はと、考慮すべきことは多い。また、単純な平等は、教育をよくしようあるいは努力して学ぼうという意欲を削ぐことになる。
大学に関しては私学援助の割合(年々減少している)や奨学金問題がある。高校に関しては授業料の無償化の問題、小中に関してはこれからの教科書のデジタル化に伴いタブレット代金の負担の問題がある。
また、小中の義務教育段階の私学に援助すべきかどうか、議論があるようだ。先日(10月27日)の朝日新聞朝刊で、小針誠氏(同志社女子大学)が、教育社会学の観点から論じていて、いろいろ考えさせられた。

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positive thinking , negative thinking

野球の負けている試合で、9回裏、2アウト満塁で自分に打順が回って来たら、どのように感じるのであろうか。
A まずい。これでヒット打てなければ、負けてしまう。どうしよう。
B ラッキー。絶対に自分がヒットを打って、チームに勝ちをもたらしてやる。

この気持ちの持ちようが、後へも響く。もしヒット(もちろんホームランでもよい)を打てれば、Bの場合自信の強化につながるが、Aの場合、「失敗しなくてよかった」と思うだけで自信の強化にはならない。ヒットを打てなかった場合、Bは、今回はうまく打てなかったけれど次回打てばいいとめげない。Aは、自信をなくし、落ち込む。
Bがポジティブ・シンキング、Aがネガティブ・シンキングであろう。ただ、BがよくてAはよくないとは言えない。

今年の名古屋大学で開催された日本教育社会学会の大会で、多くの人が集まり熱気に溢れている部会があった。それは発表もよかったが、司会のIさんの司会ぶりも鮮やかで、短い的確なコメントと進行で、さすが旬な研究者は違うなと感心した。Iさんは若手の教育社会学の理論家で、研究者を唸らせる論文をたくさん書いている。
そのIさんが、ブログの中で、今回の教育社会学会での司会がうまくいかず、何日か落ち込んだと書いていて、びっくりした。

<夕方の部会で司会をやったのだけれど、これはご発表のベクトルがうまく合って、すごく噛み合うはずの、しかもバトルが起こるはずの顔合わせになっていて、司会的にはぜひそのバトルが見たくてご発表の先生方にも時間厳守をお願いし、先生方もきちんと発表時間を守ってくださって (中略)ところがそれなのに、肝心の総括討論の司会の切り回しが失敗して、うまくバトルが成立しなかったばかりか、ここに質疑が集中するだろうと予測していた調査研究のご発表に意外にも総括討論のときの質問がないまま時間が来てしまい(たぶんきっちりした調査で逆に質問を誘発しにくかったのかもしれないとあとでは思う。だからそのために司会というのがいるはずなのに、あたふたして何もしなかったのである)、司会のせいでご迷惑をおかけすることになってしまった。それで、どうにもうなだれながら会場を去り、ものすごい勢いで肩を落としため息をつきよろめきながら電車に乗り新幹線に乗り、また電車に乗り換えたあたりでなぜか部活遠征合宿帰りの学生にばったり出くわしたりしつつ、わけもわからずよろよろと帰宅。一週間ぐらいは夜寝るときも思い出してはうなされた。後日、その調査研究が『教育新聞』で紹介されていて - 記事による要約のしかたは発表のポイントを外しているように感じるけれど - 少し気持ちがおさまった。>(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/#new)

ネガティブ・シンキングは、謙虚さとも結びつくのかもしれない。それならば、好感が持てる。逆にポジティブ・シンキングは、傲慢さと結びついているのかもしれない。

『千葉の地名の由来を歩く』(谷川彰英著)をいただく

柳田国男研究で有名な谷川彰英先生(筑波大学名誉教授・元副学長)より、ご著書『千葉の地名の由来を歩く』(ベスト新書、2016年10月)を、サイン入りでいただいた。
先生の「地名の由来を歩く」シリーズの6冊目のご著書で、その精力的な執筆活動に敬服させられる。
私は半年前、偶然御宿駅で谷川先生にお会いし少し町をご案内しただけだが、御宿についてもその名前の由来はじめ、興味深い記述がみられる。
私は千葉に生まれ育ちながらも、千葉は東京に隣接するだけで、たいした歴史も文化もない県と思っていたが、このような歴史の深さや面白さのあるところと、谷川先生のご著書から多くのことを教えていただいた。また、千葉県が古くから全国の各地(特に徳島県や紀州)とも密接につながっていたというのも興味深い。
千葉県人はこの本を読むと、千葉県に住んでいることに誇りを持てるかもしれない、と感じた。

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千葉敬愛短期大学

今日(23日)テニス部の練習に参加した場所が、千葉敬愛短期大学で、そこでは大学祭の最中であった。千葉敬愛短大は、現代子ども学部があり、保育士や幼稚園教諭や小学校教諭の免許を出している。緑が多く、ゆったりとした構内で、好感がもてた。大学祭は、近隣の子ども向けの出し物も多く、子ども好きの女子学生が多いとい印象を受けた。4年制大学とは少し違う若さが躍動するという感じであった。少し見学させてもらったが、ダンスと、歌のハーモニーが素晴らしかった。
明石要一氏を学長室に訪ねた。突然の訪問であったが、コーヒをいただき、著書をいただき、1時間ほど教育のことで、懇談させていただいた。千葉敬愛短期大学の発展をお祈りする。

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大学のテニス部

今日(23日)は、敬愛大学のテニス部の練習に少し参加させてもらった。場所は、佐倉市にある千葉敬愛短期大学のテニスコート。
昔武蔵大学に勤めていた時、テニス同好会の顧問をしていたことがあり、夏合宿に参加したことはあるが、その時は私も若かったし同好会だったが、今回は大学の部活のテニスの練習ということで、少し感じが違った。
大学の部活の練習というのは、試合に勝つための練習ということである。テニスを楽しむというのとは違うなという印象をもった。練習の中でシングルスやダブルスの試合もするが、それはあくまでこれから他の大学との対抗試合に備えてのもので、試合を楽しむ為のものではない。テニスの腕の向上を目指し、ひたすら練習する。 敬愛の学生たちのテニスの腕の程度はなかなかで、何より若さからくるパワーがあり、力で相手をねじ伏せるという勢いを感じた。
テニス部の学生たちは皆仲が良さそうだったが、テニスの性格から、個人主義的な感じを受けた。野球やサッカーのように、チームで一丸となって、試合に臨むという感じではない。
自分も含め、大人のテニスは、試合に勝つというよりは、テニスを楽しむ為にやっているな、と今日改めて、大学の部活との違いを認識した。これは、他のスポーツ系の部活にも言えることであろう。高校までやってきた部活のスポーツを、大学の部活では続けない学生をよく見かけるが、その意味ややっと分かった気がした。

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