今年の後期に非常勤で教えている植草学園大学の授業(「学校教育制度概論」)では、高野良子・武内清編『教育の基礎と展開』(学文社、2016)を使い、受講の学生に1章ずつ、発表をさせている。
昨日(22日)は、私の書いた「学校教育の組織と文化」の章(7章)がテキストで、担当の二人の学生は、なかなかいいレジメを作成して、発表してくれた。
私の書いた内容が的確に要約されている。ただ、その先の発表者のコメント、それに基づく討論というところまでいかないのが残念なところだ。なぜ、テキストの要約だけで終わってしまって、その先の批判的検討、討論へとつながっていかないのであろうか。不思議だ。
ブログの切り取り、それへのコメント
私のこのページ(ブログ)は、読んだ人からのコメントも「いいね」もない。その為発信する側としては大変気楽に好き勝手に書いているが、時々誰かに読んでほしくなり、その一部をコピーし、授業で学生に配布することがある。
教師の愚痴のような文章を読む気もおきない、というような雰囲気が教室に充満するが、そこは講義者の特権で、無理やり読ませて感想を書かせるということを時々する。ただ、そのコメントを読むと学生は当たりさわりのないことをさらっと書き、肩すかしを食うことが多い。(以下に最近の例を示す)
学生達の時間感覚
感謝することが大事
井上揚水「感謝知らずの女」という歌がある。
http://j-lyric.net/artist/a00071f/l0100fe.html
これだけ私はあなたの為につくしているのに、あなたから「ありがとう」の一言も返ってこないという恨みがましい内容である。(後半は別の感情を歌っているのかもしれないが、、、)
このような感情は、人に対してだけでなく、属している組織(会社等)に対しても、人はいつも感じていることであろう。
しかし、逆の立場からみれば、相手(人や組織)も同じこと(「感謝知らずの男」)を感じているのではないかと、ふっと思った。(これは夢の中で思ったことだが、記録に留めておきたい)
教育政策の社会学
日本の教育の世界は、国の政策で決まったことが全国一律に適用されるので、影響力は大きいと思う。しかし日本の教育政策がどのようなメカニズムで決まるのかという研究は少ないのではないか。
文部科学省の中に、中教審やその下部の専門委員会はじめ、領域ごとのや教科ごとの委員会や有識者会議があり、文部科学省の大臣、各部署や局長、審議官、課長、係長、視学官、教科調査官などさまざまな役職があり、何処が実質的な権限をもち、実質的なことはどのようなメカニズムで決まるのか知りたいところである。
「教科領域の壁は厚く、教科の専門家以外は口を挟めない。特に英語教育はそう」「有識者にいろいろ議論させても、最初に文部科学省の事務方が作った案に落ち着く」「中教審の親委員会に案が挙がってくる時はほぼ決定されている」「教科調査官の権限は絶大で、教育現場で神様のような存在、しかし学習指導要領の新しい方向を、教科調査官が正しく理解しているわけではない」等々。-いろいろな憶測を聞く機会はあるが、それらのどれが正しいのか、全くわからない(どれがきちんと実証的なデータで検証されているのか、私がたまたまこの分野に疎いのかもしれないが、わからない)。
もうすぐ、新しい学習指導要領が発表され、日本の教育の方向は大きく転換されると言われているが、その内容は誰が提案し、どのようなメカニズムで決定されたのか、知りたいところである。


