日本の評論は英訳されず、韓国語訳は出る理由―生成AIに聞く

問ー内田樹氏の本は57冊が韓国で翻訳されているとのことですが、英語訳は1冊もないとのことです。内田樹だけでなく、氏の読む日本の評論家(吉本隆明、埴谷雄高、江藤淳、橋本治、加藤典洋)の本が英訳されることもほとんどないとのことです。これは、英語圏の人たちは日本の知識人が自分たちの社会と世界をどうとらえているかについて全然興味がないということを意味しているのでしょうか。韓国の人は、英語圏の人と違い、日本人の社会的な見方に関心があるとのことでしょうか? 吉本隆明や江藤淳の本の韓国語訳はありますか?

ChatGPTの回答ーとても鋭いご質問ですね。おっしゃる通り、内田樹氏の著作は韓国で非常に多く翻訳されている(50冊以上)にもかかわらず、英語訳はほとんど存在しません。これは日本の現代思想や評論が、英語圏と韓国でどのように受容されているか、その文化的・政治的な文脈の違いをよく示している現象です。/  英語圏における日本の評論家への関心の乏しさの背景ー英語圏の「翻訳の門戸」の狭さ、英語圏では、翻訳文学が出版される割合は非常に低く(米国では全出版物の3%未満)、特に評論や思想系はさらにその中でも狭き門です。優先されるのは、文学賞を取った小説や時事性のあるノンフィクションであり、内向きな議論や文脈依存の評論は敬遠されがちです。/「日本研究」における偏り-英語圏の日本研究(Japanese Studies)は、近年、歴史学や文化人類学、ポップカルチャー研究が中心で、現代日本の知識人の思考や社会批評にはあまり関心が向いていません。つまり「日本をどう見るか」は研究対象になるが、「日本人が世界をどう見るか」は軽視されやすい。/ 翻訳者や研究者の不在–吉本隆明や加藤典洋のような難解で文脈依存の強い文体を、英語に乗せるのは至難であり、その試みに情熱を持つ翻訳者が極めて少ない。/韓国での積極的な翻訳とその背景ー近接する文化的・社会的課題、日本と韓国は、ともに戦後の高度経済成長、民主化運動、受験競争、少子化、ナショナリズムなど類似の社会課題を経験しており、日本の知識人の議論が韓国でも「自分たちの問題」として響きやすい。特に、教育・家族・宗教・メディアに関する内田樹氏の批評は韓国読者に親和的。 /韓国の読書文化の特徴ー韓国では翻訳書が出版物全体の約3~4割を占めるとされており、日本の思想書の翻訳も盛ん。日本文学や思想の翻訳が、文化的・知的アイデンティティの一部として根付いている。日韓知識人の相互関心ー韓国では日本の思想家への関心が高く、哲学者の姜尚中(カン・サンジュン)氏や文学者のパク・チョルヒ氏などが、日本の思想を積極的に紹介・翻訳しています。/吉本隆明・江藤淳の韓国語訳はあるのか?-吉本隆明の著作は、いくつか韓国語に翻訳されています。たとえば:『共同幻想論』は韓国で翻訳出版されており、知識人層に根強い読者を持っています。他にも、彼の詩や思想断章をまとめた本が断続的に紹介されています。 江藤淳に関しても、代表的な評論が翻訳されています。特に戦後文学や国家観に関する著作は、韓国でも重要な「日本理解の鍵」として読まれています。/  結論-英語圏が「日本人の世界認識」に関心がないというよりも、「関心を持つための構造ができていない」または「優先順位が極めて低い」というのが実態に近いです。一方、韓国では日本の社会思想や知識人の言説が、自国の課題に接続しやすく、積極的に翻訳・受容されています。 これは単なる関心の違いというより、文化的な近接性、社会課題の共通性、翻訳文化の成熟といった構造的な要因によるものです。

佐倉ラベンダーランドに行く

以前に「たんばらラベンダーパーク」にラベンダーを見に行ったことがあるが、車でかなりの距離があり、入場料も1200円と高く、それほど見栄えのするパークでなかった記憶がある(2023年8月3日のブログに記載。ただ、季節が過ぎていたのかもしれない)。本日、家から近い佐倉市に広いラベンダーガーデンがあるというので、出かけた。メインの道路からはかなり中に入り込んだ趣のあるゴルフ練習場に隣接するところのガーデンであったが、なかなか広く見事なラベンダー畑で、そのよさを堪能した(駐車料金、入園料無料、さすが佐倉市の施設、花を見に来ている人の雰囲気も良い)。そのゴルフ練習場のレストランのランチも美味しく、近場にいいところがまだあるものだと思った。

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佐倉ラベンダーランド

https://www.bing.com/images/search?q=%e4%bd%90%e5%80%89%e3%83%a9%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc&id=C2CD5300C0D5436AB4F66941E93B4B40E6721D18&form=IACFIR&first=1&disoverlay=1

ラベンダーに関しては、ネットで検索すると「ラベンダーは、夏を彩る花の一つです。美しい香りと淡いピンクや紫の綺麗な色合いが特徴的です。日本国内にも野生のラベンダーがありますが、見頃は6月から8月の間だとされています。定番の「愛情」「友情」「勇気」などの気持ち伝わる花言葉も人気の秘密!この美しい花は「信任」を意味するためから古来から人々の心を惹きつけてきました。さらにラベンダーの花言葉は「幸運」という意味合いがあります!」(https://flower-plant.com/articles/7043)とある。

今年の菖蒲(あやめ)の見学

例年は今の季節、茨城県の潮来にあやめ(菖蒲)を見に行くのだが(昨年の様子は6月6日に記載)、物価高の折、高速代(千葉北から潮来まで片道1900円)を節約して、今年は近場の習志野市の公園2つ(習志野香澄公園、実籾本郷公園)にあやめを見に行った。2箇所ともこじんまりとしながらも、かなり多くの種類の色とりどりのあやめが咲いていて、公園の雰囲気もよく、十分に楽しめた。あやめ園は、静かに日本情緒を味わうことができる場である。(共に家から車で20分ほどの距離、高速代、駐車料金、入園料無料)。

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2つの公園のHPは下記。

香澄公園

https://www.city.narashino.lg.jp/soshiki/koenryokuchi/gyomu/shisetu/koenshiseki/kasumikoen.html

実籾本郷公園

https://www.city.narashino.lg.jp/soshiki/koenryokuchi/gyomu/shisetu/koenshiseki/mimomihongokouen.html

大学におけるきめ細かい教育支援について、生成AIに質問する

文部科学省の「全国学生調査」の最近のデータをみていたら、4年制大学に比べ、短期大学の教育がきめ細かく学生に寄り添っていることにわかった。それなのに、今短期大学への進学希望者は減少し、募集停止する短期大学が続出している。学生に対するきめ細かい教育支援は必要がない、大学では学生をある程度自由放任にした方がいいということなのであろうか、と思った。その点を生成AIにしてみた。以下、その回答。

ChatGPT:の回答

大学における「きめ細かい教育支援」の意義 ― 短期大学の教育実践を手がかりに ―/ 近年、短期大学における学生支援の充実が注目されている。文部科学省の「全国学生調査(試行調査)」の結果からも明らかなように、短大では少人数制の下、個別性の高い教育指導が行われ、学生の満足度も高い傾向にある。履修指導、資格取得支援、日常的な教職員との関わりなどを通じて、学びのプロセスにおいて学生が孤立することなく、主体的に取り組めるような環境が整備されている点は特筆に値する。/ しかし、現実には短大の志願者は減少傾向にあり、募集停止や閉校を選択する短大も少なくない。この状況を単に制度的な淘汰や学歴志向の結果として片づけるのではなく、短大が有していた「学生に寄り添う教育文化」が、これからの大学教育においてどのように活かしうるかという視点から再評価することが求められている。/ 従来、大学教育においては「自由・自主・自己責任」といった理念が重視され、「学生をある程度自由に放任することが大学らしさである」といった意識が支配的であった。確かに、学問的自由や自己形成の場としての大学の性格を踏まえれば、過度な介入や管理は避けるべきである。しかし、実際の学生の実態を見ると、必ずしも全ての学生が高い自己管理能力を備えて大学に入学してくるわけではない。高校までの受動的な学びから十分に転換できないまま、大学生活に戸惑い、学修意欲や目標を喪失してしまう学生も多い。加えて、家庭環境や経済的背景の多様化、精神的・身体的困難を抱える学生の増加など、大学生支援のニーズは年々複雑化している。/ このような現状を踏まえると、大学においても、一定の「きめ細かさ」を持った学生支援の体制を構築する必要がある。ただし、それは小中高のような「管理型の支援」ではなく、学生の主体性や自律性を引き出すことを目的とした「支える支援」であるべきである。すなわち、授業では対話的・協働的な学修を促し、学外活動ではピアサポートや学生支援センターを活用して心理的・生活的安定を図り、キャリア形成においては早期から社会との接点を持たせることで、将来を見据えた自律的な学びを支援する。さらに、短大のように「顔の見える関係性」を重視する教育文化を4年制大学にも応用し、教職員と学生との信頼関係を基盤とする学修支援の在り方を模索していく必要がある。/ 現在、大学に求められているのは、自由放任による「自立の放任」ではなく、**主体的学びのための「環境的支援」**である。それは、学生を信じて突き放すのではなく、信じて支えるという姿勢に他ならない。短期大学の教育実践から得られるこのような示唆を、4年制大学教育の設計にも積極的に取り入れていくことが、これからの高等教育の質を高め、学生一人ひとりの可能性を引き出す鍵となるだろう。