外食と自炊のバランスについて生成AIに聞く

質問―外食の食事は、味が濃い目で塩分が多く、頻繁の外食は健康にはあまりよくないと聞きます。独身者や高齢者の一人暮らしでもなるべく自炊すべきでしょうか

チャトGPTの回答

ご質問の趣旨はとても重要だと思います。/結論から言うと、「原則として自炊は健康に有利だが、無理な自炊は必ずしも最善ではない」というのが現実的な答えになります。/1. 外食が「健康に不利」と言われる理由;よく指摘される点は、かなり根拠があります。•           塩分・脂質が多い.外食は「おいしい」と感じさせるため、塩・油・砂糖を多めに使う傾向があります。•野菜・食物繊維が不足しがち,量が多い.完食を前提にしている•同じメニューに偏りやすい.特に高血圧,腎機能の低下,心血管疾患が気になる中高年以降では、外食頻度が高いほどリスクが上がることは、多くの研究で示されています。/2. 独身者・高齢者が「必ず自炊すべき」か?ここは慎重に考える必要があります。✔ 自炊の明確なメリット•塩分・油・量を自分で調整できる,•食材の多様性を確保しやすい,•「今日は軽めにする」など柔軟な調整が可能/✖ 自炊の落とし穴(特に一人暮らし)•手間と心理的負担が大きい,食材を余らせがち → 結局同じものを食べ続ける,高齢者では「包丁・火」が危険になることも, 自炊が「義務」になると、食事そのものが苦痛になる.つまり、自炊=健康、外食=不健康と単純化するのは、実態に合いません。/3. 現実的で健康的な「第三の道」;最近は「完全自炊」か「外食依存」かの二択ではなく、中間的な選択肢が重要視されています。① 半自炊(中食)を賢く使う…•惣菜+ご飯・味噌汁は自分で用意,,外食チェーンでも,定食形式o野菜が多いメニュー o汁物を残すなどの工夫で塩分は大きく下げられます。② 自炊は「完璧」を目指さない..•     毎日作らなくてよい,1日1食でもOK,「切らない.・焼かない・煮ない」食事(納豆、豆腐、冷凍野菜、缶詰)も立派な自炊.③ 高齢者の場合の特別な視点;高齢期では、実は「多少味が濃くても、きちんと食べること」の方が重要になる場合もあります。低栄養・フレイル予防,•食欲低下の防止,かと食べる機会の確保(外食の社会的価値)/4. 結論(実践的まとめ);頻繁な外食(特に単品・丼・麺類中心)は確かに健康に不利,しかし「独身者・高齢者は必ず自炊すべき」という義務論は現実的でない•      /おすすめは自炊を「選択肢の一つ」として、外食・中食と組み合わせること/ 健康とは、栄養 × 継続可能性 × 楽しさのバランスで決まります。

元旦の鋸山と東京ドイツ村

前後するが、元旦には、千葉県の名所を2つ訪ねた。1箇所は内房の鋸山。ここは千葉県の有名な観光地の1つだと思うが、かなりがっかりした。富士山が見えなかったのは天候のせいで仕方がないにしても、片道4分足らずロープウエイが往復で1200円と高く(子ども4歳以上は600円)、石大仏や地獄のぞきに行く道が石でゴツゴツで整備されていなくて転びそうになり、さらに高い入園料も取るので、興ざめしてしまった。確かに東京湾の景色は絶景であるが、それを見るのだけであれば近くの天羽の別荘地に行けば無料で見ることができる。千葉県の行政と民間の観光センスの低さを再認識した。これでは、千葉の観光が湘南や伊豆の観光地に負けるはずである。

もう1つは、帰りに寄った「東京ドイツ村」(袖ヶ浦市)(https://t-doitsumura.co.jp/)。午後4時前に着き、子ども(孫)達は広い敷地に点在する遊具で遊び、レールで走る車にも乗り、暗くなるのを待った。夕暮れになり点火式の後、広い敷地いっぱいのイルミネーションが一斉に点灯し、なかなかの壮観な眺めであった。ここに来て最初の鋸山のマイナスも帳消しになり、いい元旦となった。

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お正月の富士山とカモメ

正月には、富士山が見たくなる。うちから一番近くで富士山を見ることができるのは、車で15分ほどところにある検見川浜である。今日(4日)は、天気がよかったので、卓球の初打ちを1時間で切り上げて、検見川浜に行った。

白い雪を被った富士山がいつもより大きく見えた。浜では、たくさんのカモメが日向ぼっこをしていて、それにパンを小さく切ったものをやると、数十匹が集まってきて、我先に食べようとする。それに鳩も混ざっている。かなりの量を持っていったつもりがアッという間になくなり、私達が食べる分までおすそ分けした。少しでも空いたお腹を充たしてくれたのであれば嬉しい。お正月を穏やかな千葉の浜で、シドニーから里帰りした孫たちとのんびりと過ごした1日であった。

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風の便り87-新年号

高齢になってから感じることは多々あるが、その1つに自分はなんて無知なんだろうということがある。専門以外の本(特に小説や評論)は、興味に任せ読んできたつもりであるが、最近人から聞いたり新聞を読んだり、生成AIに聞いたりしてはじめて知ることは多い。

辻秀幸氏の「風の便り87」は、お正月特集で「神様ほとけさま」の話であるが、辻氏の書いていること、つまり「観音とは最高位の『ほとけ』にはあと一歩の菩薩という修行段階の姿の1つです。様々な菩薩か手分けして、忙しいほとけ様のお手伝いをします」「『仏・ほとけ』とはお釈迦様のことを指します。修行中でまだほとけになっていない観音、地蔵や警護役の四天王、仁王や、人間であるお坊さんの像は厳密には仏像ではありません」ということは、はじめて知った。高齢者こそ、生涯学習でいろいろなことを学ばなけれならないのかもしれない。生成AIにも聞いてみた。

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新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。 皆さまにとって、今年がよい年でありますように。 今年もよろしくお願い致します。

 元旦には年賀はがきの年賀状をもらい、長く会っていない友人や教え子や知り合いの心のこもった一言を読み、近況を知ることは、大きな喜びである。

 しかし、皆年賀状書きは忙しい年末に負担になっているのではないか、長年続き辞めるに辞められないのではないかと思い、私の高齢を理由に「年賀状は今年限りにします」と添え書きをした。人生の1つの楽しみを失ったような喪失感もあるが、ネットの時代、はがきの年賀状以外の他の手段を考えたい。WEBの年賀状は昔流行った時もあるが、今は少なく私が今年受け取ったものは3通だけである。

私の場合、ブログに近況を書いているので、それを読んでいただければありがたいが、アドレスを探すのは面倒だし、わざわざ日記状態の人のブログを読む気はおこらないであろう。万が一読んでもメールアドレスがわからず返信できない。やはり、1年に1回近況を伝える年賀状は価値があるのであろう。季節の挨拶を、生きている証にどこかで出したいと考えている。これまで長く年賀状を送っていただいた皆様に心より御礼申し上げる。