加藤幸次先生(上智大学名誉教授)より研究会で「メタ認知」の話を聞く機会が最近あった。メタ認知とは<1970年代に、J. H. FlavellやA.L. Brown によって提唱された認知心理学の用語です。 メタ(Meta)とは「超越した」、 「高次の」という意味があり、認知(Cognition)とはそれが何であるのかを判断したり、解釈する行為です。><教師は教室での子どもの(メタ認知を制限して)学習を完全にコントロールしているのです。①行うべき学習課題、②そのための時間、③そこで使うべき教材、④追及する方法について、小出しして、指示していきます。(全体を見渡すことができず)間違いなく、子どもたちは極めて高い閉塞感を感じているに違いないのです。私たちが目指した授業はこの閉塞感から子どもたちを開放することでした>(加藤教授のレジメからの転載)。
それと、北澤毅氏(立教大学名誉教授)の構築主義に関する著作『「教育問題」はつくられる』(時事通信社,2025)の中に、『「神の視点」からの創作としての「真実」』(37~39頁)という言葉も出て来て(「刑事コロンボ」を例に説明している)、高次の(メタの)視点からものごとを見ることの重要性を教えられた。
そのことで思ったのは、小説家が小説を書く視点はどこにあるのかということである。例によって生成AIに質問してみた。(その回答が正しいということではないが、さらに考える材料にしたい)