「学問の自由」とは何か―生成AIに聞く

前記の「大学に固有な学び」ということを、「学問の自由」という観点から、考えてみるとどのようになるのか。

今回は、学問の自由とは何かという直接の質問(①と②)の他、③トランプ大統領とハーバード大学の軋轢(論争),④大学の教職課程のテキストに学習指導要領やその解説書を指定する教員が多いこと、⑤⑥根本を問わず技術のみに目を向ける心理学主義の問題、⓻最近の文部科学省の学習指導要領の改訂作業に心理学者が多く関わっていること、などの例を挙げ、「学問の自由」に関わる7つの質問を、生成AIにしてみた。

私の立場に生成AIが気を遣わない(賛成しない)ように、中立的な立場からの回答を依頼した。なかなか興味深い回答が得られたと思うので、添付する。

「大学固有の学び」とは何か

濱中淳子・葛城浩一編著『<学ぶ学生>の実像―大学教育の条件は何か』(勁草書房、2024,12)を読んで、「学校教育の枠組みでの学び」と「大学固有の学び」とはどう違うかということを考えさせられた。

濱中氏らの研究は、社会科学系の学部の学生のインタビュー調査から考察され、ノンエリート大学、中堅大学、エリート大学の学生を区別して、その入学前の意識、卒業後の進路意識を聞き、大学での授業での取り組みの様子を詳細に聞き出してしている。学生へのインタビューから聞き出された大学における学びの多くは、「学校教育の枠組みでの学び」と判定されるものが多い。大学においての資格やスキルの為の学びは、「学校教育の枠組みでの学び」と分類され、グループでの探求学習やプレゼンは、まだ「大学固有の学び」の前段階としている。

「大学固有の学び」とは、「正解のない課題について、重層的な根拠を用いながら、自分なりの答えを抽出するというもの」(125頁)で、卒業論文が例とて上がっている。

生成AIに、この2つの学びの違いについて聞いてみたが(下記に転載)、表層的・典型的な解釈で、それを読んでも「大学固有の学び」とは何かの具体的なイメージがわかない。自分の大学時代の学びや、自分の大学での授業や教えを振り返りながら、この問題を考えてみたい。