元旦の鋸山と東京ドイツ村

前後するが、元旦には、千葉県の名所を2つ訪ねた。1箇所は内房の鋸山。ここは千葉県の有名な観光地の1つだと思うが、かなりがっかりした。富士山が見えなかったのは天候のせいで仕方がないにしても、片道4分足らずロープウエイが往復で1200円と高く(子ども4歳以上は600円)、石大仏や地獄のぞきに行く道が石でゴツゴツで整備されていなくて転びそうになり、さらに高い入園料も取るので、興ざめしてしまった。確かに東京湾の景色は絶景であるが、それを見るのだけであれば近くの天羽の別荘地に行けば無料で見ることができる。千葉県の行政と民間の観光センスの低さを再認識した。これでは、千葉の観光が湘南や伊豆の観光地に負けるはずである。

もう1つは、帰りに寄った「東京ドイツ村」(袖ヶ浦市)(https://t-doitsumura.co.jp/)。午後4時前に着き、子ども(孫)達は広い敷地に点在する遊具で遊び、レールで走る車にも乗り、暗くなるのを待った。夕暮れになり点火式の後、広い敷地いっぱいのイルミネーションが一斉に点灯し、なかなかの壮観な眺めであった。ここに来て最初の鋸山のマイナスも帳消しになり、いい元旦となった。

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お正月の富士山とカモメ

正月には、富士山が見たくなる。うちから一番近くで富士山を見ることができるのは、車で15分ほどところにある検見川浜である。今日(4日)は、天気がよかったので、卓球の初打ちを1時間で切り上げて、検見川浜に行った。

白い雪を被った富士山がいつもより大きく見えた。浜では、たくさんのカモメが日向ぼっこをしていて、それにパンを小さく切ったものをやると、数十匹が集まってきて、我先に食べようとする。それに鳩も混ざっている。かなりの量を持っていったつもりがアッという間になくなり、私達が食べる分までおすそ分けした。少しでも空いたお腹を充たしてくれたのであれば嬉しい。お正月を穏やかな千葉の浜で、シドニーから里帰りした孫たちとのんびりと過ごした1日であった。

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風の便り87-新年号

高齢になってから感じることは多々あるが、その1つに自分はなんて無知なんだろうということがある。専門以外の本(特に小説や評論)は、興味に任せ読んできたつもりであるが、最近人から聞いたり新聞を読んだり、生成AIに聞いたりしてはじめて知ることは多い。

辻秀幸氏の「風の便り87」は、お正月特集で「神様ほとけさま」の話であるが、辻氏の書いていること、つまり「観音とは最高位の『ほとけ』にはあと一歩の菩薩という修行段階の姿の1つです。様々な菩薩か手分けして、忙しいほとけ様のお手伝いをします」「『仏・ほとけ』とはお釈迦様のことを指します。修行中でまだほとけになっていない観音、地蔵や警護役の四天王、仁王や、人間であるお坊さんの像は厳密には仏像ではありません」ということは、はじめて知った。高齢者こそ、生涯学習でいろいろなことを学ばなけれならないのかもしれない。生成AIにも聞いてみた。

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新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。 皆さまにとって、今年がよい年でありますように。 今年もよろしくお願い致します。

 元旦には年賀はがきの年賀状をもらい、長く会っていない友人や教え子や知り合いの心のこもった一言を読み、近況を知ることは、大きな喜びである。しかし、皆年賀状書きは忙しい年末に負担になっているのではないか、長年続き辞めるに辞められないのではないかと思い、私の高齢を理由に「年賀状は今年限りにします」と添え書きをした。人生の1つの楽しみを失ったような喪失感もあるが、ネットの時代、はがきの年賀状以外の他の手段を考えたい。WEBの年賀状は昔流行った時もあるが、今は少なく私が今年受け取ったものは3通だけである。私の場合、ブログに近況を書いているので、それを読んでいただければありがたいが、アドレスを探すのは面倒だし、わざわざ日記状態の人のブログを読む気はおこらないであろう。万が一読んでもメールアドレスがわからず返信できない。

やはり、1年に1回近況を伝える年賀状は価値があるのであろう。年賀状ということではなく、季節の挨拶を、生きている証にどこかで出したいと考えている。これまで長く年賀状を送っていただいた皆様に心より御礼申し上げる。

 

歴史的な彫刻や造形物の表象するもの

私は、彫刻に関して、また歴史的な記念の造形物に関しても、特にその意味を考えるということはしてこなかったように思う。12月26日の朝日新聞の朝刊には、彫刻家の小田原のどか氏の「モニュメントあるだけでは」というインタビュー記事が掲載され、次のような言葉が掲載されていた。<「ある造形物や空間が、なぜ、何をどのように表象しているのかについて、思いを致したことはあるでしょうか」 「たとえば、あの長崎の平和祈念像を制作した彫刻家の北村西望は、戦意高揚の作品も制作していました。戦前・戦中は、国策遂行を後押しするための作品を作った芸術家がたくさんいました。その一人が戦後、平和を表象しようとしたのが、あの巨大で男神像的な造形だった。そうした背景を考えるかどうかで、あの像が表象しているものが、また違ってみえてくるのではないでしょうか」> 小田原氏は、「この作品にはどんな意味があり、なぜ今これを作らなければならないのかということを,可視化していくことが必要ではないでしょうか」「芸術家が何に加担しているのかが、つねに問われるべきだと考えます」と述べている。

そこで、この小田原氏の意見を、生成AIはどのように考えるか、聞いてみた。回答は以下。