2019年 教育課程論 第9回 (11月22日) 講義メモ&記録

 前回、社会格差と教育という少し社会学的なテーマでの話でした。文部科学大臣の「身の丈」発言が教育の機会均等という教育の基本原則に反するということを皆さんに理解していただいたように感じます。社会階層の存在は否定できず、皆身の丈にあった生活を送っているので、それは否定できないのですが、上昇移動を目指すかどうか、身の丈にあった生活を送るかどうかは、これは個人の価値観、生き方の問題なので、政府や他者がとやかく言うべきことではないように思います。ただ社会的格差をなくす努力を政府はすべきでしょう。また上昇移動して幸福かどうかはわからないところがあります。前回のブリントで説明を省略しましたが、作家の芥川龍之介は、東京の下町の出身であるにも関わらず、有名な作家になり中・上流の生活を送り、地に足が着かず、創作意欲が枯渇して、作品が書けず、自殺してしまったという解釈(吉本隆明)を紹介しておきました。これなどは、身の丈にあった生活がふさわしい例です。失敗の場合のその後の適応タイプの話をしました。私の場合を少し申しあげようと思いましたが、あまりいい例ではないのでやめておきます。来週は、中山先生の道徳授業に合流させていただき、敬愛の卒業生で教育委員会に勤めている方の道徳教育の話を聞かせていただきます。来週は3301教室行ってください。それで、今日は道徳教育に関する基礎知識を皆さんに学んでいただきます。リアクションを見ていただくと、今日の授業の流れがわかります。

2019年 教育課程論第9回 (11月22日)  道徳教育の基礎知識

1 前回のリアクションを読んでの感想 2 小・中学校での「道徳」の時間の印象はどのようなものですか(1 楽しく有意義な時間であった  2 どちらともいえない 3 退屈な時間だった。 理由→   )3 道徳の科目は必要だと思いますか。(A参照)(1必要だと思う 2 どちらともいえない 3 必要ない) 理由→ 4 道徳と、マナー、ルールの違いは何ですか(B参照)5 文部科学省は、特別の教科「道徳」を、どのように位置付けていますか(C参照)6 道徳に内容の4領域は何ですか。その細目のうちあなたが重視したい項目は何ですか(2つ)(D参照)7 1時間、道徳の時間の授業を行うとして、どのような授業をするか、考えてください(学年、テーマも定めて)(C,D参照)8 他の人のコメントをもらう (添付参照)

2019年 教育課程論 第8回 (11月15日)の記録

テーマ  社会階層、社会的格差と教育

リアクション 1 前回のリアクションを読んでの感想 2 社会移動とは何か。社会的地位や社会階層は何で計られるのか。(A参照)3 教育は社会移動にどのように関係していますか。(B,C、D 参照)4 家庭にはどのような教育力の格差がありますか(A後半、E、G参照)5 失敗した時、どのような適応行動をとりますか(再加熱、縮小、置換、冷却)(F参照)6 社会的格差をなくす(=減少させる)為に、どのような教育政策がとられるべきだと思いますか。(G、E 参照)7 学校や教師は、社会的格差に苦しむ児童に対して、どのような指導をすればよいですか。8 他の人のコメントをもらう

(学生の実際書いたものは、下記の1つ目を参照のこと。講義内容をよく理解し、自分の考えを深めていることがわかる)

授業のスピードについて

大学で授業をやっていて、少し気になる点がある。私の授業での説明のスピードは、学生の理解のスピードと一致しているのかどうかということである。私の授業では、毎回たくさんの資料(それも文字数が多い)を配布し、それを読み、私の説明を聞きながら、リアクション(質問)用紙に答え(自分の考え)を記入していくという形式をとることが多い。学生の理解の進度はまちまちだと思うが、私の説明を聞くより先に(あるいは私の説明を聞かずに)、資料を読んでリアクション(質問)に答えを書く学生が少なからずいる。そして書き終わると机の下や本の陰のスマホを見はじめる。私の話のスピードが学生の理解のスピードと合わず、私のスピードに合わせるのが苦痛で、自分のペースを保とうとする学生がかなりいること感じる。

いい授業は、きっとこのようなものではなく、教師の話に皆聞き惚れ、教室に一体感が生じるものであろう。あるいは、教師の話から自分の興味や関心が開発され、自分なりの深い思考に各自が入り込んでいることが伺えるものであろう。

私の場合、配布した資料を音読することはしない。「資料のAを参照してください。そこでの要点は何々です」と言って、短時間で次の説明に移ることが多い。学生たちは、その資料の内容を読み取っているのかどうかがわからない。後で学生の書いたものを読むと要点を読み取っている学生もいることはわかるが、それが学生のどの程度の割合なのかはわからない。資料を読みとるスピードは、つい自分の速度を基準に考えてしまうが、教員と学生の理解のスピードは違うであろう。そうかと言って、学生の平均のスピードに合わせると、授業の速度が遅くなり、だらけた授業になるような気がする。授業のスピードをどの程度にすべきかなかなか難しい。大学教師たちは、皆どうしているのであろうか。

「教育社会学の20人」

教育雑誌「教育展望」201911月号に、日本教育社会学会編『教育社会学の20人―オーラル・ヒストリリーでたどる日本の教育社会学』(東洋館出版、2018)の本の案内を書かせていただいた。清水義弘先生、潮木守一先生、天野郁夫先生はじめ、教育社会学の諸先生や諸先輩の先生方の研究経歴や研究への思いが満載の本に感銘を受けた。

教育社会学は戦後に講座や科目ができ、伝統的な教育学の中で実証性を重んじ、研究を進めてきた新興の分野である。教育学が理想や実践を重んじるのに対して、教育社会学は現実や実証や批判的観点を重んじ教育実践への寄与があまりないようにみえる。しかし教育の現実を規定する社会的要因(階層、ジェンダー等)や教育組織の解明、教育の実態に基づいた政策的提言は、教育の理想の実現に欠かせないものである。

本書は主に日本の戦後の教育社会学の主に第2世代(第1世代が基盤を築いた後に活躍した世代)の20名の研究者の歩みをオーラル・ヒストリリーの手法で記録に残したものである。この手法は聞き手に恵まれると自分史以上に興味深い内容になる。自分では気が付いていない分野にも、聞き手の質問によって思いを走らせるようになるからである。学会70周年記念行事として第3世代の加野芳正会長(当時)のもとで吉田文と飯田浩之が責任編集者となり、学会の総力を挙げての聞き取りや編集が行われた。教育社会学の研究者のみならず、教育関係者、歴史研究者が読んで参考になる本である。

一つの新興の学問分野が市民権を得るまでには、既存分野との葛藤や戦い、個人や組織の並々ならぬ努力があったことが当事者の語りからわかる。個々の研究者が教育社会学という分野にたどりつくまでにどのような出会いや紆余曲折があったのかが示され、研究者のライフ・ヒストリーとしても興味深い。

高等教育研究としても読める。実学・政策重視の東京大学、理論研究や文化の濃厚な京都大学、高等師範の伝統の東京教育大学,文理の伝統の広島大学、地方国立大学の教員養成学部など、大学の出自や伝統が違うとそれぞれの研究者の研究やその特質に差異を生じさせていることが読み取れる。

教育社会学研究の今後に関しては、柴野昌山京都大学名誉教授は「理論パラダイムの歴史性感覚」をあげ、新井郁男上越教育大学名誉教授は、「社会学的視点での研究、教員研修」の重要性を指摘し、深谷昌志東京成徳大学名誉教授は「子ども支援の実践家との連携が大事」と述べ、天野郁夫東大名誉教授は「教育現場を批判的に斜に構えて見るような教育社会学では現場の力になりえない。もっと教職・教員養成の問題に応えていかないといけない」と述べている。今後の教育研究と教育実践との関係を考える一書にもなる労作である。