3人卓球のすすめースポーツと気遣い

公共のスポーツセンターや学校の体育館で、卓球仲間と卓球する機会が多いが、使える卓球台の数とその時の参加人数との関係で、シングルス(1対1)で練習や試合をする場合と、ダブルス(2対2)でする場合がある。さらに参加人数が奇数の時は、1台は3人卓球(1対2)になる。(テニスの場合は、3人でやることはほとんどなく、余った人がが休憩していることが多い)。この3人卓球は人数の関係で仕方がなくやるのだが、私は好きである。3人が1ゲームずつメンバーを中で交代することにより、ダブルスとシングルスの両方の試合の面白さを味わえる。

このように思う人は少なく、ほとんどの人がシングルスを好む。練習はシングルスがいいと思うが、練習試合をシングルスでやるのがどうも気が重い。負けて相手が嬉しそうにしているのも癪だし、相手が取れないようなサーブや返球をして勝つのは申し訳ないし、自分より上手な人に勝ってしまっては、その後の人間関係がギクシャクしてしまうように思う。4人のダブルスや3人の卓球の試合であれば、勝ち負けがついても、誰のせいの勝ち負けかわからず気が楽だ。このように、卓球も(テニスも)人に気を遣うスポーツなのだ。

追記 このブログは、今回が2208回目である。同じことを何回か書いているのかもしれないという恐れも感じる。ブログにはキーワード検索もついている。「スポーツ」というワードで検索すると、下記のようなブログ(年月日)も出てきた。2019年8月28には、卓球やテニスについて、少し同じようなことを書いている(下記に一部転載)。

過去のブログー「子どものスポーツでも対話的学び」(2021年2月22日)/「スポーツと積極性」(2020年10月4日)/ 「高齢者が運動(スポーツ)をする意味」(2020年1月21日) /「スポーツと人間性」(2019年8月29日)/「スポーツの上達について」(2019年5月22日) /「スポーツと年齢、仕事と年齢」(2018年6月27日)/「スポーツの効用、読書力の衰え」(2017年3月20日 )/「大学のスポーツ大会」(:2016年7月5日)/「生涯スポーツとしての(硬式)テニス」(2016年3月18日)

<大人がよくやるゴルフとテニスと卓球の違いを考えることがよくある。 ゴルフは、あれだけ芝生のきれいな広いところでプレイしたらさぞかし健康にいいだろうなと思う一方、この広大な(人工的な)ゴルフ場をつくために、どれだけの自然が破壊されたのかと考えてしまう。その点、卓球はなんと狭いところでやる慎ましいスポーツなのかと気がする。卓球は室内の競技なので、自然のさわやかさを感じることができないのが欠点。テニスは程よい広さで、四季を感じながらプレイできる点はよい。でもかなり足腰を使うので年寄りには少しきつい。 卓球もテニスも人のいないところに球を打つことが多いが、それだと人の裏をかくということで、人が悪くなるところがある>(スポーツと人間性(2019年8月29日)より一部転載)