日本教育社会学会第71回大会から学んだこと(その2)

 先輩や同期また大学を退職した後輩から、「近頃の学会は面白くなくなった。出席する気がおこらない」という声をよく聞く。困ったことに(?)、浅学菲才の私は、まだ学会発表から学ぶことが多い。今回の日本教育社会学会の大会での発表を聞き、教えられたこと、気になったことを書き留めておきたい。

1 「不利な状況下にある若者」を実証的に研究するのに、「日本で育つ定住外国人」が日本の若者の先端事例として取り上げるという研究があり、その視点が面白いと思った。さらに高校卒業者を「早期離学者」とし、その先の高等教育を受けない「不利な状況下にある若者」に分類する視点が現代的と感じた。(山根麻衣「早期離学者はどのように大人になるのか」

2 同じ人に時期をずらして同じ質問をするパネル調査の報告がいくつか見られたが、その調査結果からは相関関係だけでなく因果関係(原因―結果)まで明らかにできるということであるが、それはどのような分析をするのであろうか。まだよくわからない。報告を検討したい。

3 佐藤香・山口泰史「若者の生活満足度の変化の様態とその規定要因」は、高卒の14年・15回に渡るパネル調査の分析で、データ蒐集の大変さ、分析の緻密さとデータの陰にあるものまでの考察(たとえば、続けて答えてくれる人はどのような人なのか)があり感心した。若者生活満足度を従属変数にして、それを規定する要因を多変量分析で探っている。(私たちも、大学生活満足を従属変数にして、それを規定する要因を多変量で探ったことがある。)ただ、(私たちの調査も含め)心理的な移ろいやすいものしかも個人的なものを、従属変数にするのは、どうなのだろうという疑問は感じた。

4 澤田稔「批判的教育学に基づく’未来カリキュラム‘に関する一考察」(課題研究「カリキュラムの社会学のこれから」)は、アップル門下の批判的教育学研究者の澤田氏が教育社会学のカリキュラム研究に対する評価を発表要旨に丁寧に書かいていて、読み応えがある。

5 各国の思考方法やその表現方法には国の文化が反映しているという渡邉雅子氏の報告は興味深かった(課題研究「カリキュラムの社会学のこれから」)。目的―手段の系列で結果から時間を逆向きに辿り原因を探るアメリカ。フランス革命の伝統があり、公権力の誤謬を正す論理性を身につけ、共和国の価値に合致した行動を至上とするフランス。状況的判断を重んじ、感情を共有し、共同対型能力を重視する日本。これらが各国のカリキュラムや実際の教育にも反映しているという。

6 山本雄二氏の「教育知と主体―歴史教科書への『慰安婦問題』記述を例に」(課題研究「カリキュラムの社会学のこれから」)は、従軍慰安婦に関する教科書の記述、高校教科書では1992年度検定版、中学校教科書では1995年度検定版から、日韓関係の変化に伴い大きく変わったことを、具体的な教科書の記述から明らかにしている。その内容の変化を、「個人主義的主観論」や「抽象的客観論」(M.バフチン)から「生きた言葉」「空白を埋める応答」「主体の召喚」への変化と解釈している(現在はまたもとに戻りつつあるが)。教育方法だけでなく、教科書の知識が学ぶもの相互性や主体性を喚起するアクティブなものかどうかを問う視点は、きわめてユニークで示唆的なものである。