カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読む  水沼文平

カズオ・イシグロの処女作である「遠い山なみの光」を読みました。読み終わっての
感想は話の展開が良く理解できなかったということです。

ロンドンの近郊に住む初老の悦子(「わたし」で登場)はロンドンから戻ってきた次
女のニキと語りあっています。悦子は長崎で長女の景子を生んだ後に離婚、評論家の
英国人と再婚、イギリスに渡ったようです。その英国人との間にニキが生まれました
が、景子は引き籠りの末、家出をしてマンチェスターで自殺をします。

悦子は英国人の夫と娘の景子を亡くし、日本での昔の思い出に浸ります。悦子の思い
出は若い頃に住んでいた長崎のことです。朝鮮戦争が始まったという時代設定なので
原爆投下から5、6年経った頃ですが、原爆で荒廃しているはずの長崎の街中や稲佐の
描写にかなりのタイムラグを感じました。

新婚の悦子は長崎郊外のアパートに住んでいます。悦子は戦争孤児だったのか緒方と
いう長崎の大物教育者に拾われ、その家で育てられ、緒方の息子と結婚します。悦子
は近くの一軒家に住む佐知子とその娘万里子と知り合います。佐知子は東京から流れ
てきた女性です。佐知子は東京で度重なる空襲を経験、戦後はチャラ男の米国人と知
り合い彼を頼りに渡米することを願っています。娘の万里子は空襲の恐ろしい体験が
忘れられない猫だけに心を許せるいじけた女の子です。

この小説には、戦後の混乱の中でさまざまな人物が登場し、夫婦、選挙、地域などで
の「いざこざ」が描かれています。その背景には戦前の「規律と忠誠心」と戦後の
「民主主義と自由」との対立があります。

戦前保持派の代表者が緒方さん、うどん屋の藤原さんであり、悦子の亭主の二郎で
す。この小説に頻出する「将来の希望」という言葉はタイトルの「「遠い山なみの
光」と合致するものですが、その体現者が悦子だと思います。世話になった家の息子
と結婚し子も生したのに、その恩義も忘れて英国人と一緒になってしまう新しいタイ
プの女性。小説では悦子は「戦前保持派」のような人物として描かれていますが、実
は佐知子は悦子の分身で、自殺した景子は万里子の分身として書かれているようにも
思われます。

1954年生まれのカズオ・イシグロは5才の頃長崎を離れています。ノーベル賞作家に
は申し訳ありませんが、彼が日本と日本人について書くのはちょっと無理があるよう
な気がします。

育った環境と言語が人間を形成するという認識を改めて感じました。やはりカズオ・
イシグロの代表作は英国人として書いた「日の名残り」や「わたしを離さないで」、
短編の「夜想曲集」だと思います。

よく分からない小説を読んで、よく分からない読書感想になってしまいました。

最近のプールに行く

娘の家族が九十九里のプールに行くというので、海が見たくてついて行く。
千葉県最大級のプールといううたい文句の「蓮沼ウォ―タ―ガーデン」へ。
家からは車で1時間10分ほどのところ。watergarden.hasunuma.co.jp/
今日(17日)は平日だが、お盆休みの人もいるせいか、かなりの人出。
入場料が子ども(小学生未満)200円、小中学生400円と安いが、大人は1700円と決して安くはない。
ただ、いろいろなプールがあり(海、渦、浦、岬、浅瀬、湖、渓流,沢など20種類ある)、使う水の量も多く、従業員も多数必要な為、決して儲かる商売ではないのかもしれない。それにプールは天候に左右される。
3歳と6歳の子(孫)は、波のプールやスライダーなどいろいろなプールで楽しんだ模様。土地柄か、家族連れが多く、子ども達の歓声を聴きながら私はテントの中でうつらうつらして、日頃の疲れを取る。
近くの九十九里の海に寄る暇がなく、雄大な海を見ることができなかったのが少し残念。

追記ープールから海に出られるようになっていて海を見ることも出来たし、海水浴も出来たとのこと、後から知った。残念。

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watergarden.hasunuma.co.jp/

教育の素人が決める教育政策の危うさ

教育は誰もが受けてきたことなので、誰もが一家言もっている。とりわけ功成り名を遂げた人は、「自分のように偉い人間になれたのは受けた教育のせいでありその教育の方法で万人を教育すればいい」と考え勝ちである。

政府の教育関係の審議会は、上のような考え方に立ち、委員のほとんどが教育以外の分野で功成り名を遂げた人(社長、芸術家、タレント、学長等)であり、教育の研究者が入ることは少ない。
教育のこと管轄する文部科学省の官僚も、大学で教育学を学んだものは少なく、政治や経済が専門のものが多い(確か国家公務員試験の教育職で試験を受けても文部科学省に入れない)。さらに、最近は、文科省の官僚が入試の不正に関わったり、文科省の信用はガタ落ちである。
このような状況の中で、国の重要な教育政策が、教育の専門家抜きで、全くの教育の素人の考えで、しかも上から決められていることに、危惧を感じる教育関係者は多い。
教育政策が、文部科学省ではなく、内閣府主導で提言され、それが専門家の意見も聞くことなく、官邸主導で実行に移されていく。
大学の経営統合や再編、学長への権限の集中化、授業料の減免や給付型奨学金を出す大学の選定を行政官庁が行う等、およそ教育の理念や実態にそぐわない政治や経済の論理で、行われようとしている。(上記は、高等教育政策の分野のことであるが、初等中等教育の分野では、IT関係のことに注意する必要がある)

このようなことは、教育研究者が皆危惧していることであり、高等教育研究者の羽田貴史氏が、「教育学術新聞」(平成30年8月8日号)に「混乱に充ち、根拠なき最近の高等教育政策」と題して、明解に批判している。

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夏の風物詩―屋形船で花火を楽しむ

夏になると各地で花火大会が開かれる。
千葉でもいろいろなところの花火大会があり、うちでよく見に行くのは千葉市の花火大会(幕張の海浜公園で開催)や御宿の花火大会である。
花火大会は、無料で見ることができるのがいい。打ち上げの近くまで行けば、かなり大きな迫力のある綺麗な花火を見ることができる。
ただ、難点は、人が多すぎ混んでいて、押し倒されないかという身の危険を感じることがあることである。そうかといって、高い観覧料を払い、席を確保することのも気が進まない。

今回たまたま、屋形船から東京の夜景と東京湾花火を見るツアーに参加した。
屋形船に乗るのは生まれてはじめてだし、揺れるのではないか、人が多くて暑いのではないかと、最初あまり気が進まなかたが、実際乗ってみると、なかなか風情のあるものだと感じた。
80人乗りの船に50人ほどの乗車で、ゆったりしていて、冷房もきいていて、トイレも付いている。案内係の人が下町風に親切で、東京の下町のよさを感じた。
東西線の木場駅の近くの船着き場(昔からの水路の川、東京の昔の交通に思いを馳せた)から乗って、晴海などの海浜を周遊し、レインボーブリッジをくぐり、お台場に到着し、そこで停泊して花火を鑑賞。多くの屋台船が参集していた(我々の乗った船は年寄りが多かったが、なかには、若い人だけが乗ったにぎやかな船もあった)
船から眺める東京の夕焼けに生えるレイボ~ブリッジや高層ビルもなかなか綺麗。近くで見る花火も迫力満点。打ち上げられた花火が水に写りゆらゆら揺れて情緒があった(下記の写真参照、クリックすると拡大する)。

屋形船というのは、かなり古るからあったもののようである(その歴史に関しては、たとえばyakatabune.tokyo/history/
参照)
花火以外の時もいろいろなクルーズがある模様。何かのイベントで、皆で乗ったら、とても楽しい会になると思った。www.team-yoshinoya.com/yakata.html

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テレビで映画を観る

普段あまりテレビを見ない私でも、夏休みで暇になり、またこの暑さでテニスも卓球も出来ず、外に出かけるのもままならないとなると、テレビを付けて、チャンネルを回してだらだらとテレビを見ることが多くなる。
あまりバライエティやお笑いものは見る習慣はなく、事件もののテレビドラマをみることが多いが、テレビドラマというのは、制作費や時間がないのか、ちゃちな作りになっていて、映像が安っぽく、スト―リーに無理があり、見終わって、落胆し、時間の無駄をしたと思うことが多い。

その点、同じテレビでみることができる映画の方が、時間とお金をかけて作っただけあって、映像が重厚で、物語もよく出来ていると感じる。特にアカデミー賞を取った映画は、見るだけの価値があるものが多い。

最近「ネットフリクス」でみた3つの映画は、どれも面白かった。
「ラ・ラ・ランド」(観るのは2度目だが、今回の方が印象がよかった)
「レオン」(最後どのような終わりになるのかハラハラした)
「高慢と偏見」(主人公の女性が頭がよくきりりとしていて、魅力的であった)

「高慢と偏見」は、有名な小説でありながら、これまで読んだことがなかったので、是非読んでみたいと思い、本をアマゾンで注文した。
その小説のよさに関して次のようなコメントもある。
<映画は単純なラブストーリーになってしまっていて、映画だけ観ても目新しさというのはあまり感じられない。小説にはジェイン・オースティンならではの面白さがあるような気がする。小説には批評眼や独特のユーモアが光る感じがする。映画のダーシーも、それほど悪くはないのですが、映像はやっぱりイメージが固定されてしまいますから、小説の方が抽象的なよさがあって、ダーシーという人間の個性が、映像よりも逆によく分かる感じがあります。>
(https://ameblo.jp/classical-literature/entry-11063893819.html )