カズオ・イシグロ『充たされざる者』(早川書房、2007)を読む

昔は、観た映画や読んだ本について、それらを既読(観)の人を探して感想を聞いたものだが、今はネットでコメントや感想を読むことができるので便利である。

カズオ・イシグロの「充たさざる者」(翻訳)は文庫で939頁の大作で、しかもストーリーや人間関係がよくわからず、なかなか読み進めず苦労したが、後半は一気に読め、よくわからないながらも面白かったなという感想をもった。
個人的には、老いてから奥さんを大事にしなくてはいけないなという教訓を得たが、本の主題はそのようなことにあるわけではなく、もっと文学的なところにあるのであろう。ネットに載っている解説や感想を読んで、いろいろ考えてみたい。

<カズオ・イシグロの「充たされざる者」を読み終えた。中盤あたりを読んでいるときは正直なところ苦痛でしょうがなかった。一体何の話をしているのだろう、いつになったら話が進むのだろう、そんな疑問を抱えたまま物語はあちこちへふらふらと漂っていた。中盤を越えたあたりからなんとなく本全体の様相が掴め「そうか、これはカフカの城だ」と思うと妙におもしろく感じてきて途端に読むペースが上がった。>

<900頁えの超大作。問題作、まさに「充たされざる者」 主人公も読者も「充たされざる者」200頁までは正直。たいくつだった。眠気との闘い…。それ以降は面白くなってきてよかった。>

<ストーリーは、ライダーがピアノの演奏をするためにある国のホテルにやってきたところから始まります。 ただ、時間の流れが一体どうなっているのか、地理的にもここは一体どうつながっているのか。今はそんなことをしている場合ではないのでは? 大作ですが、セリフを中心に話が進んでいくので次が気になり、とてもおもしろく読むことができました。 ただ深いです。人生はこのようなものかもしれません。>

<老ポーターのグスタフに頼まれて会いに行った女性ゾフィーと、少年のボリスは、記憶がよみがえってくると、ライダーの妻と息子らしい。街や建物や人々も、見覚えがあるものもあるが、時により記憶が定かではない場合もある。これはライダーの記憶が曖昧なせいか、それとも彼が疲れすぎていて、状況をきちんと整理できていないのか。ライダーは自分の予定を確認し、重要なものから片づけようとするが、次から次へと別の用件が入り、思うようにいかない。>

<時間・空間・人間の関係をすべて歪めて、夢の中にさまよいこんだような物語。目的地にたどり着けない焦燥・状況の細かなところが分からない不安感、現在の人間と過去の自分の重なり合い。同じような夢を繰り返し見る自分にもそんなカフカ的状況が切迫してきました。>

<時間軸がはっきりせず、夢の中のよう。急いでいるのに目的地へ辿り着けず、次々と湧いてくる頼まれごとや他人の人生に巻き込まれる。どの登場人物も心は何処か病んでいる。使命感はあるが、何も果たせない虚しさ。最後の晩餐ならぬ焼き立てのクロワッサン朝食を味わえた人生だったと思いたいが。人の一生ってこんなようなものかもしれない。>

<それにしても,こんな小説を,あの完璧な「日の名残り」の後に何くわぬ顔で発表しちゃうんですよ。カズオ・イシグロは黒い。素敵すぎる。やっぱり化け物だと思います。>

(https://bookmeter.com/books/472269)
(http://lfk.hatenablog.com/entry/2018/01/13/213838)
(https://www.kinokuniya.co.jp/c/20130505101506.html)

映画「かぐや姫」を観る

スタジオジブリの高畑勲監督の「かぐや姫」(2013年)をテレビで観た。
このようなアニメ映画を作るのに膨大な年月(8年)と人手それに費用(50億円)がかかっているという。
「日本の四季と豊かな自然の中で生き、時に荒々しく感情を爆発させ動き回る、かぐや姫を生身の人間として描いた物語であり、心に刺さるリアルな物語でもあった。ざっくりした描線で描かれたキャラクターと水彩で描かれた美術が美しく融合する。個人作家が用いる手描き線を生かす表現は、長編アニメーションでは困難を極めるが、高畑監督はこの表現にこだわり抜き、日本のアニメーション界の素晴らしい画家たちの力を結集し実現させた」という評がネットで紹介されているが(https://ja.wikipedia.org/wiki/)、その通りなのであろう。
ただ、登場人物がかぐや姫を含めあまり魅力的な人がいないのが、残念であった。
これは高畑監督の女性観や人生観なのであろうか。
描かれたかぐや姫は幼い頃は活発で自由奔放であり、成長して知的な美少女になるが、周囲の意向に合わせる控えめな日本女性になり、魅力的でなくなってしまう(ように思う)。
これは、昔の日本の男の描く理想的女性像としては当てはまるかもしれないが、時代錯誤を感じる。
高畑勲監督はこの映画で何を描きたかったのであろうか(「姫の罪と罰」?)