ハルキストについて

「ハルキスト」は、次のように定義される。
<ハルキストは、村上春樹(小説家)のファンの通称。ハルキストは、村上春樹の小説やエッセイから伺える村上の趣味や生活スタイルに影響を受けている場合がある(マラソン・水泳、映画、文学、音楽、料理、猫など)>(wikipedia)
村上春樹の趣味や生活スタイルまで好きになる人となると、数が限られてくると思うが、村上春樹の小説が好きで、自分はハルキストと思っている人は、かなりいるのではないか(それ以上に、村上春樹は嫌いという人も多いと思うが)。

村上春樹は、川上未映子との対談で、作家とファンの読者との関係を「信用取引」と言っている。(村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛び立つ』新潮社、2017.4.25)

「一生懸命時間をかけて、丹精を込めて僕が書いたものです。決して変なものではありませんから、どうかこのまま受け取ってください」という作家の依頼を、「わかりました」と信頼して受け取る関係が成立していること(134頁)。これこそ、ファンであり、村上春樹の場合は、ハルキストになるのではないか。
この対談の中で、村上春樹が、イディアとかメタファーという『騎士団長殺し』の中でとても重要な言葉を、独自の(勝手な)定義で使っていることが明らかにしている。(155頁)。

『騎士団長殺し』の登場人物・免白さんが作家自身にも謎(ミステリヤス)の人であることが示されている(204頁)。
昔書いた小説を読み返さないということも明言している(村上春樹の過去の小説のことは、対談者の川上の方がよく知っていて、村上が尋ねている)。
村上春樹の小説には、死後の世界がよく出てくるが、本人は死後の世界や来世があるとは信じていないとのことの述べていて興味深い。
「僕は性格的に、何かを強く憎んだりとか、喧嘩をしたりとか、あまりしない人間なんです」「戦うという行為の中に、ニセモノの要素がどんどん混ざり込んでくるんです」(85 ~86頁)と、60年代末の学生運動を経験した村上春樹の姿勢が表明されている。
また、グールドのバッハの曲のピアノ演奏が、左右の手で全く独自に自己主張しているが、最終的に調和がとれるという村上の音楽解釈(それが村上の小説の手法にも取り入れられている)が披露さている(103頁)。

この本に関しては、川上の下記のコメントもある(朝日新聞デジタル5月25日より転載)
<村上さんは一貫して率直にあけっぴろげに、自身の創作について語っている。ここまで手の内を明かしていいのか、と思うほどに。 同じ書き手である川上さんの、作家としての自分をぶつけるような問いが、そんな率直さを引き出した面もあるだろう。「私が聞いて春樹さんが答える形だけど、やっぱり質問そのものに作家の自分が内包されてしまう」と川上さん。 「作家と作家が真剣に話すって、けっこう危険なんです。私には私の創作領域があり、春樹さんにももちろん巨大なものがあって、そこに潜っていくのはそんなに簡単なことじゃない」 でもきっと、自身にとって大切な仕事をしたという充実感があるのだろう。「二度としません、こんなのはもう絶対無理」。高揚の余韻を、うらはらな言葉に響かせた。>

このインタビューでは、村上春樹の「弱さ」や「いい加減さ」も披露されていて、それも含めて「信用できる人」だなと思い、好感を持っている私も、ハルキストの一人かもしれない。