植草学園大学での授業 (「学校教育制度概論」)

私が非常勤で植草学園大学で担当している授業では、学生に発表をお願いしている。 毎回、パワーポイントでテキストの詳細な内容紹介のレジメを作り、関連したこともインターネットで調べ、発表してくれる。そのような訓練が、大学でなされているのであろう。1月5日の発表は、遠藤隆志「子どもの成長と運動」(高野・武内編『教育の基礎と展開―豊かな保育・教育のつながりをめざして』学文社、2016年集録、8章)がテーマ。ただ、発表者の力の入れように比べ、聞く方の学生は、聞いているのか聞いていないのかわからない態度で、グループ討論も活発ではない。これは私の教え方(指示)の問題なのか、たまたま今回の学生の構成によるのか、大学や学生全体の雰囲気によるものなのか、わからない。大学教育は難しい。img_5237img_5238

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植草PP

神田外語大学の授業(「教育社会学」)

非常勤で担当している「神田外語大学」の授業が6日(木)にあった。
講師控室から教室に向かう廊下で、学生達の「勉強するぞ」という意気込みを感じた。昔授業に少し出たアメリカのWisconsin大学の雰囲気がこのようだったなと、冬の寒さと一緒に感じた。
この授業では、前回、教員採用試験も問題も例示し、今年度の千葉県教員採用試験の教職教養の試験問題もやってもらい、教員採用試験にも少しは役立つ内容も扱った。
今回の授業ではテキスト『学生文化・学生文化の社会学』(武内清)の「変容する大学の学生生活」(5章)と「2000年代中期の学生生活」(6章)に関するいい発表が、的確なレジメをもとにあり、グループの討論がなされ、教育社会学的な観点も入れ、大学教育の意味や大学生活の過ごし方について、学生達に考えてもらうことができたと思う。
配布レジメと、学生のコメントの一部を掲載する。

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大学の新年

昔の大学はのんびりしていて、新年に小中高の学校が始まっても一向に授業の始まる様子はなく、ようやく15日の成人式が終わった頃に授業があったように思う。
最近の大学は、新年に小中高校より早く始まる。敬愛大学でも、1月5日には全教職員が集まる「新年の集い」があり、この日から集中講義が始まっている。植草学園大学でも5日から授業があった。神田外語大学でも6日から授業があった。
学生にお正月の過ごし方を聞くと、「元旦からアルバイトでした」「年賀状は出しません」と、いう回答が返ってきた。
店も元旦から開いているところが多い(うちの近くでは、イオンが元旦から開き、福福も販売していた)。昔は、お正月は店がみんな閉まってしまい、独身者は寂しくひもじい思いをして、「早く結婚しなければ」と思ったが、今は元旦から店が開き、お正月が婚姻率を上げる役割を果たさなくなったという説もある。
お正月の意味が、昔から変わってきているように感じた。

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留学生について

敬愛大学に勤めて一つ悔やまれることは、大学にアジアからの留学生が多数いて、その何人かは、私の1年生のゼミでも担当させてもらっているにもかかわらず、彼ら(彼女)らとの交流がうまくいかず、ゼミも終わりそうなことである。
留学生はアジアから遠路日本の大学に留学に来たのであるから、日本のさまざまなことに関心があり、日本人の同級生や教員とも接して多くのことを学びたいと思っているに違いない、また祖国と日本の社会や文化の違いに驚き、その差異の由来を探求したいという気持ちを持っているに違いないと予想し、それらが学べる機会を作るのが担当教員の役割と考え、いろいろなことを企画し、水を向けたりするのであるが、留学生からは、戸惑った表情をされたり、ゼミを休まれたりして、うまくいかなかった。
私の努力や工夫が足りなかったというのが一番の理由だと思うが、アジアからの留学生が日本の大学に何を求めてやってくるのか、日本で何に楽しみを見出し、何に戸惑っているのかなど、きちんと実態を把握して対処する必要があったことを感じた。

昨年、うちの隣の家に2か月ほど滞在していたアメリカ人女性は、うちの家族の押しつけがましい(?)誘いも喜んでくれたらしく、彼女の日本滞在記録の写真に、うちの家族との交流も入っていて、アメリカ人が日本のどこに惹かれているのか一端がわかり興味深かった。
アジアからの留学生にもこのような写真の記録を出してもらえば、何かがわかったのにと悔やまれる。

Here is the link to my 2016 “My Life” video…I posted on my blog. Thought you might enjoy.     https://www.youtube.com/watch?v=HwTeACmw4X4

年賀状について

昔、友人のひとりが、「年賀状などという虚礼をやめよう」という「勇気ある提案」をして、その理由を書いた長々とした手紙を皆に送ってきたことがある。その趣旨に賛同しながら、ずるずると年賀状を出し続けてきた。
前年にお世話になった人に、そのお礼を兼ねて年賀状出すのはいいのだが、その関係が途絶えてからも、惰性で何年も年賀状のやり取りが続く場合が少なくなく、これこそ虚礼であり、やめた方がいい。
しかし、こちらから出さなくても先方から年賀状をいただくことがあり、その返礼を書き、結局年賀状のやり取りが続いてしまうことが少なくない。
「退職(や高齢)を機に、年賀状を取りやめます」と宣言される先輩や後輩もいて、それはスッキリしていいと思う。

教え子から年賀状をもらうことが昔は多かったが、今は少なくなった。昔勤めていた武蔵大学や上智大学の学生や院生から多くの年賀状を受けとったが(今もそれが続いている人も少なくない)、今教えている敬愛大学の学生から年賀状をもらったことはこの6年間1通もない。これも考えてみると少しさびしいが、今の学生に、教員に年賀状を出すという習慣はないのではないか。さらに年賀状自体誰にも出さないのかもしれない。普段からSNS(フェイスブックやライン)で友人と連絡を取り合っているので、わざわざ紙の年賀状で新年の挨拶をするなどという面倒なことをしないのであろう。
私の歳になると、年賀状を出さなかったり返事を書かなかったりすると、「生きているのだろうか?」とまず疑われるので、年賀状は、「今も生きています」という生存宣言のようなものになっている。
それでも、昔の知り合いや教え子から年賀状をもらうと、その人との交友や関係があった頃の情景がいくつか鮮明に浮かび、昔を懐かしみ、嬉しいことである。
武蔵大学の教え子のI君の今年の年賀状には、「子どもが就職の時期を迎えた」とある。彼で思い出すのは、授業の合間に私の部屋に来て「ジャックダニエル」を1杯のみたいといい、飲んで授業に出ていったことである。そんな牧歌的な時代があった。
上智の卒業前のゼミ生を自宅に呼んで料理してもらい食べる会を毎年開いていたが、そのときの働きぶりと、送ってくれた年賀状の今の家族の写真を重ね、彼女(彼)の今の生活ぶりを想像するのも楽しい。
このように、年賀状は、人それぞれ効用や楽しみがあり、なかなか辞められないのかもしれない。ただ、ネット時代だし、ネットの年賀状にした方が、便利でいいのかもしれないと思う(「もう既にラインでやっています。知らないのは先生だけです」という学生の声が聞こえてきそうだが)

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