授業参観

大学のFDの一貫として、他の教員の授業を参観することが奨励されている。
今日は、敬愛大学の留学生に、日本語表現などを教えている坂東実子先生の授業を少し見学させていただいた。
日本語の敬語を学ぶために、自分達で劇を創作し、敬語を使った会話を行うというもので、留学生たちが一生懸命、日本人でも難しい敬語を使って演じているのが、ほほえましかった。
私のゼミにいる留学生が、この授業では見違えるように生き生きとしているのには感心し、反省もさせられた。

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読んだ本の処遇

高齢化し,大学を退職する時、一番困るのは研究室の本の処遇である。
もう読む可能性も少なく、置く場所もないので、処分するというのが通常のやり方である。
私もそのようにしなければと考えているが、何となく心が晴れない。自分の持っていた本がどこかで再利用され、誰かに読んでもらえればいいのではないかと考えるが、何か納得できない部分がある。
読売新聞の「人生案内」(11月12日)で、心療内科医の海原純子氏がそのような相談に答えていた。とても納得できる回答であった。
「(書籍を処分するということは)、自分の一部がどこかに消えたような空虚感に襲われます。」
「読んだ本は情報のためだけに存在するのではなく。その時の自分が刻まれた歴史のような気がします」

もう一度、本の処分に関して考えてみようと思う。(「これまで読んだ本を残し、読んでいない本を捨てる」のが鉄則、といった先輩の言葉も思い出す)

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社会的格差と教育

今日(11月16日)の授業(教育課程論)の記録を残しておきたい。
テーマは、「社会格差と教育」
学生には、A4にすると5枚の資料(社会格差について、社会格差と教育、学力についての内容、一部下記に添付)を配り、その要旨を口頭で説明し、資料を読んでもらい、、下記の質問に答えてもらった(リアクションに記入)。そして、各問2ずつ、その解答を黒板に書いてもらい、解答を共有し議論した。
① 格差と教育の関係は相互にあること(それぞれ独立変数、従属変数になる)。
② 教育は、格差(階層)の再生産機能を果たしていること。
③ 子どもの学力は親の階層に規定されるものの、その間には媒介要因があり、その媒介要因の内容(たとえば子どもの教育に関心を持つ)は所与のものでないので、親や子どもの努力次第で変えることができること、
④ 「効果のある学校」に見られるように、学校や教員の努力により、格差の軽減、克服も可能である、ことなどを話した。
リアクション (テーマ 社会的格差と教育)
1社会格差とは何か(資料A参照) 2社会的格差と教育はどのように関係しているのか(A,B,C参照) 3学力の格差をどう考えるか(B,D参照) 4 学校や教師は社会的格差に苦しむ児童・生徒の何をすればいいか(E,F参照)。

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学生の黒板に書いた解答やリアクション記述を読むと、「社会的格差と教育」に関するエッセンスを多くの学生が、理解してくれたことがわかる。