高校教育に関する教育社会学的研究について

先の教育社会学会の68回大会での高校教育関係の発表の内容の紹介と感想を書いておきたい。(大会プログラムは、http://www.jses2016.info/でみられる)

1 高校のサポート校は、生徒の出入りが激しく、その生徒文化は固定的な学級に所属する従来の学校の生徒文化とは違った、新しいタイプの生徒文化(キャラ)が形成されている。(内田康弘)
2 私立の通信制高校は、不登校の生徒の受け皿としての役割を果たし、高校教育を補填するという側面をもつが、そのカリキュラムは生徒寄りのもの(アニメやダンス等)もあり、授業料は高額で、「貧困ビジネス」という側面もあり、注意が必要である。(酒井朗)
3 可能性がありながら力を発揮できない生徒を受け入れるエンカレジスクール(高校) が東京都にはある。調査と実際(校長体験)から考察した研究(大塚一雄)
4 定時制高校における中退問題を、高校のタイプ(定時制・昼夜間、定時制/学年制、通信制)に考察した研究(古賀正義)
5 高校の学力階層とネットいじめの関係に注目して分析した研究、サンプル多い(調査対象 66,400人)(原清治 佛教大学教育学部紀要、第14号参照)
学校におけるいじめに関しては、ネットいじめが、実際の学級でのいじめと連動する形ではたらいている。高校内部の生徒間の多様性が高い高校ほど、いじめの被害も拡大する(大多和直樹、小針誠、小林至道)。
6「定期考査に向けて頑張ること=受験準備になる」という仮説を検証した、高校中堅校の大規模な調査(濱中淳子、山村滋)
7 高校時代の努力が、高校卒業後のライフコースにどのような影響を及ぼすのか(教育達成・職業達成への影響、努力習慣の形成への影響)の、高卒後12年間のパネル調査(高校卒業時7563名を対象)(山口泰史)
8 普通科での職業教育がなされている。(「公立高校における専門教育提供構造の都道府県比較」小黒恵)
9 生徒や親は公立と私立の選択をどのような理由でしているのか(「高校の設置体を選択するメカニズム」西村良一)
⒑ 進学校で、勉強以外が奨励されるのはなぜか(「進学校に於ける非進学的な教育内容の役割―「文武両道」言説の採用過程に注目して                    加藤一晃」)
11 地方の高校生は、卒業後どこに移動するのか(「地方における高校生の進路選択―「福島県高校調査:から」 遠藤健、沖清豪」

教育社会学の研究で、高校教育に関係したものは少ないのではないかと思ったが、 意外と多く見られた。上記以外もまだある。さまざまなテーマが取り上げられているが、教育課程(カリキュラム)関係は少ない。高校生の生徒調査は、ほとんど高校種別やランクが意識されている。サンプルの多いものや、パネル調査もみられる。エスグラフイー調査もある。どれも、研究の水準は高く、さすが教育社会学と思わされたが、気になったことがある。
ひとつは、サンプルの多い調査や長年時間をかけてパネルで調査するものもみられるが、そんなに労力と時間をかけて(お金もかなりかかっている)調査するテーマ(内容)なのかと思うこともあった。調査の手法としては完璧なのであるが、調べている内容は、自明なことやもっと少ないケースで追ってもわかることもあるように思った。調べている内容は、些細な状況で変わってくるものもあり、それを統計的な有意差で検定しても、どれほどのことが言えるかと思うこともあった。
もう一つは、これは高校研究に限らないが、その分野の研究をレビューするとき、一番最初のものは無視し、途中のものからあたかもそこが研究の出発点のようにレビューしているのをみることが多い。これは研究者のマナー違反ではないか、これでは最初の研究者が報われないと感じた。

ジェンダーについてー 男の子の生きづらさ

先日、民放のテレビで、これまで女の子と縁のなかった東大生を集め、お見合いパーティーのようなものをして、好きになった女性に「好きです。付き合ってください」と告白させ、相手の女性の反応をもらうような番組をやっていた。
それぞれの東大生はこれまで何かに打ち込んできたあるいは趣味を持っている風で、風采もオタク的ではなくさわやかで好感がもてたが、女の子たちの反応は一様に冷ややかで、 拒否されるケースが多く(理由は、「男を感じられない」「弟のよう」など)、東大生の傷つく表情が印象的であった。
勉強ができ出世街道に乗っているようにみえる東大生であっても、異性関係はこんなに難しく、人生にはいろいろな試練があるということを、若者に知らしめるという番組の意図(同時に東大生が傷つくところ見ての視聴者が日頃のうっぷんを晴らす?)を感じた。
だだ、若い女性たちのきつい言葉を聞きながら、(それはテレビ局に言わされているのかもしれないが)、今の男の子たちも大変だな、と同情を禁じ得なかった。

一方、「男性は、自らのセクシュアリティを女性に投影してしまうことが多い。だが、男女のセクシュアリティ――それは多かれ少なかれ身体の構造にも由来する――は相当に異なっており」(杉田聡http://webronza.asahi.com/culture/articles/2016092900002.html)ということを考えることも必要で、女性の立場でも考えていかなければいけないのであろう。