防災訓練のバーベキュー

「喉元過ぎれば,熱さ忘れる」という諺があるが、防災のことを忘れがちになる。危ない。
以前に、防災に備えて、七輪を購入していたことをすっかり忘れていた(ガスや電気が使えなくなったら、七輪で焼いたり温めたりしようというわけである)。今日たまたま、庭の物置で、七輪と炭を見つけ、それを使ってみることを思いたった。
そこで、家族に、今日は防災訓練も兼ねて、七輪でバーベキューをやると宣言し、庭のかたずけをはじめた。
ところが、庭のかたずけ等が意外とてこずり(朝顔を抜いたり、簾を片付けたりした)、何とか目途がついた段階で、すっかり疲れてしまい、バーベキューをやる気力をなくし、家族にバーベキュー中止を告げた。
 Aをする為に、Bをやり、Bをやったことで疲れたり満足して、Aをやることを中止する、ということは、よくあることである。 
それに対して、家族から大ブーイングで、その声に負けて、やはり防災訓練のバーベキューをやることにした。
  案の定、なかなか炭に着火しない。そこで仕方がなく、台所のガスで炭に火を付け、それを七輪に移す(この時点で、もう防災訓練でなくなっている)。
 結局ただの家族バーベキューになってしまったが、久しぶりのバーベキュー(昔、上智の学生を呼んで、家の庭でバーベキューをよくやった。しかしこのところ10年くらいはやっていない。。今回は、3歳と9カ月の子どもは初体験で、それなりに楽しんだ。少しは防災訓練にもなったかもしれない。

(七輪に関して、Mさんより次のようなコメントをいただいた。
 ブログで七輪を拝見しました。子どもの頃、七輪で餅を焼いたのを覚えています。ガスがまだ来ていませんでしたから、炭を熾す方法があったのでしょうが全く覚えていません。)

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人との関係があるということ

 生活しているといろいろな人との関係が自然と生まれる。時にそれが煩わしいと思うことがある。
 しかし、それは「年寄りでない」ことの特権で、退職し、ましてや一人暮らしになったとき、人との関係はほとんど途絶えてしまう。その時になって、人との関係はあることのありがたさがわかる。
 たとえそれが、振り込み詐欺の人であっても、自分に話しかけてくれた人がいるということがうれしいのではないか。
 年寄りの視点から考えてみると、どのような形であれ、人間関係があるというのは、とても嬉しい。身近な具体例をあげてみよう。
① スパーでも、近くの商店街でも、コンビニでも、買い物をしたとき、そこの定員と話ができるのは、嬉しい。
② 近所を散歩している時、知り合いや知り合いでなくても、話ができれば楽しい。
③ 犬を飼っていて、犬の散歩に出かけると、その犬を媒介にして、いろいろな人と話が
できる。同世代だけでなく、異世代の人と話ができるのは至福。
④ 病院に行き、そこの医者や看護婦が、いろいろ気遣ってくれるのは嬉しい。
⑤ 何か、地域のサークルやスポーツのクラブ、あるいはボランティアの会に入っていると、そこでの活動を通して、いろいろな人と交流できる。
⑥ (私達のように)、歳をとってからも大学の非常勤として雇ってもらえ、若い人と日々接することができるというのは、大変有難い。
⑦ 子どもの家族と同居することは、「やっと子育てが終わったのに、煩わしい」と感じることがあるが、「それは天から与えられた贈りもの」というF先生の言葉が、心に残っている。

 以前に、「レンタルフレンド」という制度があることを紹介したが(2014年5月31日ブログ)、人間関係というものを、お金に換算したら、とても高価なものになる。
 「水と平和はただ」と考えるのは日本人だけという説があったが(イザヤ ベンダサン)、「人間関係はただ」と考えるのは、少し考え直した方がいいかもしれない。(大学という場は、高い授業料を払って、人間関係を得に行く場なのかもしれない、とフッと思った)