年始の挨拶

昔は、正月に大学の先生の家にお年始に行くという習慣があった。私たちの院生の時、教授の清水義弘先生のお宅に1月2日に、助教授の松原治郎先生のお宅に1月3日に伺うという習慣がいつの間にか出来上がいた。

お正月には、院生達皆で三々五々押しかけて、先生の奥様の作るおせち料理とお酒をいただいた。研究室の先輩も来ていたので、全部で20人から30人は、伺ったと思う。先生だけでなく、料理を作り出す奥様も大変だったろうと今は思う。
うかがう方の我々も、独身ならまだしも結婚して家族がいても、まず優先は先生のお宅への年始の挨拶であり、お正月(2日)に家族で旅行するなどということは考えられなかった。
私の場合、この習慣は、院生の頃から先生が亡くなられる直前まで続いたから、4半世紀近く続いたことになる。(松原先生は早く亡くなられたので、清水先生宅だけであったが)
上記は、院生及び大学院卒業生の習慣で、学部生や学部卒の人にはそのようなことはなかったが、1〜2度、学部生も呼ばれ、いつもの倍以上のにぎやかさの時もあった。
このように、指導教授が弟子たちをお正月に全員自宅に呼び、1年の初めの心構えなどを教え諭す(と言っても、教授自身がお酒をかなり飲み、無礼講の部分もあった)のは、どのような文化的背景から来ているのであろうか(夏目漱石以来の伝統であろうか?)。

「近頃の若い院生は、研究を自分探しのものと思っている。研究は社会の為にやるものであり、社会的観点からテーマを選ぶべきだということがわかっていない」というようなことが教授と年配の先輩との間で話し合われ、若い院生に聞かされたこともあった。年始の席では、時の教育問題がいろいろ議論されていた。若い人の研究や就職や結婚のことも話題になっていた。これらは、弟子や院生の指導に必要なことだったのかもしれない。それらは教授や先輩による弟子たちや後輩への研究指導や生活指導でもあったのであろう。

当時、清水先生宅でお正月に、よくお会いしたのは、次のような人達である(敬称略)。
河野重男、麻生誠、天野郁夫、潮木守一、日比行一、神田道子、新井郁男、田村栄一郎、星野周弘、菊池城司、松本良夫、細川幹夫、熊谷一乗、山村健、牧野暢男、牧野カツコ、江原武一、大淀昇一、新井真人、木村敬子、岡崎友典、藤田英典、牟田博光、鐘ヶ江晴彦、金子元久、岩木秀夫、渡辺秀樹、中山慶子、もっと若い世代では、耳塚寛明、苅谷剛彦、広田照幸など。他に地方の大学に勤めていて、飛び入り参加の方もあった(渡部真、小林雅之、秋永雄一など)。市川昭午先生もいらしたことがある。この人たちが集まって、教育論議をしていたのだから、とても贅沢な会であったことは間違いない。

今は、もうこのように、お正月に教授の家を訪ねる習慣も、正月にお酒を飲みながら教育に関して議論する習慣もなくなっていると思う(あるいは、誰かがこの伝統を引き継いでいて、私が知らないだけかもしれない)。

読書会の思い出

新年は昔のことを思い出す時でもある。昔の知り合いから年賀状が来るからである。

自分が大学生の頃(つまり半世紀前に)、近くの図書館で読書会が開かれていて、それに参加し、その時の知り合い4人から年賀状がいまだに届く。それだけ、繋がりが深かったのであろう。ただこの50年間ほとんど会ったことはない。
図書館の名前は、市川市立図書館。読書会の名前は「さく壁読書会」(その会は200回以上続き、新聞でも紹介されたことがある)。
月に2回開かれ、読んでくるべき本(ほとんど小説)が決められ、その内容に関して、自由に話し合うというものである(終わってから喫茶店に行き、話が続くことも多かった)。
最初に参加した時の本が、大江健三郎の『死者の奢り』で、大江健三郎や安部公房や倉橋由美子といった、どちらかというと当時の純文学的作品が取り上げられることが多かった。『風と共に去りぬ』『戦争と平和』といった世界の名作が選ばれる時もあった。お蔭で、私の読書の幅は、大幅に広がった。
ただ、参加者に、自分で小説を書いている人がいて、同人誌などが発行されていたが、文学専攻のものはあまりいなくて(法学部や商学部の大学生が多かった。OLの人もいた)、文学的な論議がかわされた覚えはあまりない。みな好き勝手に感想を述べ合い、それで終わったように思う。
それでも、本をきっかけに、いろいろなことを話し合うという経験がそれまでの私にはなく、とても新鮮で3年近く参加し、一生の友のような知り合いが何人もできた。
その後、その友人に会う機会がほとんどない。そろそろ再会しないと、一生会えないかもしれない、と思うようになった。

新年のご挨拶

明けまして おめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。

2015年(平成27年)元旦
              武内 清