防災教育のシンポを聞く

 今日(5日)は、公益財団法人・中央教育研究所主催・千葉県教育委員会後援のシンポジウム(「防災教育を考える」シンポジウム in 千葉)を聞きに行った。(http://www.chu-ken.jp/)。場所は千葉大学教育学部。地味なテーマで、参加費(資料代)が1000円かかるにも関わらず、100名近くの参加があり、盛況であった。私は、全く知らない分野なので、いろいろ学ぶことが多かった。
「学校における防災訓練がいかに重要かということ」、「災害時にはマニュアルは役立たず、トップ[校長]の瞬時の的確な判断がものを言うということ」「東京は建物の崩壊と火災の備えはしているが、津波の備えをしていないこと」「九十九里は平坦で高い建物も丘もなく、津波が来たら危ないこと,避難塔を早急に建てた方がいいこと」「地震はいつ来るかわからないので、いつ来ても大丈夫な備えをするべきこと」 など。
 ひとつ、疑問に思ったのは、災害時に、学校は、子どもを保護者に引き渡すことを、最優先にしているように感じた(千葉県のマニュアルでそれが強調されていた)。親もそれを強く望んでいるのかもしれないが、今回東北では、親に子どもを引き取らせた故に、命を落とした事例もかなりあったのではないか。保護者への引き渡しを第1優先にするのではなく、子どもの命を守る方策を一番に考えるべきだと感じた。学校(教師)が子どもを引き受け、そのことが子どもが命を落とす原因になったりしたりした場合、学校(教師)の責任が問われることになるが、それは仕方がない。教師になる人にはそれだけの責任と覚悟が必要なのだから。

詩オンチ?

人にはそれぞれ苦手なものがあると思う。センスがないといってもよい。私にもたくさんあるが、その一つが、詩がわからないということである。詩(音)痴といってもよい。それは、家庭教育や学校教育(国語教育)に問題があったのではないかと思っている。

藤原新也が、「詩人というのは失業者と同じようなものなので、応援のつもりで買ってほしい」とを書いていたので(http://www.fujiwarashinya.com/talk/)、ついアマゾンで、氏の推奨する詩集を1冊購入してしまった。
 伊藤友香『クロネコを撃ち殺したくなったら』(学びリンク、2013年)
   http://www.stepup-school.net/step/book/kuroneko/index.html

  読んでみると、思春期の悩みのようなものがうたわれているが、とてもシンプルで、詩オンチの私でも理解できるものがある。詩に添えられた
 北海道の通信制の芸術高校生の書いた挿絵も新鮮だ。
  うちの娘も共感すると思い見せたら、「自分の書く歌詞とは違う、ストレート過ぎる、暗すぎる」といわれた。やはり詩は難しい。
  いくつか、転載しておく。(これは、一つ一つが独立したもの。転載が 詩の著作権を侵してない、といいのだが)

  暑いものも嫌い 寒いものも嫌い 鈍いものも嫌い 痛いものも嫌い 嫌いなものをあげていったら 世界が消える  

  北極熊は思った ここは寒いな~ そして南に向かった そうしたら死んでしまった 

  赤信号 みんなで渡っても 轢かれるときは轢かれる

  勝手に入ってこないでよ ここは私のテリトリ―なのだから

  怒りが悲しみを越えると目が乾く

  捨てることもしない 欲しがりもしない 弱虫

 「私は悪くない」 と言い張りながら 自分が悪い事に気づき始めてた

  誰かが隣にいれば それでいい そういうことも あるだろう

  疲れたね そりゃあ そうさ 生きているんだもの

人間は優しい動物だ そう思える今日は いい日だね