大学生のケータイ依存

 若者の携帯(使用)に関する研究では、携帯を頻繁に使う人は、携帯だけでなく直接の人間関係も豊富だという知見がある。つまり、若者の携帯依存は問題がない。私も基本的にそう思うが、少し気になる点がある。 
 大学の授業で、携帯(ケータイ)を離せない学生が少なからずいる。それは、多人数の講義のみならず、少人数のゼミでも見られる。
 これは一種の「ケータイ依存症」で、「アルコール依存症」や「タバコ依存症」と同じように、それがなしではいられない。それがないとイライラして、ものごとに集中できないし、精神や身体に不調を起すかもしれない。
 このような「ケータイ依存症」は、何歳ぐらいから起こるのであろうか? 携帯依存症になるプロセスを調べたくなった。先日、教育実習の参観で、小3の授業を見たが、小3の子どもは先生の発問に対して、率先して手を挙げ指名を求める。ケータイのケの字も見えない。一方、定時制高校では、ケータイを見るのは授業中、日常茶飯事と家人から聞いた。小学生-中学生―高校生―大学生のプロセスのどこで、ケータイ依存が生じるのか。
 大学の授業で、一度、ケータイを全てカバンの中にしまうように指示して見ようかと思う。どのような禁断症状が出るのか。少し怖い気もするが。
(「ケータイ依存症」のテストが、ネット上にある。私は最低点であった。「そんな携帯と無縁な人に、ケータイに関して何か言われたくない」と、学生に言われそう。)http://www.shonan-rockets.com/column/2004/06/27.html

<後日談> 敬愛の1年生の授業で、ケータイ依存症の実験と称して、ケータイをカバンにしまわせて見た。その結果は「悲惨」であった。禁断症状は何も出ず、皆平気な顔をして、近くの子とおしゃべりをはじめた。おしゃべりをやめるように言ってもなかなか止まらない。ケータイを持たせて置いた方が、授業中のおしゃべりが少なくていいかもしれない、と思った。これは、予想外の結果であった。

大学でのトランプ

大学の食堂等で、学生達がトランプをやっているのを時々見かける。これは、当の学生達にとって楽しいかもしれないが、外から見るとかなり見苦しい。大学の品格を落としているように思える(少なくとも、私はそう感じる)。
私自身はトランプは好きで、家族でよくトランプをやったし、昔学生との合宿でトランプで徹夜に近くなったこともある。また合宿の行き帰りの列車の中でトランプをやり続けたこともある。しかし、大学構内とトランプはそぐわない、と思う。
なぜ、そう感じるのか。トランプのようなゲームは、高校生までに卒業して、大学に入ったら、もう少し大人の遊び(や勉強)をすべき、という見方をしているのかのかもしれない。
大学生にもなって、「私は子どもです」というようなことを、人前に晒すべきではないと思っているのかもしれない(そう言う自分が、年相応の態度を取っているのかどうかは疑問だが)

ロンドンからのHard Rock

私のブログを海外(ロンドン)で読んでくれている人がいる。在外研究でオックスフォード大学に行っているK氏である。K氏はなんと、私のブログを読んで、ロンドンのHard Rock Caféに行き、素敵なT-シャツを2枚も買い、送ってくれた。感謝感激である。これで私のHard Rockのコレクションもさらに増えた。
K氏は、最近の共著『日本語表現&コミュニケーション―社会生きるための21のワーク』も送ってくれた。若い研究者には、優秀で多才な人が多い。彼もその一人である。研究の発展をお祈りする。

季節はずれの花

夏の花・朝顔(あさがお)が11月になっても健気(けなげ)に咲いている。さらに、落ちた種から芽を出しツルを伸ばしている。これからの寒さで、一気に枯れると思うと少し可哀そう。(自分に引きつけて考えているわけではないが、、、、)。