唱歌「ふるさと」の現代的歌詞

 首都大学の西島さんが、唱歌「ふるさと」の現代的な歌詞を、高校生に書かせたものが朝日新聞(6月28日、朝刊)で紹介されていた。
「ふるさと」の歌詞の続きを、現代の若者が作るとするとどのようになるのか。山や川といった自然や年老いた父母ではなく、都会の喧騒やゲームやネット世界がふるさとになっていることが高校生の作った歌詞からわかる。

 30年くらい前に、川本三郎の『都市の感受性』に、同じような若者の感受性の変容が書かれていたことを思い出した。農村の自然より都市の人工的な建物に美を感じる都会の若者の感受性をどちらかというと肯定的に描いたものである。

 敬愛大学こども学科の1年生(千葉県出身者が多い)に、この新聞記事を読んでもらい、歌詞の続きを書いてもらった。そのいくつかを紹介しよう。

・ 田舎から 都会へ 方言を 共通語へ変わり 次は いつ帰ろう ああ ふるさと
・ 進学して 一人暮らし 家事料理 苦労を感じ 毎日やってくれた 親に感謝 ふるさと
・ 自転車で 登校 授業を受けて 家帰る 毎日同じ 生活して 先の見えぬ ふるさと
・ 一度起きた 地震で 全てのものが無になる 今は風も穏やかだけど 心はまだ ふるさと
・ 埋められてく かの川 行き場なくす 魚達 海も埋められ 山も潰し どこへ行った ふるさと

 今日の授業の中で、このことにかけた時間は、説明も含め最後の10分ほどだった。それでも学生からこれだけのものを引き出せたのは、西島氏の考えた方法がよかったせいであろう。

日本子ども社会学会2

日本子ども社会学会19回大会が、無事終了した。
年1度の大会で、多くの懐かしい人の会うことが出来、発表もいいものが多く、大変勉強になった。
準備委員長の新富先生はじめ、関係者の方に、感謝する。

 それにしても、学会は、研究者が各自持ち味を出し、成り立っているところだとつくづく感じた。
 シンポやテーマセッションで学会をリードする報告をする人、自分の発表に専念し質の高い発表をする人、紀要に質の高い論文を投稿する人、部会の司会をし、その分野の研究動向を示す人、理事会や各種委員会でこれからの学会のあり方を真剣に議論する人、懇親会や2次会で活躍し人の交流を促進する人、大会の裏方で走り回る大会校の人、面倒な学会事務をつかさどる学会事務局の人――このような人達の御蔭で、学会は水準の高い発表の質を維持しつつ、さまざまな交流もできる場になっていると感じた。 その他に、書籍販売の出版社の方々、大会校の学生さん達の献身的な働き(ヒップホップのダンスも、懇親会で急遽あり、大盛り上がり)により、気持ちのよい大会が開催されたと思う。