フジロック フェティバル

夏の今の時期になると、「一度行きたいな」と思うところがある。それは毎年7月の下旬に苗場で開かれる「フジロック」である。最近はあまりロックを聴かなくなったが、若い頃はステレオでロックを聴くのが私の唯一の息抜きであった。
いつか本物のロックを生で聴きたいと思いながら、これまでその願望を果たせないでいる。(フジロックには、世界の一流のアーティストが集まっている。今年は、井上揚水も出演するという。http://www.fujirockfestival.com/)

下記は2年前(2010年8月1日)に書いた文章だが(http://6115.teacup.com/m83s/bbs/?page=5&)、今年も学科末の試験や母親の介護で、苗場にはいけなかった。

<妻も夏休みになったので、ふたりで新潟県湯沢町の温泉に入りに行った。ちょうど行った時は、湯沢町苗場では、フジロック・フェスティバルの真最中(30日~1日)で、全国からロックファンが集まっていた。前夜祭(29日夕方~)は無料で入れるかもしれないと小雨の中、入場ゲートまで行ってみたが、そんな雰囲気ではなく、集うロックファン(ほとんど若者)を観察して帰った。皆おしゃれで、それでいてもの静かで、知的で、哲学的雰囲気さえたたえているものが多かった。男女のふたり連れや、グループが多い中、女ひとりで大きな荷物を転がしていく強者もいた。
 苗場という交通の不便なところ(東京から車で行くときは高速道路・上越道の「月夜野」で降りて、カーブが50近くある山道を40分ほど登らなければならない)へ来て、雨の中、スキー場にテントを張って泊まり、ロックを聴くというのはよほど根性がなくてはできない。前夜祭、1日目、2日目の夜は雨で、テント生活は大変だったと思う。車で来て、その中で寝ている人もかなりいたが、それも楽ではない。さすがロック魂と感心した。
 入場料は1日18000円、3日通しで42000円、キャンプ代3000円、駐車料金1日3000円と、かなりの額(少なくても私にはそう思える)なので、生半可な気持ちでは、フジロックには来られない。
 フジロックのステージは、苗場スキー場のメインのところではなく、少し外れのところのあるらしく、道路からは見えないが、苗場から湯沢の温泉に行く途中の道で2カ所、ちらっとステージが見えて音が遠くから聞こえるところがある。温泉の行き帰りにちらっと見、聴いたが、それは1日目はThe CRIBSと ASH, 2日目はKULA SHAKER といったグループのステージだった。私にはなじみのない名前だが、なかなかいい音楽だった、またいい男達だった。
千葉に帰って来ると暑く、湯沢町(苗場)の涼しさとロックが恋しくなる。 温泉と若者と音楽ということを考えさせられる旅であった。>

教科書関連の新旧を見学

今日(23日)は、研究会のメンバーと、東京書籍関係の2か所を見学させていただいた。とても有意義な見学でした。
一つは、東京書籍の教師用デジタル教科書の実際を、見せていただいた。小中はもう既に主要教科の各学年版は出来(1教科・1学年8万円程度とのこと)、既に使っている学校がかなりあるとのこと。高校は、試作品が出来ているとのこと。大きな写真が電子黒板に映し出されたり、動画が挿入されたり、作者のインタビューがあったり、理科の実験が動画で見られたりと、とても便利そう。日本のデジタル教科書は、単に紙のものをデジタル化しただけでなく、さまざまな仕掛けが工夫され、各国から称賛されているとのこと。
もう一つは、教科書図書館の「東書文庫」を、館長自らが案内して下さった。昔からの日本の教科書がきちんと保存され国の「重要文化財」にも指定されているとのこと。展示されているものはその一部だが、その展示を通して、明治からの教科書の歴史が時代背景とともによくわかる。所蔵の教科書は、カードで引くと、10分とかからず、探してくれ、閲覧できるという。
絵巻→紙の教科書→デジタル教科書と、絵巻(静止画)→文字→デジタル絵(ただし動画)という流れがあるのではないかと、同行した加藤幸次先生は、おしゃっていた。

立教大学&日本教育社会学会理事会に行く

 立教大学で開かれる教育社会学会の理事会に出席するために、稲毛海岸駅から、京葉線―有楽町線に乗り池袋へ。
池袋駅は出口が複雑で、改札口を出て迷い、うろうろ。東京で人に道を聞くのは恥ずかしく、必死に探す。途中知り合いに会い、何とか5分遅れで、立教大学の会場に着く。立教大学はレンガ造りと緑(蔦)の多い、なかなかおしゃれな大学。人気があるのがわかる。
 教育社会学会の理事会は、今学会で活躍の研究者がズラリ。私からみると皆若い(出席者の中では私が最年長であることには驚いた)。北は北海道(北大)から南は九州(九大)から駆けつけ、学会の「重要事項」や大会のプログラム編成を審議。
 でも、学会運営に関する事務的な会議であり、学問的な議論がなされるわけではない。また、会の後に懇親会(飲み会)もない。このような会議に、一日かけて(私の場合は往復3時間)参加する意味(意義)は、あるのかと思う人も多いのではないか。
 学会には理事や理事会が必要であり、学会が成り立ち、スムーズに運営されるためには、理事会の開催が必要である。それがわかっていても、大学教員たちは、実質的な貢献や学問的議論ない会議、、あるいは人との交流のない会への出席は、むなしさを感じているのではないだろうか。
 私が助手の頃の30年以上前の教育社会学会の理事会はこのようなものではなかった。毎月1回、在京のメンバーで東大に集まり、お茶と和菓子が出て、それを味わい、形式的な報告と議論があり、理事会は早々に終わった。皆で本郷3丁目の駅に向かい、途中誰かが「少し喉を潤していきましょうか?」とおずおず言い出し、皆しぶしぶそれに同調するような素振りを見せながら、実は
延々と飲み会が続くのが常であった。カラオケが上手で、大学教授にしておくのはもったいないような先生もいた。その席で、重要なことはかなり決まったように思う。(次期役職、次期大会校、大学の人事、非常勤、編著の執筆者等も)。
 昔がよかったとは思わないが、人との関係の薄れた理事会も、少しさびしい。

稲毛海浜公園に行く

今日(21日)の午前中は、久しぶりに犬の散歩で、稲毛海浜公園に行った。家から車で15分。公園の駐車料金は600円(夏場は普段の2倍)。土曜日の午前中ということもあって、人もまばら。公園内にある「花の美術館」の外の庭には、まだバラも残っているが、夏の花がさまざま咲き誇り、きれい。ソフィー(犬)も、広い芝生で飛び回り、大喜び。
海岸に出ると、海水浴の監視員がいるのに驚いた(東京湾内であり、そんなきれい水ではない)。沖にはヨット。コスプレのイベントがこれからあるとのこと、コスプレの女の子とワンショット。


「付き合っている彼女」のいる男子学生について

「彼女と付き合い始めてどのくらいになるのか」ということが、ゼミの男子学生6人の中で話題になり、それぞれ、1年、1年半、2年、5年と、淡々と報告しあっていた。お互いにお互いの相手の女性たちとも顔見知りのようで、冷やかすという雰囲気はなく、確認をするという感じであった。
 そばで聞いていた私は、6人とも、「付き合っている彼女がいる」ということにまず驚いた。われわれの過去の大学生調査では、大学生の異性付き合い率は3割くらいだったと思う。
 我がゼミには「もてる男子」、あるいは異性に積極的な男子が多いのか、あるいは回りに女子学生が多いせいなのか、おいおい考察しようと思った。

 大学生の時に、「付き合っている彼女がいる」というのは、どのようなもの(気持ち、状態)なのであろう。私のように、中学、高校、大学と周囲(クラス)には女子生徒(学生)はいるもののその数は少なく、ほとんど個人的に話したことがない(つまり「もてなかった」)ものからすると、不思議で、またとても羨ましくもある。
彼らは彼女がいるせいか、「飢えた」感じがない。皆、ある種の余裕というか、落ち着きがある。 「どこかの大学の女子学生と合コンをやろう」という話には、まったく乗ってこない。「自分達は彼女がいるから、そんな必要はない」と、合コンにてんと興味を示さない。
 「早く卒業して、就職して、結婚し、子どもを持ちたい」という希望を言う学生もいて、皆、賛同している。
 これから永い人生、一人の女性に、そんな若くして(今20歳ちょっと)、女性に縛られていいのか、という気がしないでもない。
 今は、早く相手を見つける人と、それが遅い人の両極に分かれ、その中間が少なくなっているのかもしれない。