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私のブログではスペースの関係で、小さな写真を掲載することが多い。
言うまでもないが、写真をクリックすると拡大する。 
黒板の字(4/27,5/1)も,学生のリアクションの内容も(4/24)も、小説の内容(4/30)も、御宿の海(4/28)も鮮明に、見える。
見え過ぎて、恐ろしい気もするが。

雑草

「これは雑草、抜かなければ」 と、誰が決めたのだろう?。
「雑草」もけなげに咲いている。
観賞用植物なのか「雑草」なのかは、人が決めることなので、植物に「罪」はない。いわゆる人々の「ラベリング」が先にあり、そのラベルにより「良い」植物か「悪い」植物が判定されていく。
朝起きて、庭の雑草を抜くことがよくあるが(それをしないと、芝生が雑草に駆逐される)、それでも、「雑草」の立場からすれば、朝一番のさわやかな時にいきなり抜かれるなんて、なんて辛いのだろうと、心が痛む。
以前に、根がどんどん張り、小さな黄色の菊のような花が次々と咲き、気にいっていた植木があった。それは外来種で人体に害があるという新聞記事があり、本当に害があるのかきちんと確かめず、それを根こそぎ駆除した。その時も心が痛んだ。(私はかなりひどいことをしているかもしれない)
インターネットで「外来植物」を検索するといろいろ出て来て、生態系への影響や人体への影響など書かれている。
www.niaes.affrc.go.jp/project/plant_alien/book.html
この分野も、かなり奥が深く、調べ、考えなければいけないことがある。

学生のグループ発表

昨日(5月1日)の授業は、学生のグループ発表だった。4年生3人が、よく準備した、い発表をしたくれた。聞き手も、先輩の発表とあって、熱心に聞く。

 「人が何かを学ぶ時は、その欲望や動機も含めて、先輩や先人の模倣をし、その人をモデルにして学んでいく。周囲の人は、子ども・若者の成長、発達のモデルになることが必要であろう。
夏目漱石の『こころ』の先生は、下宿のお嬢さんが結婚に値する女性かどうか、尊敬するKの判断を仰ぎ、その判断に基づいた行動をとった。Kの自殺により、先生はモデルを失い、その後生きる指針を失った(作田啓一、1981、『個人主義の運命』岩波新書)。モデル、模範がいかに重要かがわかる。」(武内清・岩田弘三編『子ども・若者の文化と教育』放送大学教育振興会、2011、p.218)

 敬愛大学こども学科の学生も、先輩から多くのことを学んでいく。