韓国ドラマ「マイ ディア ミスター」の感想 (その2)

韓国ドラマ「マイ ディア ミスター」の人間関係は、どの関係も皆ギクシャクしている。それは、現代社会の人間関係がそれだけ難しくなっているということの表れでもある。

唯一安定しているのは、生育家族(生まれ育った家族)の人間関係である。韓国の伝統的な家族主義的な関係が結局基本にあるように描かれている。子どもが大きくなっても母親が子どもを思い、子どもも母親を一番大切にする。兄弟は喧嘩しながらもお互いを気遣い、兄弟の幸せや悲しみを共有する。生育家族との関係が強すぎて、主人公(ドンフン)の夫婦関係はうまくいかない(奥さんは主人公が最も嫌う男と浮気までする)。

主人公(ドンフン)の兄(サンフン)は職場を首になり、家で酒ばかり飲み、娘の結婚の御祝儀をねこばばまでするようになり、奥さんに愛想をつかされる。弟(ギフン)は、映画監督として一度脚光を浴びたものの才能のなさに気付き、主演女優にその責任を押し付け、その罪悪感とその女優への愛情と後ろめたさから、慕ってくれる彼女の気持ちを受けとめられない。天才肌の友人は、理想的な近代家族の限界を感じ、相思相愛だった女性と別れ、僧侶になってしまう。

主人公とヒロイン(イ・ジアン)の関係は、上司と部下、叔父と姪(父と娘)、援助者と被援助者、詐欺の標的、恋人関係、というさまざまな要素を内包しながら動的に展開し、最後に行きつくところはどこなのかわからず、ハラハラさせられる。

現代は、伝統的社会の安定した家族関係、近代社会の友愛を基礎にて成立する核家族ではやっていけなくて、さまざまな人間関係が交錯する中で、皆苦しみながらも、過去は「どうってことない」と目をつぶり、「ファイト」と未来に向けて歩く(時に「かけっこ」もする)生き方(「リジリエンス」な生き方)をする時なのであろう。そのようなことを考えさせられるドラマである。

追記 ドラマの中で、ヒロインは主人公に「ファイト」と励ます場面がある。あまり関係はないが、中島みゆきの「ファイト」を、吉田拓郎の歌で聴きたくなる。「戦う君の歌を 戦わない奴らが 笑うだろう ファイト 冷たい水の中を 震えながら 登っていけ」という歌詞が印象的。社会学は自分では戦わないくせに戦う人を冷笑する傾向がある。自戒したい。