美を感じるところー理系人間と文系人間

何に美を感じるかは、人それぞれであろう。
ただ、理系の人間と文系の人間では、美を感じる対象が大きく違うような気がする。
スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の主人公堀越二郎は、飛行機の機能美に惹かれ、恋人菜穂子の病気への看護を怠り(病床の枕もとでタバコを喫い、飛行機の話ばかりしている)、菜穂子への愛情は薄かった。理系人間なのである。
生物学者・福岡伸一は、ファショナブルな女性の配色よりアオスジアゲハの配色が素晴らしいといい、さらに次のように書いている。
<ウンモンスズメというガの一種のはねの見事さはどうだろう。褐色の地に、墨汁をたっぷり含んだ毛筆で優美なにじみ紋様を描いたあと、流線形の先端にちょんと濃い黒点を置く。篠田桃紅もかくやと思えるほどの出来栄えである。そう。私の審美眼の基準は、いずれも少年の頃、目に焼きついたチョウやカミキリムシの姿、つまり自然が作り出したデザインに由来している。そこからの逸脱は違和感に映るのだ。笑いたい者は笑うがよい。されど私は、人生にとって大切なことはすべて虫から学んだ。>(朝日新聞 7月6日朝刊)

私の場合は、バラの花の造形美は見事だと思うが、モノや生物の美より、人間の作る社会的、人間的なものの美の方に惹かれてしまう。やはり文系人間なのであろう。