神野藤昭夫著『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022)を読む

数年前、放送大学文京学習センターの客員でご一緒した国文学の神野藤昭夫先生(跡見学園女子大学名誉教授)から、最近書き下ろされた1冊のご著書をお送りいただいた。462ページの分厚い日本の古典文学に関する著作で、大学退職後このような学術著を執筆された神野藤先生の意欲と学識に驚かされた。私には文学、特に古典に関する素養がなく、まともな感想を述べることはできないが、学ぶことが多かったので、その記録を下記に残しておく。

著者の神野藤先生は、1943年東京生まれ、都立小石川高校卒、早稲田大1文学部、大学院卒、博士(文学)の方で、本の題は、『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022,7花鳥社)という文学の学術書である。「みだれ髪」という和歌集で話題となった与謝野晶子の自伝とその翻訳(源氏物語)の研究書である。

本書は、「新資料の数々をもとに、(与謝野晶子の源氏物語の)訳業の具体像を明らかに」した学術的に価値の高いもので、同時に推理小説を読むような謎解きのスリリングな読みものということは、素人の私でもよくわかった。古典の文学研究や書誌研究(?)の方法が、ご著書からわかり、勉強になった。源氏物語のオリジナルが今見ることができないこと、過去の普及版はいくつかあること、与謝野晶子の現代語訳も、直筆の原稿と、清書されたものと、初版と再版等で、中身が変わっていることを丹念に調べ、その原因を突き止めていく著者の手法は見事で、推理小説を読んでいるようなスリルを感じた。与謝野晶子の直筆の現代語訳原稿が、訳者の思いを流れるように文章にし、原典や漢字なども気にせず、一気に書いている様子が考察からわかり、このようにして現代語訳というものがなされるのか(なされたのか)ということに驚いた。与謝野晶子の在仏滞在が、どのような意味を持つのかを、実際に、現地調査をして、自分の足や自分の目で確かめる手法その記述には迫力があり、著者が、与謝野晶子研究の第1人者である所以が理解できた。源氏物語がなぜ、日本でこれほど重要な文献として扱われているのか知りたくなった。古典としての価値なのだろうか。与謝野晶子以外にも、多くの人が現代語訳を出している。ただ、近代の恋愛結婚とは違う(自由?)恋愛を扱った内容の「源氏物語」が、高校の教科書に載るというのも、教育としてふさわしいのか、と不思議に思う。与謝野晶子の「みだれ髪」が自由奔放なものという説明があったが、与謝野晶子の恋愛観と、源氏物語の恋愛観、結婚観に関しては、通じるものがあったのだろうか。実際の夫の与謝野鉄幹との関係は、どのようなものだったのか。現代の視点から見ても興味深い点が多い。

私は、江藤淳や吉本隆明などの批評家の作家論は好きでよく読んだことはあるが、文学、古典の学術研究の本というのは読んだことがなく、素養や基礎が全くない故見当外れのことばかり感じたが、異文化の分野の学びの楽しさを味わうことができた。