社会の定年と個人の元気さ

会社や学校など社会の組織には定年というものがある。今高齢化がすすみ,社会の組織の定年が延長されているとはいえ、60歳定年の企業も多いであろうし、公立の学校の教員の定年も基本60歳である。大学教員は勤めはじめた年齢が遅いので、65歳あるいは70歳定年のところが多い。社会で定められた定年と人の元気さや健康には個人差あるので、その間でギャップを感じること人も少なくない。

ただ、社会的に定められた定年に、人の意識も合せてしまう傾向もある。大学教員の場合、長年勤めた大学を定年で辞めることになると、あなたの研究能力と教育能力はここまでと社会的に宣告されたようなもので、「そうなのかな」といろいろな意欲も急速に萎んでいく。「大学教員の定年は不当」と、昔同僚だった先生が送別会の席で怒ったようにあいさつした時は少し驚いたが、今考えるとまともな意見のようにも思える。

そのような中で、フリーで活躍している人は、社会や組織の定年などの惑わされることなく、元気である。私と同世代の写真家の藤原新也は、今も写真を撮って個展を開いているし、本も出し、会員制のサイトCat Walkを開設し、ラジオの放送もはじめ、社会的な発言も続けて、世に大きな影響を与えている。昨日(5月9日)の朝日新聞夕刊にも、「コロナ禍 人々は変われますか」というインタビューに答え、人々を励ましている。

<飽食時代の欲望全開の自分を見つめ直す禁欲生活に入っているという見方もできる。人間関係で言えば、これだけ人恋しさを蓄えられる状況はないわけでしょ」「今ほど、人とのつながりや人の温かみのありがたさを実感するときはないだろう。被害意識も生まれやすいが、人には悪のやすりによって磨かれ、育てられる強さもある。気づかないまま自分の中でさびついていたものがあるじゃない」「コロナは人の味覚を奪うが、これからは食べ物の味を本当に味わうことができるかもしれないし、100%の愛情のうち下手したら10%くらいしか使っていなかったのを、コロナ明けからは70%くらい使って他者に接することができるようになるかもしれない。そうなったら人間の勝ちだ。それがニューノーマルになってほしい」(藤原新也 朝日新聞より1部転載)

(公開の shinya talkは,  www.fujiwarashinya.com )