異性(女性)にたいする幻想

村上春樹の短編に、あこがれていた女性の現実の姿を、覗き見によって知ってしまった若い男性が、そのあこがれがなくなっていく様子を描いたものがある。(「野球場」『回転木馬のデット・ヒート』(講談社文庫、1988年)

仏文学者の多田道太郎が、名著『管理社会の影』₍日本ブリタニカ、1979年)の中で、次のように書いていて、感心して読んだことがある。

<恋愛についていえば、それはオリジナルの向こうに、オリジナルを超えて自分だけの夢をみることである。自分だけのコピーをつくることである。(中略)それはコピーの向こうに、コピーを超えて、自分だけの夢、自分だけの「オリジナル」を夢みることである。もし,ほんとうのオリジナルである女優が彼の前に現われれば、彼は「それは違う」といわざるをえまい。>(21ページ)

このように、あこがれや恋愛は、現実の異性(女性)を見ているのではなく、自分の夢(幻想)を、その異性(女性)を媒介にみているだけで、現実の異性(女性)が目の前に現れたら、「それは違う」といってしまうのであろう。

ここからどのような教訓(実践的課題)を引き出せばいいのあろうか。女性に、「永遠の嘘をついてくれ」(中島みゆき)と頼めばいいのであろうか。